Sparrow!!--#9:Evoke(07)

 試合が近付くにつれ、天井を睨む黎二の横顔には小さな火が見え隠れしてくる。しかしフライパンの下で燻る種火のようなそれに気が付くのは、恐らく彼の周りでも颯介だけだろう。これから試合直前までの間で、黎二の火は本人にも制御できないような威力にまで成長していく。その様子を独り占めできることを、颯介は整備士として一番贅沢なことだと感じるのだった。
 一セットを終わらせて一息ついているが、黎二はまだこちらに気付かない。こっそり近付いて脅かしてやろう。そっとドアに手をかける――と、別の手が横からぬっと現れてノブを握った。顔を上げると、久しぶりに見る人物がこちらと同時に目を見開いた。
「――あれ、たっきー?」
 名前を言われて相手、冴羽立葵はすぐに身を引いた。まだ何も言っていないのにばつの悪い顔をして、風に吹かれた風見鶏のようにくるりと身を翻す。
「じゃあ」
「ちょちょちょ、来たばっかでしよ!? つれないなぁ。そんなじゃモテないよ」
「……別にいい」
 勢いで腕を掴んできた颯介の手を、立葵は面倒臭そうに払った。前に試合で当たった時以来だから、実にひと月ぶりに話す。茉莉の姿が無いことに落胆しつつ、颯介は立葵の姿をまじまじと見た。
「それにしても――変わったよねぇ」  自覚があるのか、立葵は否定も謙遜もしない。黒いウェア越しに、肩回りが華奢だった以前とは見違えるほど逞しくなっているのがわかる。七月の雛との試合を機に髪を切ってから、彼の体躯は見かける度に厚みを増していっている。軽量型の翡翠に合わせて、立葵は筋力の強化は腰から下を中心に鍛えていたし、体重も上げなかったはず――と、ここまで考えてぴんときた。
「もしかして、翡翠改良する?」
 操縦士が体型を変えるということは、機体にも変化があるということだ。黎二だって、ホムラに合わせるために毎日体重を調整しているものだ。しかし、立葵は聞かれるのを見越していたようにさぁと言って流した。そのままガラス越しにいる黎二を見、無表情のまま話を別の所に移す。
「そういえば、次の試合再戦なんだって?」
「あれぇ、知ってんの」
「宝生さんから聞いた」
「うは。よくやるよなって思ってるでしょ」
 嫌味半分だったのだが、立葵はまたしても
「初戦の通りにはいかないんじゃない。宝生さん、案外頑張ってるから」
「まぁね。雛ちゃんは火事場の馬鹿力っていうか、土壇場で何やるかわからない怖さがあるよ。前より操縦上手くなってるしね。翔はどうだが知らないけど――たっきーは逆にあれから調子いいじゃん。後輩に負けて火が付いたってか?」
「……まあ。周藤は? 来年はどうするの」
「未定だよ。第一、声がかかるかもわかんないし。そっちは行けるかもだけど」
 本戦候補の中間発表では、黎二は七位になっていた。上に行けるか微妙なラインだ。本戦に行ける枠は星望杯後に決まるため、今の段階ではまだわからない。立葵は二つ上の五位。一度蹴ったスターヘイズからの誘いは無いかもしれないが、枠が極端に少なくならない限り、このまま行けば可能性はある。が、立葵は小さく首を横に振る。
「俺だって――」
 その時、言葉を遮るようにガラス越しの黎二が一セットを終わらせて身体を起こした。ばっちり目が合う。こちらではなく、立葵とだ。
 いつもならとっとと逃走する立葵が、この時ばかりは黎二の睨みに応じている。どちらが先にどう動くのか注目していたところ、意外なことに立葵だった。ジムに入るなり真っ直ぐに黎二の方へ向かい、ちょうど空いていた隣のベンチプレスに座る。颯介も後に付いて入り、絶妙な距離を取って壁際に待機した。二人は互いに目も合わせない。醸し出すピリピリとした空気はたちまち室内に広がり、各々のトレーニングに打ち込んでいた他の選手も手を止めて注目しだした。顔見知りの他の操縦士が颯介の元に近づき、耳打ちする。
「おい、珍しいんじゃね?」
「珍しい。引き分けになって以来。わくわくするね」
 ハブとマングースの邂逅を撮る珍獣ハンターよろしく息を潜め、思わずにやついてしまう颯介に、操縦士は「お前なぁ……」と呆れた声を出した。一方のベンチでは、セットの準備をする振りをしながらタイミングをとっていた立葵が口を開く。
「周藤、あの時は」
「悪かった、とか言うなよ」
「え?」
「手加減されても勝てなかったのは俺だ」
 言われたことが信じられないという顔で、立葵は唖然と目を上げた。黎二は不機嫌そうな顔を作り、乱暴な口調で続けた。
「本戦行くんだろ」 「……今季の結果次第だよ。取ってもらえるかもわからない」
「でも目指すんだろ」
「うん――まあ」
「俺は行く。次当たる時はマリンだ。そん時はぶっ倒してやる」
 黎二は顔を上げた立葵の顔面にぶち当てるように言い、おまけに彼のまだ細い肩をどんと叩く。
「それまで絶対負けんな」
 周りの選手達が道を開ける。自分の荷物をひっつかみ、黎二は流れるような動作で身を翻す。帰るぞという視線を受け、颯介は肩を竦めて壁から背を浮かせた。
「――周藤も」
 立葵がそう答えた時には黎二はもうジムの扉を押していたが、声ははっきりとこちらまで届いた。すたすたと数歩前を行く広い背に追いつき、颯介は黎二を覗き込む。
「何だかんだ言って、やっぱ嫌いじゃないんじゃん。たっきーのこと」
「俺は勝つ気のない奴が嫌いなだけだ」
 素っ気なくそう返した。務めて無表情を作っているその裏側に、わずかながらの上機嫌が汲み取れる。一番負けず嫌いに見えて、黎二はいつも勝利とは別のものを求めている。太く大きい木のように、強く真っ直ぐだからこそ感じる寂しさを、黎二はこの完璧な身体に携えている。素直じゃないなぁと聞こえないようにひとりごち、模擬試合開始のアナウンスを耳に留めた。グラウンドに面した窓からふと外を見れば、ちょうど青いFMが飛び立つところだった。


 ミニチュアサイズだったグレーの影が、視界の中心に入った途端に猛然と勢いを増して迫ってきた。
 フロートを上げそうになるのをぐっと一秒我慢する。互いに射程距離に入った瞬間、相手が赤色を放つと同時に下にブレイク。今度はこちらからの赤色が空の青に閃いた。
『入った!?』
「いや、惜しかった」
 雛の声に冷静を装って答える。放ったレールは相手の装甲を掠めて空中に消えた。雛は唇を噛んでいるのがよくわかるような短い間を置き、大きく息を吸う。
『もう一回――』
 飛び上がった機体を立て直し、再び距離を詰めていく。ブレイクのタイミングそのものは掴めるようになっていた。しかし交差する瞬間、相手のグレーの機体が急角度を保ったまま加速して、スパローの装甲に突っ込んできた。
「――つ、」
 画面の揺れに息を飲んだのは自分だった。無意識に目さえ瞑ってしまったことを瞬時に後悔する。スパローは宙でつんのめったように機首が上がり、フロートがバグを起こす。雛が上げた高い悲鳴にはっとし、手を添えていたバーを思い切り下げる。