Sparrow!!--#8:Avoid(10)

 映像の主役でもある青年の足下にまとわりつく十歳にもならない自分は、今見ても別人ではと思うほど活発でよく喋った。青年に頭を撫でられてお喋りに拍車がかかり、撮影者の母に茶化されてむくれ、祖父に窘められてしぶしぶ客席に戻っていく。手を引かれながら、今よりも一段若い国枝と青いライダースーツを着た青年に向って、笑いがこみ上げてくるほど真剣な顔で手を振った。青年の横に寄り添う鳥に似たフォルムの青い中型FMには、スパローと同じ動力部が使われていたのを翔は知っている。マリンドームの人工芝と、試合前独特の客席のざわめき。星望杯を象徴する藍色の秋の夜が、画面のずっと奥の空を満たしていた。
「この時の第三試合が、あいつの経歴の中でもベストの試合だ。点数も試合内容もピカイチだったろ。まぁ、第四は惜しかったけどな……」
 そこまで言って、国枝は話を区切った。おそらくこちらに気を遣っているのだろう。映像の中で幼い翔と笑い合っていた操縦士の青年は、その第四試合を最後に本戦から退いた。その後は数年準戦にいたが、今では年齢による能力の衰えを理由にFMマッチ自体を引退している。物心ついてすぐに遭った親しい人物の挫折。彼が操縦士のキャリアを終わらせたことは、未だに翔の中では大きな出来事であり続けていることだ。
 ヒーローはいつまでもヒーローでいられない。FMのように人的にも物的にもコストのかかる競技を続けるには、企業に所属するプロになり――本戦に行って、勝ちながら上を目指す他ない。特に操縦士には、本人がのめり込めばのめり込むほど、淘汰されれば潰しがきかないリスクがある。操縦士だけでは選手として数えられないように、好きという気持ちだけでは成り立たないものなのだ。
 さて――と、国枝は外した眼鏡を脇に置いて伸びをした。
「お前、次の試合相手見たか? さっき来ただろ」
「はい、一応……あれ、国枝さんの所にも来るんですか?」
「ばっかやろ。あれは毎回俺が手動で一斉送信してんだよ。お前そのとぼけ方、雛ちゃんに似てきたな。あと念のために言うが、試合相手を決めてんのはAIだ。勘違いして賄賂持ってくる奴もたまにいるけど、俺はあくまで送信してるだけだからな」
 ここに来る途中に一度確認した通知のメールを、翔は再度開いた。冴羽立葵。勝ち星の無い今の状態では、できることなら見たくなかった名前の一つだ。あまり昼間の模擬に参加しない黎二と違い、彼はちょくちょくこちらの模擬に顔を出している。が、未だに当たったことは無かった。
「雛と仲が良いみたいなんです」
「何だお前。妬いてんのか?」
「や、やいっ……妬い、てません。この前の黎二との試合のこととか、色々教わってるみたいなんです。だから縁があるなと思って。冴羽選手は機体のコントロールも抜群で、だからホバリングも上手に活かせているし――あまり攻撃的じゃないから点数はいつも低めですけど、本当はもっと取れる選手ですよね」
「そうだ。お前もよく見てるなぁ。あいつはプレーこそ地味だから観客人気も周藤ほど無いが、スターヘイズが唾つけるくらいセンスがある。相手に合わせた攻撃を徹底してるから、能力の底も見えないし」
 顔を上げた国枝に、翔は頷いた。
「ですよね。ある意味黎二より怖いし、緊張もします。でも、試合が終わるまでは悲観はしません」
「お、自信あるのか?」
「そこまでじゃないですけど、あんまり弱気なことは口にしないようにしてるんです」
 負けることを前提で挑むことは、初戦の時から既にやめるようにしている。どれだけ相手とレベルに差があっても、自分ができる範囲で最善を尽くすのだ。やる前から諦めていては、今までやってきたことが全て水の泡になる。けれど、翔はまだ雛にも言えない不安を抱えていた。
「ただ……まだわからなくて」
「わからない?」
「気持ち的なことじゃなくて、具体的な面が――スパローを改良しようにも、どうやったら雛の良さをもっと出せるのか、プレーに繋げられるのかがわからないんです。香坂さんからもじっくりやるようにと言われるんですけど、今の成績では……。それにもし雛を傷つけたらと思うと、踏み出せなくて」
 初戦のフォールの絶望的な感触が、まだ翔の中では糸を引いていた。接近戦になれば落ち着かず、リンク越しに雛が声を上げる度にぞっとし、こちらで制御すべき所で出来ないことも多い。一方の雛は、陸央との試合から徐々に正面からの攻撃に慣れていっているのが客観的にも見て取れる。今では完全に、自分の方が足を引っ張りつつあるのだった。
 スプリングの効いた椅子の背もたれに身を預け、国枝は「そうだなぁ」と考え込む。片眉を上げ、伏し目になっている翔の肩をとんとんと叩いた。
「ま、そんなに思いつめずに――焦らずやることだ。来週には本戦候補も出てピリピリするし、気候も変わって体調不良や事故が増える。夏大会もあるから、俺らも落ち着かないしな」
 星望杯に出る選手を決める本戦の夏大会のことだ。自分達のことで精一杯な所為で今の今まで忘れていたが、選手にとって大きな山がまさに目と鼻の先まで迫って来ているのだった。
 来週から七月になる。いつも通りの開催なら、最終の土日に行われるだろう。忘れもしない去年のその日に、翔は初めて雛とまともに会話したのだ。あの時は、まさか彼女と一緒に選手になっているなんて思ってもいなかった。
「今年の本戦は盛り上がるぞ。なんたって、那智が今年限りで引退するって宣言してるからな」
「えっ」
 こちらの回想を破るほどのニュースが、国枝の口から飛び出した。無論初耳だ。やっぱりなとでも言うように国枝はにやりと笑う。
「まぁ那智も三十だし、本人の性格的にも今が一番良いタイミングだよ」
 那智清天は三連覇を数える歴代最高の本戦チャンピオンである。白銀の華奢な機体・ファルコンに乗り、卓越したコントロールと、思い切りの良い加速に加え、フロースピンという地面ギリギリを滑空する特技を持つ。本人が華やかな印象の青年であることと負け知らずの成績から、今一番知名度も人気もある選手だ。
「翔、知ってるか? 那智のフロースピンは、元はあいつの天賦の才だったって」
「だった?」
「最初は勘だけでやっていたんだ。あんなこと普通なら勘でできるだけでも稀なことだが、数十回に一度成功するかしないかで、実戦で使うなんてことは甚だ無理だった。機体を地面につけるだけならいいが、身体ごと突っ込むことの方が多くて怪我ばっかだったんだ。それを今の整備士がファルコンを改良して、一年くらいか……何度も何度も挑戦を重ねて、いつしか百発百中の技にした」
 まるで自分のことのように得意げな顔をして、国枝は言った。
「一年も……?」
「そうだ。ま、そうは言ってもあの頃は二人とも学生だったしな。だから、那智だけの天賦の才というのは昔の話。今は、あいつらの努力の賜物だ。最初から完璧というものは誰にとっても無いし、不安を拭って自信を付けるには、結局試行錯誤を繰り返すしかない」
 そこで伸びを一発。再度眼鏡をかけ、国枝はキーボードに向かった。
「それに、滑空には俺達職員もちゃんと立ち合う。上にも必ず常に一人は飛んで監視をするし、マットも常備する。フロート介入も必要なら行う。失敗しても事故に繋がらないように、俺達がお前をサポートする。お前の気持ちもよくわかるが、怖がったり焦ったりせずじっくりやれば、きっといつか目の前は開ける」
 翔ではなく目の前の画面を見つめ、むしろ自分に言い聞かせているような口ぶりだった。が、この仕草が彼なりの照れ隠しであり、励ましであることを翔は知っている。
「有難うございます」
 かつて翔のヒーローと組んでいた整備士は、集中している振りをしながら軽く手を振って寄越す。一礼して事務室を出ると、タイミングよく横で雛の声が上がった。
「あ、いたいた。翔!」
 通路の奥から、アップで息が上がったのか頬を赤くさせたままの雛が走ってくる。端末で時間を確認すると、あと二十分ほどで模擬試合が始まる頃だった。
「探した?」
「ううん、国枝さんがここにいるって聞いて来たから。陸央くんは模擬に行ったよ」
「そっか。――って、何で颯介がいるんだよ」
 雛の背後に見えるいけ好かない顔に視点を移して、翔は眉を顰める。昼間の練習にはあまり顔を出さないはずの人間が、さも当然のようにそこにいるのであった。
「あっ、久世さんとは、途中でたまたま出会って……」
「翔に会いたかったから、来ちゃった」
「は?」