Sparrow!!--#3.5:Run(02)

 夕映えが差し掛かっている空に向かって一呼吸つく。昼間は雲一つなく晴れ渡っていた空を、どこから流れて来たのか、薄い鱗雲が複雑な模様を描いて覆っていた。
 まだまだ夏だと思っていたのに、季節はいつだって自分が感じいるよりも駆け足で、気持ちだけが置き去りにされているよう。太陽が低くなると同時に芳しくなる秋の気配に、自分が少しずつ浮き足立ってくるのを肌で感じる。湿度が少なく、夕方が長く、そして空がとても高い秋。
 自分たちが一番心踊らされ、同時に緊張も沸き立つ季節が今年もやって来たのだ。
「あ、おーい! 黎二!」
 遠くに彼の姿が見え、颯介はベンチから立ち上がり小走りに向かった。くすんだ金髪の長身が近づいてくる。丁度ランニングの時間だったということもあり、コースの途中にあるこの運動公園で待ち伏せていたのだ。
「……何だよ」
 会話できるほどの距離になるやいなや、黎二は息の上がった顔をさもかったるそうにしかめた。
「や、どうしてるかなーっと思って」
「はぁ? どうもこうもしてねーよ」
 嫌そうな受け応えをしながらも、こちらに合わせてスピードを緩める辺りが彼らしい。外見の印象的にそう見られることはあまり無いが、案外と他人に合わせることができる奴なのだ。それにこうやってすぐ返事を返せるということは、思っていたほど機嫌は悪くないらしい。虫の居所が悪いと、返事どころかこちらを見向きもしない。十ウン年も付き合いがあるのだ。その辺の機微は誰よりも心得ていると自負している。
「予定よりもだいぶ早く帰ったからさ。ヒマしてるんじゃないかと思って」
「んなわけねぇだろ」
 紅蓮のライダースーツから一転、何の変哲もない黒のトレーニングウェアを着込んでいるものの、その体躯の流麗なラインは隠しきれない。
 操縦士が体作りの上で一番重要な部分、それは四肢だ。いくらベルトやサポーターがあるとはいえ、縦横無尽に飛び回る機体から振り落とされずに乗りこなすには、それ相応の筋力が必要になる。
 公園の休憩ポイントに向かう彼の後を歩きながら、颯介はそのウェア越しに浮いている翼のような肩甲骨を眺めた。選手の中には鍛えすぎて筋肉ダルマになっている奴もいるが、黎二は無駄な筋肉を一切付けていない。もともと筋肉が付きにくい体質なのを押して鍛えているのもあるが、何とも絶妙な体躯だと思う。
「あッ、黎二だ!」
「ほんとだ!」
 公園内のバスケットコートで遊んでいた小学生たちが、黎二に気付いて一斉に走り寄ってきた。颯介にとっても見知った顔ぶれだが、名前まではいちいち覚えていない。少年たちは黎二を囲んでじゃれつき、餌が待ちきれない雛鳥のようにやかましく口々に言い合い始めた。
「黎二、遊ぼうぜ」
「バスケ人足りないんだよ。混ざってよー」
「アホか。俺が入ったら勝負になんねーぞ」
 軽口を叩きつつ、表情自体は満更でもなさそうだ。見た目の割に他人に優しいから、黎二は子供と老人にはそれなりにモテる。
「なぁなぁ、今日はジュース奢ってくれんの?」
「あー、今日は颯介が奢るってよ」
「はぁ!?」
「マジで!」
「やったぁ!」
 不満を言う暇もなく、少年たちが喝采の声を上げた。
「俺のもな」
 囲まれ手を引かれて行くこちらに向かって、黎二はさも可笑しそうに少し破顔して言った。そういう仕草がずるいと思う。少年たちに連れられてきた自販機に小銭を投入しながら、颯介は思わず盛大なため息を零した。
「颯介ってさ、黎二の子分なの?」
 欲しいジュースを選びながら、少年の一人が事もなげに言う。
「違うよー何言ってんの」
「だっていっつも言うこと聞いてるし。せーびしって子分なの?」
「違うって。子分どころか、俺がいないと黎二は試合できないんだぞ。もっと敬って貰いたいね」
「とか言って、すぐ負けんじゃん」
「そーそー。颯介って弱っちぃし」
「うぐぐ。言うねぇ」
 ぐうの音も出ない。腑に落ちないが、喧嘩に弱いのは事実なのだ。昔から黎二は喧嘩っ早い上に強かったが、自分はそんな雰囲気になると上手に逃げたり隠れたりして難を逃れていた。暴力反対。嘘。本当は単に根性が無いだけ。煽るのは得意なくせに、痛い思いをするのは嫌だ。持ち前の負けん気と正義感で、自分の分が悪くとも果敢に突っ込んでいく黎二の思考回路が信じられない。
 そういえば翔と知り合ったのは、黎二が彼をいじめていた奴らを退治したのがきっかけだった。ちょうどこの公園だった記憶がある。めそめそ泣いていたし、体が小さくて顔が可愛いからてっきり女の子だと思ったものだ。しかしそんな翔を匿うこともせず、その時も自分は見ているだけだった。もう十年くらい前の話になるのに、あの時のざらついた風も、黎二の叫ぶ声も、やけにはっきり覚えている。
 黎二がFMの操縦士になりたがったのも、翔に出会ったからだ。あのガレージに並んでいた流線型の美しい機体達と、FM開発の第一人者であった翔の祖父が説くそれらの魅力が、物心ついて間もなかった黎二の心を掴んだ。勿論自分もあの時は一気にのめり込んでしまったが、黎二のようにシンプルな理由からのことではなかった。
「ほい」
 一通り買い与え終え、颯介は黎二の元へと戻った。ペットボトル入りのスポーツドリンクを差し出すと、今度は無言で受け取る。今日飲み物を奢るのはこれで二度目だが、そんな野暮なことは言わない。機嫌が悪くないのを再確認して、颯介は一呼吸置いた。これを報告する義務があると思ったから、真っ直ぐ帰らずに彼を待ち伏せたのだ。
「昼間に翔が連れて来たあの子さ、通ったよ、審査。多分、来年度から準戦にエントリーする」
 いざ飲まんとボトルの口を咥えかけていた黎二が、猛禽類のような目をぎろりとこちらに向けた。
「……だから?」
「試運転の時にさ、FMが故障して制御できなくなってたんだけど、難なく乗れてた。黎二が思ってるよりもずっと、素質あるよ。あの子」
 言いながら、先ほど海峰園で見た光景をよく思い出す。