Sparrow!!--#7:Grow(15)

 これが差だ。手に汗が滲むが、翔はそれを悟られぬように拳の中に押し留める。領空に沿って大きく旋回した陸央が、加速しきったスピードそのままに再び機首をこちらに向ける。
「雛――!」
 三度目の交差。動揺が出たのか、雛のレールが完全に一拍早いタイミングで空を切る。その隙に、陸央がこちらの側面に向けて即座に光を放つ。
「二発……」
 驚嘆が口をつく。一拍遅れで観客が沸いた。スタンドのディスプレイに“4”と表示されて初めて、今陸央がレールを連射していたことを知らされる。あまりにも鮮やかに、四点もの差が開いてしまった。普通よりも速度のあるフロンティアを操りながら、ここまで精密なこともできるのだ。ノイズの向こうで、雛がほぞを噛む。
『ごめん……!』
「謝ることじゃない。大丈夫だ、まだ時間はある」
 しかし、安心できるほどの残り時間でもない。あと二分と半。現在進行形で削られていく中、どうすれば陸央に勝つことができるだろうか。香坂の言葉が頭に過ぎる。基礎の範囲――自分たちにできる範囲内でしているから、相手にとって戦いやすいのだ。こちらの動きは読まれている。点を取るには、陸央に予測されない動きをする必要がある。
「正面を狙うか……」
『え――』
 不意に出た呟きを雛に拾われ、翔は我に返った。
「あ、いや――今のは無し。やっぱりまだ危険だ」
 リンクを繋げたまま、翔は自分の考えを却下した。正面を撃って点が取れれば五点が入る。残り時間から鑑みるに、逆転を狙うならば方法はこれしか無い――が、接近するだけでなく、撃ってすぐに回避を行わなければならない。その上、相手も動いている。正面からの攻撃を苦手とする今の雛には何よりも酷な提案だろう。模擬ならともかく本番で、自分の弱点に自ら突っ込んでいくことになるのだから。けれど、
『ううん』
 空中で、雛は頭を振った。
『やってみる。上手くできるかはわかんないけど、ちょっとでも霧島君に近づきたい』
「でも――」
『危なかったら……私じゃ間に合わなかったら、翔の方でラン下げて』
 ラン値を下げれば、減速する代わりに高度が上昇する。フォールを上手く躱すことができるが、次の切り替えへの間がどうしてもできてしまう。これが最後の攻撃になるからこそ、雛はこの攻撃を決めたのだ。
「――わかった。タイミングは霧島のリーチ前、一瞬だ。それに掛けよう」
『うん』
 雛の決断を助長するように、スパローがぐんと加速度をつけた。旋回して角度を取り、一度離れた陸央の軌道上に入る。完全に相対する形になり――本能的な不安が出たのか、ノイズの奥で雛が密かに息を飲んだ。
「雛、大丈夫だ。俺がいる」
『うん――有難う』
 空の上で、彼女が少し微笑んだのが分かった。しかし、それに感じ入っている暇は無い。高度と速度はそのままに、視界にはもう目の前にフロンティアが迫る。陸央には既にこちらの狙いがばれているだろうが、もう回避がスピードに追い付けない程接近している。
 十一、十、九――
「今だ!」
 スパローがレールを放つ。軌道を傾ける機体とは反対に、赤い光が真っ直ぐにフロンティアの機頭に飛び込んでいく。ここからでは黒一色に見える陸央のアイシールドに日光が宿り、ディスプレイ越しに目が合ったように錯覚した。そして――
 コンマ一秒、フロンティアは思い切り機体を傾け――機頭への襲撃を、到達するギリギリで躱した。レールは側面部に当たり、雛の得点に二点が追加される。
 わっと盛り上がる観客に対して、翔は声も出ない。衝突の手前で機体を翻すことには成功したものの、陸央が何をしたのかも一瞬では把握できなかった。それは雛も同じらしく、ノイズ越しも沈黙したままだ。機体はそのまま離れ、遅れて試合終了のサイレンが鳴り響いた。減速したスパローがこちらへと下降してきた。
『――これにて第十二試合目を終了致します。結果は六対四、勝者は四八〇一、霧島陸央』
 結果を突きつけるようなアナウンスに、ヘルメットを取った雛が力なく笑った。
「避けられちゃったね」
「ああ……」
 逆転の可能性さえあった雛の決断が、陸央の技術によって最小限の点数に抑えられた。届きそうで届かない明確なラインを見せつけられたようで、ある意味初戦の負け方よりも悔しい。撤収しようと機材を片付けかけたその時、対岸からこちらに駆けてくる影があった。紫のライダースーツ。隣にいた雛が、先に気付いて名を呼んだ。
「霧島君――」
「有難うございました」
 着くなり頭を下げ、陸央はすぐに姿勢を正した。目が少し赤くなっている。
「待っててくれて。それに、今の試合も……できて良かった」
 照れくさそうに右手を差し出す。呆気にとられていた雛が、すぐに意を察してその手を掴んだ。
「あっ、わっ、私も! 試合してくれて有難う。霧島に追いつくのでいっぱいいっぱいだったけど、すっごく良い試合だったよね。ねぇ翔?」
「えっ!? あ、ああ――」
 話を振られてぎょっとする。先ほどのことを思い出して妙に気恥ずかしいが、翔は素直に続けた。
「……やっぱりお前は強いよ。最後なんて、避けられるって思わなかった」
「ううん。正直、僕も最後は負けたかと思ったんだ。前には撃って来ないって決めつけてたから……あれだけ苦手だったのによく決めたね。凄かったよ。そっちも、もっと強くなると思う」
 先ほどとは違う、憑き物がとれたような吹っ切れた表情をしている。陸央の言葉に照れながら、おずおずと雛が手を上げた。
「あ、あのね。霧島君、また模擬の相手してくれないかな。勉強したいこともあるし、意見も言ってほしい。選手同士で仲良くなるのって、変かもしれないけど……友達になってくれたら、嬉しいな」
 突然の申し出に、陸央は驚いたように目を丸くする。
 予想外のことだったらしい。何故かこちらに送ってきた目配せを、翔は小さく笑って返してやった。何も言う事は無い。何故なら自分も、雛と同意見だからだ。それが伝わったのか、陸央も再度照れくさそうに笑った。硬い殻が取れ、迷いも孤独ももう感じない笑顔だ。
「うん、良いよ。僕も今、同じこと言おうと思ってたんだ」


 試合に勝った陸央が、翔とその操縦士に手を振って離れていく。
 インターバルのざわめきが戻ってきたのと同時に、集中を終えた脳が緩やかに通常に戻っていくのが分かる。流れきったアドレナリンと、引き換えに訪れる疲労感。真逆なものだけれど、繭にとってはどちらも心地よいものだ。
 フェンスの手摺を握ったまま、撤収に追われる翔の後ろ頭を目で追う。前に会ったのは一年半ほど前だろうか。あの頃よりも顔がきりっとしてきたし、背も高くなっていると思う。
 整備士を目指しているというのは知っていたが、もう今年から選手になるとは思わなかった。去年の内に知っていれば、滑空訓練のために一年の間を置くという上からの指示に合わせることも無かった。それに、組んだ操縦士も。もっとずっと年上だったり、男の操縦士なら、何とも思わなかったのに。
 グラウンドの翔が不意に振り向き、どきりとする。照れたようにはにかんだが、それはこちらに向けた笑顔では無かった。自分がここから見ていることさえも、彼は気付いていないだろう。けれど、繭はここから見ているだけで分かった。翔があんな表情を見せるのは、きっと世界中どこを探したってあの操縦士しかいないのだということを。
「絶対に、負けない」
 フェンスから離れ、呟く。そのまま、繭は踵を返してグラウンドを視界から外した。
『――これより第十二試合開始の準備を行ってください。次の出場者は――』
 繭が背を向けたスタジアムの空に、アナウンスの無機質な声が響いた。

(#7:Grow--FIN.)