Sparrow!!--#8:Avoid(05)

「……どうやったら、そんなに強くなれるんですか」
 思わず滑り落ちた滑稽な問いに、雛は言ってしまってから羞恥を覚えた。既に強い者から享受して貰うだけでだけで解決するなら、誰だって苦労しない。それに元から素質を持っている立葵にそれを聞くのは、空を飛ぶ鳥にどうして飛んでいるのと聞いているようなものだ。自分の浅はかさに口をつぐむ雛に、立葵はまたやんわりと助けを入れた。
「俺には、これしかないから」
 苦笑と自嘲が混ざった、それでいて優しげな笑みが、彼の薄い表情筋をぎこちなく緩ませる。よく見ていなければわからない程の差だったが、雛は気付いてしまった。まるで僅かな風で厚いカーテンがはためき、薄暗い部屋に細く日が差したような表情。その日差しが照らしたものを、雛は瞬時に捉えて言葉にする。
「凄く好きなんですね、FMが」
 立葵は初めて驚き、目を見開いた。
「そんなことは無いと思う。……他にやることもやりたいことも特に無いから、時間をかけられるだけ。君や周藤みたいに、目標があってやってるわけじゃないんだよね。だから、好きって程じゃないよ」
「そうですか? だって――」
 雛の言葉を避けるように、ゆっくりと頭を振って遮った。
「ごめん、出番次なんだ。急がなきゃ」
 模擬試合中のFMの音が、壁を貫いて小さく耳に入った。いつの間にか彼が自分に合わせて歩調を緩めていたことに気付き、雛ははっと脚を止めた。
「すみません。引き留めて」
「良いよ。あと、俺は君のことは凄いと思ってるんだ。嫌味じゃなく。次は勝てると良いね」
 そう言い残し、立葵は先を急いだ。彼の薄い背中がグラウンドに向かう方に遠ざかっていくのを見送り、雛も踵を返す。元いた場所に戻ると、バックパックに荷物をまとめた翔が待っていた。誰かと連絡を取り合っていたらしく、こちらに気付いて携帯端末を作業着のポケットにねじ込む。
「雛、涼介着いたって。搬出に行こう」
「うん。帰ろう」
 スパローを橘川家のガレージに戻し、そこで更に一時間ほど基礎訓練を行う。プラットフォームに向かって歩きながら、翔が控えめにこちらに目配せした。
「何の話だった? 冴羽選手と」
 昨日の黎二とのことは、まだ翔にも陸央にも話していない。居合わせてしまったとはいえ雛は部外者であるし、あれはあくまで黎二と立葵の問題だ。
「昨日の周藤さんとの試合のこと、何でも良いから聞いておこうと思って……でも、教えることは無いって言われちゃった」
 こちらの返事に、翔は真剣な顔を崩さず「そっか」と呟いた。教えることは無いと言われた理由が、こちらの力不足であることもすぐにわかったのだろう。僅かに肩を落としたものの、瞳がまた考え込んでいる色になっている。
「――翔は、好き?」
「えっ!?」
 不意を突いた雛の問いに、翔は何故か一瞬で真っ赤になった。すぐに雛にも伝染する。気がはやっているのか、それとも逆に緩んでいるのか、自分は翔に対して意味を取り違えるような言い回しをしてしまいがちだ。
「えっと……FMのこと。翔は、FM好きだよね?」
「ああ――好きだよ。じゃないとこんなに続けられないし、チャンピオンも目指さないし、免許も取らないし……雛のことも誘わなかった」
 照れくさそうに言いながら、翔は何で今こんなことを、という顔をした。一方の雛は、彼のその表情も含めて無性に安堵する。手ぶらになっていた彼の右手を取り、赤面したままはにかんだ。
「私も、好き」


 ライダースーツに着替えて出たグラウンドは、予想以上に熱されていた。
 指定された搭乗台に向かいながら、立葵は斜めに差し込む強い日に顔をしかめる。模擬試合では撤収と準備が同時に行われるため、グラウンドは通常の試合よりも騒々しい。行き交う職員を避け、なおかつ目立たぬように人工芝の上を横断する。太陽のある方向から名前を呼ばれて目を細めると、翡翠の調整をしていた茉莉がこちらに駆けて来るのが見えた。黒く長い髪は試合ではひっつめているが、練習では何もせず垂らしている。それが、横から吹く浜風に巻き上げられていた。風向きは南、気温の割に強い。湿気が多いせいか――などと立葵が考えている間に、傍に来た姉はいつになく切羽詰まった様子で強引にこちらの腕を掴む。
「立葵、ちょっと来て」
「何?」
 こちらが訝しく思う間に、姉はぐいぐいと芝生の上を進んでいく。相手選手の搭乗台へと向かいながら振り返り、神妙に言った。
「諏訪(すわ)さん、今月で引退されるんだって」
「は――」
 あまりに突然のことに、理解が追いつかなかった。諏訪は今日の模擬の相手である。陣地に着くと同時に姉の手から離れ、立葵は自ら彼本人に駆け寄った。
「何で? 何で辞めるの?」
 挨拶もなく詰め寄る立葵を、彼は申し訳なさそうな顔でもって迎えた。傍らには、彼の年季の入ったボルドーの機体が寄り添っている。
「試合の操作で無茶して、古傷が悪化したんだ」
「シーズンいっぱいは保たないの? こんな中途半端な時期に辞めるなんて、らしくないよ」
 彼は本戦選手だった時に事故で肘を痛め、リハビリを経て準戦に戻ってきた経緯を持っている。今年エントリーしている選手の中では最年長で、デビューした当初からよく相手をして貰っている立葵にとっては数少ない親しいFM選手の一人だ。縋るような立葵の口調に、当の諏訪も「その言い方もお前らしくないな」と寂しげに笑った。
「有難う。でも、見た目よりかなり重症なんだ。どっちにしろもう歳だし、元本戦選手が二度目の事故なんてしたらかっこ悪いだろ?」
 苦笑する彼から、立葵は目を伏せる。長く伸びた影。太陽はシールド越しに見ずとも赤く、色の削がれた光は真昼のそれよりも鋭い。FMに乗っていても一番飛びにくい時間帯であり、春から夏の試合が日暮れ前に終わり、星望杯が日没を待って行われるのはこの所為なのである。それもあり、立葵は夕方が嫌いだ。強い日差しが目に染みて、正面さえも上手く見れない。背を向けかけた立葵に、諏訪がまた言葉を投げ寄越す。
「お前との模擬も今日が最後になると思う。……だから、手加減しないでくれよ。最後くらい、本気で来てくれ。お前に勝ちたいんだ」
 思わずぎくりとする。けれど諏訪の表情から、昨日の試合を知っての発言ではないことは明らかだった。無言で小さく頷き、立葵は翡翠を引いて自分の搭乗台に向かう。
「立葵」
 オペレーションボードの調整を終えた茉莉が、心配そうにこちらを見上げる。
「大丈夫。誰だってあることだから、別にショックじゃないし」
 言いながら、立葵は顔を見られないように努めた。翡翠に跨がり、さっとヘルメットを被る。シールドの青さが溶けて消え、愛機に乗る諏訪がこちらを向いているのがわかった。
 誰だってあること。怪我や歳による引退なんて、操縦士には必ず訪れるものなのだ。諏訪だけじゃない。自分にも黎二にも、雛にも。挫折をせずにずっと続けたとしても、最後には必ず身体的に飛べなくなる日が必ず来る。それは例えチャンピオンでも、本線から準戦に降格になった選手でも同じだ。
 雛に言ったばかりのことがフラッシュバックする。自分にはこれしかない。一度全部捨てた自分の手には、今はただ一つ、FMだけしか無いことを立葵はよくわかっている。これを失えば自分にはなにも残らないから、捨てられないし、捨てたくない。操縦士を目指すようになり、ずっと空に残っているためには、誰よりも強くなければならないことに気付いた。だから自分は強くなったのだ。けれど最近は、その強さの意義がよくわからなくなっている。
『――立葵、来るわよ』
 茉莉の声が低く聞こえた。うっかり漫然となっていた意識が、諏訪の機体のエンジン音によってリアルに引き戻される。ランとフロートを同時に絞った。翡翠は両方の値を特定の数値に合わせることで、ホバリングの状態になるのだ。グラビティ・ドライブが起こす悲鳴が、飛び立ってからずっと続く耳鳴りを更に酷くする。
 本気で来てくれ。昨日のことでは無いかもしれないが、諏訪はわかっているのだ。立葵が試合に対して本気を出せない臆病者であることを。
 唾を飲み込み、そのまま息を止める。すると、耳鳴りはほんの少しだけましになる。諏訪の機体の影が視界に入るごとに言いようのない喪失感が胸に広がり、同時に他人に対する義理や執着が少なからず自分にあったことに驚いた。射程距離に入った途端繰り出された赤い光をコンマ単位の動作で躱す。短く息を吸い込み、瞬きも忘れて空を見る。
 昨日は長く感じた十分間は、瞬く間に過ぎていった。