Sparrow!!--#8:Avoid(04)

 答えられず、沈黙が降りた。しかし祖父はその間で十分利を得たのだろう。頬張った残りの卵を飲み込んで二杯目の麦茶を注ぎ、そこで何かを思い出したのか「そういえば」と顔を上げた。
「進次郎の孫のペアも頑張っているみたいだな」
「……そうだね」
 一瞬誰のことだかわからなかったが、進次郎の孫とは昨日遭った宝生雛と組んでいる橘川翔のことだ。話したことは勿論無いものの、姉がよく話題に出すので顔は知っている。
 進次郎――橘川進次郎は祖父の旧友であり、FMを開発した研究チームの責任者だった人物だ。星馬重工を退職した後も祖父と交流があったが、二年ほど前に亡くなっている。翔は母親も元整備士の言わばサラブレッドで、十六という若さで免許も取っている。初めはどんな操縦士と組むのかと話題になったが、蓋を開けてみれば、予行訓練も受けていないどころか知識もない素人の同級生だった。
「お前みたいな本戦候補も良いが、ルーキーを追うのも面白い。最初から比べても、あの女の子はもうだいぶ良くなっている。先週やっと引き分けを取ったんだぞ」
「知ってるよ」
「ほう、お前もよく見ているじゃないか。どうだ。見ていて素質があると思わんか?」
「ああ――」
 特別意識をしているわけではないが、雛のことは操縦士の適性審査の時から見ている。去年の九月に行われていた彼女の適性審査で、試用機が滑空中に故障しやむを得ず自動運転から雛自身の操縦に切り替えたというトラブルがあったことを思い出した。リンクでの指示が入っていたのだろうが、事前のバーチャル訓練さえも行っていない全くの素人の雛が無事に地上に生還したことには、立葵自身もらしくなく驚いたものだ。その上あの時、彼女はある素人らしからぬ技をやってのけていた。スタンドで傍観していた他選手もざわついていたから、見間違いでは無いはずだ。
「……まぁ、あるかもね」
 立葵の返事に祖父は少し笑い、両手を組んで祈るようなポーズを取る。
「ただ、あの子は相手運も悪いからな。今後お前と当たらないように祈っておくとしよう」
「どういう意味」
 ごつい体格に不釣り合いな祖父の様子が可笑しくて、立葵はやっと少し笑った。


 画面の中で、スタンドのオレンジ色が半回転した。
『雛、下降しよう』
『うん』
 流れる景色に、数分前の自分達の会話が重なる。視界は一瞬フロートで浮いた後、ぐんと高度を落とした。地面が近づく。グラウンドに近いところを旋回し、真上に影が差したタイミングでで画面内の雛はじわじわと上昇していった。相手になった選手のイエローの機体が見える。斜め下から接近し、向こうは機体を翻してスパローを躱した。体勢を戻すと共に、遠ざかりゆく相手にレールを一発。側面に当たったと思ったが、ギリギリでリーチの外に捌けられていたらしい。雛の点数には何の加算もされないまま、試合終了の合図を最後に、ディスプレイは黒一色に落ちた。周囲のざわめきが戻ってくる。
「最後は惜しかった」
 雛と同じように画面を覗き込んでいた翔が顔を上げた。二人は模擬試合を終え、通路のベンチに並んで、つい先ほど出来上がったばかりのインサイドを見ていたのだ。
「もっと早く撃てれば良かったのかな」
「いや――レールを撃った後には隙ができるから、それだと向こうに撃たれていたかもしれない。ちょっとでも待って正解だったと思う。……俺も雛も接戦になると焦りが出るから、少し待つくらいの気持ちでいた方が良いんじゃないかな。勿論、すぐに撃って攻める方が良い場合もあるけど……」
 翔はゆっくりとそう続けた。考えながら話している時の彼の癖だ。思考だけが先に行ったり乱雑になったりするのを防ぐために、祖父から刷り込まれたらしい。
 きっと照れくさがるので口には出さないが、雛はこの癖が出ている時の翔が以前からとても好きだった。懸命に考え込んでいる瞳は人の手の入っていない泉のように澄んでいて、見ているだけで胸が透き通っていくようだ。話を聞きながら、雛はつと真剣な横顔を盗み見る。けれどそれも束の間、不意にその綺麗な泉がこちらを向いた。
「……雛、顔赤くなってないか? 体調悪い?」
 彼は彼で、雛のことをよく見ているのである。普段は自制している煩悩を読まれた気がして、雛はしどろもどろに頭を振った。
「えっ!? そ、そんなことないよ。まだ平気」
「無理はするなよ」
「ほんとに大丈夫なの。ねぇ翔、これからアウトサイドも借りて――あ、」
 昨日会ったばかりの長身が、視界の隅を横切って行った。雛は顔を上げ、そのままの流れで立ち上がった。
「雛?」
「ごめん翔、ちょと待ってて」
 言いながら、雛は通り過ぎて行く背中に向かって走り出した。
「――冴羽さん!」
 黒いウェアに覆われた薄い背中が振り向いた。試合仕様なのか、昨日は垂らしていた前髪の一部をポンパドールにしているおかげで、今日は顔がよく見える。立葵はこちらを見るなり数回瞬いて、ため息がちに呟いた。
「噂をすれば……」
「え?」
「いや、こっちの話。何か用?」
 口ではそう言いつつ、立葵は視線を脚の向く方向に戻した。歩調を合わせて後を追いながら、雛は続ける。
「昨日、大丈夫でしたか? ぶつけたところ」
「ちょっとこぶになった。でも、別に痛いほどじゃない」
「良かった。今日は模擬ですか?」
「うん。そっちは惜しかったね」
「見てたんですか」
「ロビーのディスプレイに中継流れてたから。姿勢は良くなったと思うよ。滑空中も安定してるし、試合に慣れて度胸付いてきた感じがする。初戦の時と比べたらかなり良くなってるって、うちの身内も褒めてた」
「ほんとですか? 有り難うございます……!」
「というか、あの時が特に悲惨だったんだよ。まぁ、相手が相手だったし――周藤ってああいうタイプなんだ。相手がどんなレベルでも常に全力で叩いてくるっていうか、見せつけてくるっていうか」
「でも私は――周藤さんのそういう勝ちにこだわってるところ、嫌いじゃないです」
 雛の素直な反論に、立葵は少しの間閉口した。
「……変わってるね」
「確かにちょっと手荒だし、危ないって思う時もあるし、会っても怖いんですけど、勝つことって大事なことだから……それに私、あの人に勝ちたいんです。絶対に」
「へぇ」
 立葵は視線を反らし、気のない相槌を寄越した。黎二の話題を振られているからだろうか、その口調にはどこか苛つきが見える。
「だから?」
「だから、その、冴羽さん、昨日の試合は――」
 彼の視線がつとこちらに戻る。不意に近付かれた野良猫のような、不快さより警戒心の方が際立った目だった。雛は慌てて手を振る。
「あ、違うんです。周藤さんとか、久世さんが言ってたことじゃなくて……試合です。周藤さん相手に優勢に進めていたのを見るの、冴羽さんが初めてでした。何か対策されてたりするんですか?」
「ああ……あれはただの相性だよ。翡翠は軽い上にあんまり速さの出る機体じゃないけど、ホバリングがあるおかげで空中では安定するんだ。だから普通よりもフォールしにくいし、ホムラみたいにパワー優先で小回りが利かない機体には強い。それだけのことだから、周藤の対策として君に教えられることは無い。スパローはバランス型だし、まず技術的にも周藤の攻略はまだ君には難しいと思う。最初の相手だから特別執着してるのかもしれないけど、割り切って焦らず勝てる試合を取っていく方が賢いよ」
 先回りされた正論に、雛はしばし返す言葉を失った。だが雛にとっては、黎二に勝たなければ意味がないのだ。黎二に勝つことだけは、他の勝利とは別なのである。言葉に詰まった雛に、立葵は重ねて言う。
「それに、俺も一年目はしょっちゅう負けてた。最終で六割五分くらいだったかな」
「六割……」
 呆然と復唱するしかない。ルーキーで六割五分といえばかなりの好成績だ。陸央ですら連勝していたのは雛との試合まででその後は負けや引き分けの比率が多くなっており、最終で五割取れたら良いかなと自分で計算している程だ。雛はと言うと、次の試合から全勝したとしてもやっと五割に行くかという成績である。立葵はフォローのつもりで言ったのかもしれないが、こちらにとってはまざまざと差を知らされただけだ。