Sparrow!!--#1.5:Cling(02)

「いただきます」
 行儀よくそう言って食事にありつく翔を、航は満足そうに眺めている。仕事で他府県をうろうろしていることも多い彼だが、たまにこうして自分の様子を見に来てくれるのだ。特に、去年祖父が亡くなってからは更に訪問頻度がまめになった。
「そうだ、来月出る本の見本持ってきたんだった。この前言ってたやつな」
 お互い半分くらいカレーを平らげたところで、航はおもむろに真新しい本を取り出した。大判のサイズで、厚くて発色の良い上質な紙を使っているムック本だ。
 空と満員のスタジアムをバックに飛翔する銀色のFMが印象的で、白抜きの文字で『FLY MORE』とタイトルされている。航が写真を担当しているFMマッチ専門誌の連載をまとめたもので、掲載誌やウェブサイトに未掲載のものや機体の情報、操縦士や整備士のインタビューも載せているらしい。
 カレーを食べる手を置いて中身を見ると、目の覚めるような鮮やかな写真が次々に現れた。それらは試合中のものから整備風景を写したものまで様々で、サイズの小さなものまで合わせると膨大な数になる。しかしその全てが、こうして目の前にいる航が一枚ずつ大切に撮ってきたものなのだ。
「凄い……本誌の連載もいつも見てるけど、全然知らない写真がいっぱいある」
「そうだろ。この際だから出し惜しみは無しにした。この前の夏大会の写真もギリギリで入れられたし、我ながら見応えある本になってると思うんだけど」
「良いよ。FM詳しくなくても楽しめると思う」
 そう言いながら、翔はふと先月の夏大会で偶然出会ったクラスメイトを思い出す。彼女――宝生雛は、この天馬市で育ちながら、これまでFMマッチの試合を殆ど見たことがないと語っていた。教室にいても、いつもどこか詰まらなそうな冷めた表情をしている女生徒だ。その時も体調を崩して随分不安そうにしていたが、FMの試合を見た瞬間に表情が明るく変わったのが強く記憶に残って離れない。
 教室では聞いたことも見たことも無い、はしゃいだ声と笑顔。それに、形のいい大きな瞳が真夏の日の下できらきらと輝いていた。
 この本を彼女に見せたら、またあの表情が見られるだろうか。
「それ、うちにまだ数冊あるし翔が持ってたら良いよ。つぐみにも見せといて」
 そう言われて我に返ると、航はすでにカレーを食べ終えて伸びをしていた。満腹で寝そべっていた小次郎を撫で回して起こし、そのままの足取りで窓辺に向かう。空は先ほどのオレンジから一変して深い群青色に沈み、けれどまだ夜にはなりきれないこの季節独特の色をしている。
「おお、まだもうちょっと明るいな。翔、食べたらちょっと上に行こうか」
「――上?」
 一瞬二階のことかと思ったが、翔はすぐに意味が違うことに気が付いた。子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべ、航は上を指差す。
「そう、上」

「ああ、やっぱこの時期にフロートするのって気持ちいいな」
 日中地上に溜まった熱を冷ますように吹く風の中で、航が上機嫌に笑った。翔は彼の背に軽く掴まり、まだ西の空に小さくうずくまっている朱色の太陽を眺める。その日の光を受けた雲は濃い影を付け、反対側の空には月と星が姿を見せ始めた。街もそれに競り合うように灯りを次々とともし、車のテールランプが流星のように足元を過ぎ去っていく。それは、地上にいるのでは絶対見ることのできない、三次元レベルの絶景だった。
 FM操縦士にとっての「上」とは、階上や屋根を突き破ったそのまた上、つまり上空のことを指す。浮遊モードにしたFMで競技施設以外での飛行規制ギリギリの高さまで浮き上がり、かつて操縦士だった彼は肩越しにこちらを振り返った。
「この機体って、翔が造ったんだっけ?」
「うん。動力やパーツはじいちゃんが作ったのを使ってるけど……どうかな、乗り心地的に」
「良いと思う。シートも安定感あるし、ハンドルも重すぎず軽すぎないし。スイッチやバーの位置はちょっと近いかもしれないけど、機体自体がコンパクトだから操縦士が慣れたら問題無いんじゃないかな」
 その言葉を聞いて、翔は心底安心した。整備士には一応試運転の権利があるものの、自分はまだ受験生の身だ。長い時間をかけて作り上げてきたこの青いFMでも、人が乗った際の感触は、自分が乗れなければわかることはできない。
「査定に出す前に、都合作ってまた乗りに来るよ。そこで最終的に微調整しよう」
「……ありがとう。助かるよ」
 素直に言葉に出すと、航は照れくさそうにおどけた様子で続けた。
「ま、俺自身も乗るの久しぶりだから、良かったらーって感じだけどな。それにしても、筆記試験もあって機体の査定もあって……って考えたら、ほんと整備士の免許って大変だな。操縦士なんて数回乗ったら即取れるのに」
 実際には、操縦士の免許取得にだってそれなりのハードルがある。まずは体格から始まり、身体能力や動体視力などの要素は勿論のこと、試運転時の脳波や心拍数まで細かく観察されるのだ。が、やはり門の幅は圧倒的に整備士の方が狭い。
「さっきだって、食べるのも忘れるくらい筆記の勉強してたんだろ? つぐみもだけど、翔も注意しないと本番で倒れるぞ」
「うん、気を付ける」
「最初は腕試しって言ってたのに、急に死に物狂いで勉強するようになったってつぐみも電話で驚いてたけど。夏の大会でも見て気が変わった?」
「そういうわけじゃないけど……」