Sparrow!!--#8:Avoid(15)

 七試合目を見守ったグラウンドに風が吹き、スタンドの縁にある風向計が北西を指した。
 スパローを引いていざ踏み入れる。搭乗台前での最終チェック。自分の対角線上にいる立葵の姿が見え、雛はグローブの下に滲む汗をハンドルごと握りしめた。試合の順番が早いおかげで、今日の食事はまだゼリーのみだった。固形物は腹に入れていない。故に試合前にカロリー及び集中力の無駄遣いをするわけにはいかないのだが、それでも試合相手はつい気になって注視してしまう。
「雛」
「わっ!?」
 突然名前を呼ばれ、心臓が体を突き破りそうに跳ねた。振り向くと、オペレーションボードの調整を終えたらしい翔がスポーツドリンクのボトルを手に固まっていた。
「大丈夫か?」
「ご、ごめん。ちょっと緊張してて」
 ちょっとどころじゃないでしょ。と、言ってすぐに胸中で自分に突っ込みを入れた。これほどの緊張は、初戦の対黎二以来だ。
「もう結構気温が高いし、今のうちに少しでも水分を摂って」
「うん、有難う」
 同じように緊張しているのか、雛のものが伝染したのか、ボトルを差し出す翔の顔もいつもよりも締まっている。周りを少し気にしながら、彼は声を潜めた。昨日立葵と話した後、雛は翔にとある相談をした。勿論、今日の試合のことである。
「あのことだけど――冴羽選手の傾向から複数回は狙えない。終盤まで粘って、俺がタイミングを取って合図を出すよ。それから、万が一危なかったら戦況に関わらずこっちで対応する」
「うん……ごめんね、無理言って。あ、あと、あとね、翔」
 ちょうど渇いていた喉を潤し、雛は思い切って例のことを打ち明ける。
「昨日はああ言ってたけど、今日冴羽さんに勝てたら、私……周藤さんに再戦申し込みたい」
「――うん」
 予想外にあっさりとした答えだった。
「良いの?」
「良いっていうか……再戦はずっとするつもりだったよな、雛は」
「えっ!?」
 更に予想外だ。翔には勘付かれないように気をつけていたというのに、ずっとという副詞を付けられるとは思わなかった。
「わかってたの?」
「うん、まぁ」
 雛に見つめられているからか、翔は照れ臭そうに視線をスパローに移す。すぐにでも空に上がれる状態の愛機が、雛と同じ驚き顔を浮かべて機頭をもたげているようだった。
「駄目って言っても、雛のことだから折れないんだろうし良いよ。黎二は特別だもんな。ただ、この試合の後すぐは駄目。終盤まで粘って力つけて、それから挑もう」
「翔……」
 雛が感嘆を続けようとした時、背後で職員が手を上げた。
「宝生選手、搭乗台に上がって下さい」
 いよいよである。いつもどおりスパローを搭乗台に上げ、すぐに飛べるようにセッティングする。地上から見上げる翔が、太陽の眩しさに目を細めた。
「じゃあ雛、落ち着いて。ピンチになっても、俺がいるから」
「うん」
「それでは第八試合を行います。カウントダウン、3、2、1――」
 ゼロ、の声と共に、雛はスパローと共に空に駆け上がる。一度高く飛び上がり、翡翠の位置を探す。美しい緑青の機体が、数メートル下をゆったりした速度で旋回していた。立葵がいる。同じ空の中に。
 シールドの内側に映し出されている、現在進行形で減っていく残り時間からは一旦目を背けた。そしてじっと頭で復習する。先程翔が言っていた「あのこと」。相手が立葵と決まった時、翔が颯介から入手したものと、それに対する雛のアクション。
――翡翠の攻略法。弱点は、一番の長所にある。
 颯介から貰った情報ではこうだ。ホバリング中にレールを当てられた際、一ヶ所だけ反応が鈍くなる場所があることに気が付いたらしい。その時の立葵はそれを技術でフォローして難なく勝利していたそうだが、颯介の目は捉えていた。恐らく、レールの電磁波が持つ僅かな振動に干渉され、その部位がささやかなバグを起こしているのだろう。その所為で、ホバリングからランに入るタイミングが一二秒狂う。無論、他の機体にはこの特徴は無い。翡翠が特殊な機体であることが裏目に出ている弱点だった。
 雛は徐々に高度を下げていった。距離をじわじわと詰めながら、まずは先制を狙う。できれば機頭近く、五点のポジションに当てたい。
 と思ったその時、すぐ下にいた翡翠の影が消えた。一瞬の短い赤。
「え――」
『先制? まさか』
 翔の声が、状況の読み切れていない雛に短い解説をした。シールドに4と灯る。ホバリングを使って位置関係をずらし、テール――機尾に当てたのだ。
 一旦距離を置く翡翠を見る。向こうもこちらの動きを見ているようで、徐々に距離をとっていった。普段の戦い方を捨てている――というよりも。立葵の、ここからでは黒一色に見えるシールドが、一瞬だけこちらを向いた。背筋が粟立つ。戦線布告だ。昨日の雛との会話の答えを、立葵は今の攻撃で表現したのだ。
 八分。視界の隅の数字がちらつき、雛は唇を薄く噛んだ。また少しだけ高度を落とす。この分を取り返さなければならない。
「近付いてみる。サイドでも当てる」
 焦燥が声に滲んだ。翔の返事を聞く間も無く、雛は翡翠の側に急接近する。交差する瞬間に、翡翠が止まった。短いホバリング。レールは宙を切り、フロートはもう遅い。再び距離が出来る。大きく旋回して加速、もう一度接近。近距離で浮遊する翡翠にレールを伸ばすが、すぐに躱される。しかも、こちらの方がサイドに打ち込まれた。
 目の前の4が6になる。翡翠はそのまま加速し、また距離が離れる。
 レールが当たりそうで当たらない。接戦でのコントロールが抜群なことはわかっていたが――彼が雛の煽りに応えて手を抜かずにやっていることを含めても――想像を頭一つ超えていた。秒単位で切り替わるホバリングと不規則な操縦で翻弄されるのは、パワー型の黎二やスピード型の陸央とはまた違うストレスがある。
 五分。これ以上は点をやれない。翻り、翡翠に斜め後方から覆いかぶさるように機体を進めた。美しいエメラルドに、自分の黒い影が重なる。
『連射!』
 翔の声に合わせて、雛はトリガーを二連続で引いた。前に試合で陸央がしていたことを盗み、こっそり練習していいたのだ。二本のレールはこれまでに無いほど綺麗に翡翠の側面に当たり、シールドの自点の位置に4と灯る。
「やった――」
 今の感覚を忘れぬように、雛はハンドルを握りしめた。


『すぐ後ろにいるわ。三十度くらい上』
 茉莉の声が聞こえた。うんと短く応え、立葵は高度を下げていった。相手に後方下から追跡される状態は不利だ。レールが当たらない距離を取りながら高度を上げ、旋回する。スタンドに沿った弧を描きながら、立葵はスパローの青い輪郭を注視した。
 六対四。まさか連射されると思わなかった。未然に防ぐこともできた四点、だからこそ惜しい。調子づいて最接近してきたスパローのレールをホバリングで躱し、もう一度サイドに打ち込んでやる。
 八対四。安堵の息をつくが、四点の差は大きいようで小さい。追いつこうと思えばすぐに追いつけ、反面先程のように少しの油断でも埋められてしまう絶妙な差だ。胸に鉛の礫が投げ入れられたような感覚に、立葵は思わず舌打ちする。それが発火して、腹がぐらぐらと煮立ってきた。
『久しぶりね』
「え?」
『舌打ちなんて』
 褒められることではないのに、茉莉の声は心なしか弾んでいるように聞こえた。
『私も悔しい。もっと点を貰いましょう』
 悔しい。そうか、悔しいという感情はこういうものだった。
 そんな初歩的な衝動をすっかり忘れていた自分が可笑しく、しかし立葵は姉の手前笑い声を殺した。最近は徐々に克服してきているものの、雛は前方からの攻撃に弱い。このまま逃げ切るのも良いが、駄目出しでフロント――五点加算の機頭面を狙ってやるのはどうか。
 思考が口角を引きつらせ、腹の煮え立ちが歓喜に似た奮えを帯びてくる。そんな自分の抑えられない感情が信じられなかった。今、自分は試合を楽しんでいる。