Sparrow!!--#9:Evoke(04)

「あ、那智くん来たよ、翔」
 つぐみの声が弾む。チャンピオンとも知り合いなのかと思ったが、画面内で那智のインタビューが始まったので翔は口を噤んだ。
『――今年で引退されるとお聞きしていますが』
『はい。もうお前の顔は見飽きたと、協会長様から肩を叩かれたもので』
 アナウンサーに対して那智が破顔する。久しぶりに話しているところを見た。特に端正というわけではないが愛嬌のある顔立ちに中背痩身、どことなく颯介に近い雰囲気の、飄々とした青年である。近々三十歳になると聞いたが、そう思えないくらい若々しく感じる。
『そんなこと言って。貴方は長い間競技を引っ張って来られたのに』
『いやいや、俺は引っ張るなんてほどのことはしてません。最初から今まで、好きなとこに出て好きなように飛ばせて貰ってただけです。競技を引っ張っていると言える選手がいるとすれば、俺より少し下の世代じゃないですかね』
『例えば、望月選手とか?』
『まぁ、そうなりますね。俺が始めた頃は、まだ選手もこんなに大勢はいなかった。その分好き放題できたんです。後輩達は、俺が荒らした跡をしっかり整備してくれた。おかげで俺がFMに出来ることって、もう無いんです。だから、さっさと身を引いたた方がいいかなと。……勿論、華は持たせて貰いますけど』
「言うねぇ」
 はきはきとインタビューに応える那智に、つぐみがしみじみと言った。そして、画面を見たまま続ける。昨日の昼は何食べたっけ? とでも言うような惚けた口調で。
「翔と雛ちゃんは、最近ブレイクの練習してるの?」
 当然どきりとする。翔は食べ終えた食器をまとめていた手を止め、弛緩した母とは反対に警戒態勢を取った。
「してるけど、何で」
 ブレイクとは、立葵との試合でも使った垂直の滑空のことだ。上昇をブレイクアップ、下降をブレイクダウンと呼ぶが、基本はセットであるために区別して呼ばれることは少ない。那智の得意技の一つで、本来なら初心者では使いこなせない中級以上のものだ。現に雛は、ブレイク自体はあの時以来実戦では出せていない。火事場の何とやらというのは試合後の国枝の言で、要はまぐれである。今翔が言った通り、目下練習中の項目なのだった。
「ん? 那智くん見て思い出しただけ」
 わざとなのかそうでないのか、つぐみに「何で」の意味をひん曲げられ、翔は歯噛みする。
 たまに来る雛の家族とは違い、彼女は今まで一度も準戦を見に来たことがない。それどころか、話題にすることさえ無かった。立葵との試合の時も――翔が知る限りでは――見に来ていなかったはずだ。なのに、何故か雛が初級では難しいブレイクを身につけようとしていることを知っている。恐らくこっそり見に来ているか、国枝か誰かがリークしているかのどちらかだ。
「上手くいってるの?」
「……あんまり」
「どうあんまりなの」
「練習自体が上手く進められない。バーチャルでは取り入れてるけど、実戦では出すタイミングが無くて」
 正直に言った。しかし、こう返すしか無いのが悔しくて仕方がない。
 つぐみが翔では歯が立たない程優れた整備士であることは承知しているし、本人には絶対に言えないが、実の所一番に尊敬している。教えて欲しいことは山のようにある。が、親であるという代え難いことが翔にそれをさせない。尊敬しているからこそ自力で越えたい。つぐみの方も翔のそんな思惑をよくわかっていて、敢えて観ないでいるのだろう――と、勝手に思慮していたのだった。
 冷めてきたコーヒーをぐいと飲み、つぐみはFM特集が終わりアイドルコンサートの様子を映すディスプレイを見ながら独り言のように続けた。
「あれの難点は、バーチャルでは感覚が掴み難いこと。ダウンは整備の操作ミスでもフォールに繋がり易いこと。実戦でしか覚えられないから、模擬でも積極的に出していく他に無いわ。テストドライバーや陶子ちゃんに前もってブレイクを出すことを伝えておいて、客観的な意見も貰った方が良い」
「練習してるのを他の選手に見せるのか」
「それを気にするような立場?」
「だって、」
「あのね。見られたら対策立てられるかもってのもわかるけど、あんた達はまだ独断で訓練を進められるレベルでもないでしょう。秘密の特訓も良いけど、手探りでやって間違ったことを覚える方が後々怖い。まずは技術として先人に見て貰うこと。対策取られるのが怖いなら、使い所を考えなさい」
 言い返せない。負けたくないあまりに自意識過剰になっていたことを、翔は母の前で恥じた。
「まぁ、頑張って。あんたはともかく、雛ちゃんには元々素質があると思う。始めて一年で実戦ができてるだけでも、本来なら凄いことよ。フロースピンも一度できてるんでしょ」
「それは――」
「とにかく、負けるのを怖がらないで。ブレイクについては一回できたことが大きいんだから、自信を持つの。俺んとこの操縦士はこんなこともできるんだぞって、他の奴にも堂々と見せつけてやればいいのよ」
 そして、つぐみは小さく付け足した。
「どっちも、航にはできなかったんだから」
 その名前を出されたら、翔はもう黙るしかない。他のあらゆるスポーツと一緒で、操縦士にも得手不得手、適正というものがある。あの操縦士にできてこの操縦士にはできないということは当然あって、そして、雛は恵まれている方なのだ。それを活かせと、つぐみは言っている。
 食器を片付け、洗面台で支度をして、いつもより重いバックパックを持つ。今日の放課後は一応海峰園での実践の模擬を予約しているが、雨で中止になれば、陸央の家にあるトレーニングルームに赴いてバーチャルツールでの模擬をする予定だ。因みに、雛と陸央の家はどちらも新興住宅地にあるため、意外と近い。下町に住む翔だけが離れているのだ。別段苦にしているわけでは無いが、妙に羨ましくなる。勿論、陸央が。
 玄関で再度外を仰ぐ。雨は少し弱まったが、止む様子は無い。毎年雨の多い季節だ。つぐみの言うように週末までに実戦でブレイクを試しておきたいというのに、この調子では叶わないかもしれない。シーズン通しての黎二のプレーパターンは頭に入っているが、それは向こうだって一緒で、むしろこちらの方が不利だろう。前からの攻撃には耐性が付いてきたが、フォールに持ち込まれれば手も足も出ないのは変わりなかった。
 去年の丁度今頃に、雛は操縦士になることを決めた。 あの頃よりも、確実に前に進めているとは思っている。免許を取り、スパローに乗り、飛び方を教わり、選手としてエントリーした。けれど、
――貴方に勝てないと、選手になれない。
 初戦で雛が黎二に言っていたことが、まだ頭にある。去年から比べれば前には進めている。と思うのに、雛の中ではまだ自分達は始まってない。あれから半年近く経ち別の格上の選手に勝ってさえ、彼女が黎二勝つことを第一としていることが、その証拠のように見えた。
「フロースピンか……」
 国枝や香坂も、雛について語る時によく出してくる単語だった。一年前に初めてFMに――スパローではなく、協会の試運転用の機体だったが――に乗った時に、雛が奇跡的に出したという大技。翔もそこにいたのにも関わらず「出したという」と他人事のように感じているのは、自分にも雛にも全くその実感が無いからだ。覚えてないのである。あの時は事故になりかけたために必死で、余計なことは何も考えられなかった。
 あの那智でさえ使いこなすのにかなりの時間が掛かったという、フォールを超低空飛行に切り替えて凌ぐ技だ。勿論雛もあれから一度も出せていない。し、出せるのだとしても、ブレイクを取り入れることさえ恐れている自分にそんな大技を支えられるとも思えない。
 息をついて、翔は玄関の段差を一歩踏み出す。と、目の前に見慣れた人物が横切った。