Sparrow!!--#8:Avoid(07)

「あれ決めたの、たっきーでしょ? 茉莉ちゃんが謝ることじゃないよ。黎二はまぁ怒ってたけどもう切り替えてるし、俺もそんな気にしてない」
 茉莉が想像していたのとは反対に、颯介は呆れることも無くあっけらかんと返した。その上で、「でも」と続ける。
「今日の模擬は昨日とは違ったね」
「見てたの?」
「うん。昨日っつーか、いつもの試合よりもずっと気迫があったと思う。動きも積極的だったじゃん? いつものやらしい感じが無かった――って、別にエッチな意味じゃ無いよ。あいつの、勝てそうで勝てないとこのこと。受け身で最小の点差で逃げ切るいつもの流れも無くて、さっきは一瞬見違えたんだ。笑っちゃったよ。なんだ、攻められんじゃんって」
 颯介はおどけて笑い、すっと真顔になって不意に外を見た。茉莉もその視線を追う。窓から覗くまだ低い月が、ぼんやりと曖昧な輪郭のまま立ち尽くしている。グラウンドで訓練をする滑空音が、空中の湿気を裂いて微かに耳に届いた。
「諏訪さんがもう辞めるからっていうのはわかるよ。でもたっきーの悪いとこだよね。ああいう、相手に合わせて戦うのさ。相性で合わせることはあっても、あいつがこだわる部分ってそこじゃないんだよ……茉莉ちゃん?」
 こちらが黙っていることが気になったらしい。言いすぎたと思ったのか、颯介は整った顔を僅かに歪ませてこちらを見た。が、茉莉の方は特に癇に障ったわけでは無い。擦り切れた指先から一旦胸に引っ込んでいたものが、今度は喉元にやってくる。視線を彼から足下に下ろし、茉莉は弟には言えない一言を零した。
「久世君……私もね、星望杯に行きたい」
「うん、知ってる」
 我ながら脈絡の無い呟きに、颯介は即答した。
「そのために頑張ってんじゃん。元々男がやることなのに、その上大学と両立させながらさ。誰にだってできることじゃないよ」
「――……有り難う」
 予期せぬ励ましに、すっと肩から力が抜けていくのを感じる。歩きながら、茉莉は身体の前で手のひらを組んだ。マニキュアさえも知らずにいるこの手のことを、彼なら好んでくれるのだろうか――と思い、茉莉は慌ててその考えを取り消した。彼は依存をする相手ではない。ライバルだ。だから相談に乗り、励ましながらも、こちらが星望杯に行けるよとまでは決して言わない。
 けれど、今の茉莉にとってはそれで良いのだ。不確かな賛同を得ることなど二の次で、結局のところ、溜まっているものを吐き出して自分自身が満足できれば良かった。口角を少し上げながら、茉莉は続ける。
「私、最初は立葵が羨ましくて整備の勉強を始めたの。FMの訓練を始めた頃のあの子が、毎日本当に楽しそうだったから――私があそこに憧れられたのは立葵のおかげ。夢を見せて貰ってるお返しに、立葵が一試合でも多く飛べたら良い、一緒に星望杯に行きたいって思ってた。でもね、立葵は、今は私や周りの期待に合わせて、無理してるんだなって思う。限界なのよ。試合になると消極的になるのが、その証拠。……私が、無理させてるのよ」
「茉莉ちゃん、もしかして――」
 立ち止まり唖然とこちらを見る颯介を、手を差し伸べることで遮る。出入り口が近い。これから訓練をするのなら、颯介はもうドックの方へ戻らなければならなかった。
「ここまでで良いわ。有り難う。話を聞いてくれて」
 颯介の手から荷物を取り、茉莉はやっと小さく笑った。


「一枚上手だったな、向こうが」
「香坂さんも同じ事言ってた。そろそろ研究されてる頃だって。ああ――ほんとに悔しい負け方」
 翔の肩越しに画面を見ていた陸央が苦々しく言う。いつもの海峰園のロビー。模擬待ちの空いた時間を使って、先日の試合のインサイドを観せて貰っていたのだ。緩い癖のある髪を掻き、陸央はいつになく口を尖らせる。相手は本戦候補にもなっている大学生だった。雛と翔はまだ当たっていない選手で、そこから話が発展して観るに至ったのである。パワーは黎二ほどではないが速く、何より相手の軌道をよく読んでいる。瞬時に何通りかの予測を立て、その上で選択をしているのが雛の目から観ても明らかだった。
 しかし、画面の中の陸央はどう動けば一矢報いることができたのか、自分ならどう立ち回るのか、雛には言葉にもすることができない。脳内でシミュレーションをする前に、できることが限られているが故に想像の枠が狭いのだ。インサイドを観たいと言い出した張本人のくせにああともええとも言わない雛の隣で、翔が端末を陸央に返しながら唸る。
「ううん、中盤までは良い線行ってるように見えるんだけどな。一回逆転してるし」
「実際はそうでもないよ。点は取れても流れ自体が思った通りにならなくて苛々して、最中に何度も香坂さんから注意された。焦ってるのが操縦に出るから踊らされるってさ」
 そう言って、陸央は伸びがてらに立ち上がる。翔と同じかやや高いくらいの位置から、彼はこちらを見下ろした。
「データはそっちに預けとくから、雛が当たったときに参考にでもして」
「いいの?」
「うん。今年はもう当たらないだろうから。リベンジも掛けないし。――ほら雛、順番来るまで時間あるんだから走るよ」
 手のひらでスタンドアップの合図を取る。それ程長い付き合いではないが、陸央は最近どことなく香坂に似てきた。口調というか、切り上げ方等の端々が香坂のそれなのだ。同い年の選手というよりも教師に言われているような気分になる。翔も移動用に荷物をまとめ始める。
「俺は国枝さんに用があるから、行ってきたら」
「うん。後でね」
 軽く手を振り、事務室へ向かう彼と別れた。海峰園の外周へとさっさと駆け出していく陸央の後を追い、会話ができるほどの距離にまで詰める。
「――陸央君はリベンジ使わないって決めてるの?」
「香坂さんの意向だよ。初年度だし、勝敗に執着しないで一人でも多く相手にした方が良いって」
 速度を落とさず答え、陸央は肩越しに振り返った。
「というか、僕自身もあんまり使いたくないけどね。リベンジって要はただの自己満だし、見世物的に後から追加されたルールだからそんな凝ることじゃないと思ってる。試合の時にたまたまこっちのコンデションが悪かったとかトラブルがあったとか、よっぽど惜しい試合じゃない。雛と違って」
「何それ」
「使うつもりなんでしょ? 雛って執念深いし」
「深くないよ!」
「そうかぁ? でも、負けばっかだからリベンジも大変だよねぇ」
「ぜ、全員じゃないってば」
 一応、引き分けの試合もある。雛がむきになりかけたのを機に、陸央は完全にこちらを向いた。
「当たり前だってば。冗談だよ、そんなことやってたら切りが無い。使いたいの、どうせ周藤でしょ」
「うっ」
「初戦のこと引きずり過ぎだって。今何月だと思ってんの」
「だって、勝たなきゃ意味ないもん。あの人には」
 先日も立葵相手に同じことを言ったような気がする。雛は一気にスピードを上げ、陸央を追い越した。
「ほら執念深い。何かあったわけ?」
「……馬鹿にされたから」
「普通じゃん」
「私じゃなくて、翔が」
 立葵には言う必要の無かったこだわる理由は、単にそれである。単にとは言え雛にとっては初戦どころか、最初に会った時から引きずっていることなのだった。選手としての黎二は尊敬するが、初対面の時のやりとりの悔しさはまた別物だ。「お前はもっとふさわしい奴を選ぶと思っていた」だなんて言葉は二度と翔に対して言わせたくないし、言わせるような自分は早く卒業したいのだ。黎二に勝たないと操縦士になれないという思いはそこから来ている。そしてそう伝えた時の黎二の反応を思い返すに、彼にはきっと意図が殆ど正確に伝わっているのだろう。
 しかし翔はそうは思っていないだろう。どちらかというと陸央と同意見、同じ選手に何度も試合を申し込むよりも、できるだけ沢山の選手と当たった方がよいと考えていることは、いくら執念深く私情を持っている雛にだってわかる。それに、黎二を倒す前に誰かにせめて一勝したいのはこちらも思っていることだった。