Sparrow!!--#7:Grow(13)

「っ、――?」
「わかるわけがない!!!!」
 振り向いた陸央の横っ面を殴るように叫ぶ。
「わかるわけがないだろ!! いつもそうだ。お前はいつもそうやって言うだけ言って、自分自身のことは何も言わない。なのに、こっちにはわからないなんて言う。俺だけじゃない。香坂さんにだってそうなんだろ? どっちが自分に酔ってるんだ。お前のこと何も教えられてないのに勝手に呆れられて、壁造られて、こっちだって納得いくわけない。わからないなんて決めつけるなよ。もしかしたらわかるかもしれない。一人で抱え込まなくていい。FMは、一人でやる競技じゃないんだから……」
 息が上がっているのも忘れて、一気にまくしたてた。一方の陸央は、心底虚を突かれた顔をして黙っている。いつもなら、君にそこまで言われる筋合いはないと返されるだろう。し、翔だって覚悟の上だ。
 けれど、やがて何かが解かれたように口元を震わせ始めた。
「――……虚しい」
 雨が葉を叩くような、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。
「……どれだけ訓練しても……勝っても、やっている意味を見出せないんだ。僕を見て欲しい。褒めて欲しい。認めて欲しい。でも、きっとこのまま続けてたって、それは叶わない。何でやってるんだろうって、いつも思ってた。どれだけ期待されて、周りから称賛されても、本当に振り向いて欲しい人ほど、僕を見ない。ここにいる意味も、続ける意味も無い。何を支えに、続けていけば良いんだよ」
 言いながら、陸央はらしくなく俯く。その足元の煉瓦に、水滴が一粒落ちた。それに本人も驚いたようで、慌てて腕で目元を擦る。まだ肩を掴んだままのこちらの手を恨めしそうに睨み、掠れた声を漏らした。
「離せよ」
「嫌だ」
 何故か手を離す気になれなかった。離してしまえば、また後悔が強くなるだろう。陸央は赤くなった目元を再び伏せ、また黙り込む。けれどそれは沈黙を選んでいるというよりも、ただ言葉を見つけられないでいるような脆い空白だった。
 陸央は孤独だから、と香坂は言う。けれどこの孤独は、陸央自身が自分を守るため無意識に作り上げてきた孤独だ。外側からこれを打ち破る術は無い。陸央自身が変わらなければ、この孤独が晴れることが無いだろう。ただそれでも、翔にだってできることはある。
「……いるよ」
 細い肩を掴んだまま、翔は続ける。言い聞かせるように、こいつの気持ちに直接届くようにはっきりと。
「霧島のことをちゃんと見ていて、必要としている人は、思ってるよりも沢山いるんだよ。お前が誰に必要とされたいのか、そこまではわからない。けどそんな周りを無視して、意味が無いなんて言うなよ。……お前が努力して今の能力を手に入れたことぐらい、香坂さんも桜木さんも国枝さんも、他の皆も――関わっている全員がちゃんと知ってる。そのくらい、試合を見てればわかる。……お前なら棄権するって思ったのは、確かにただの憶測だ。だけど少なくとも、俺と雛にとってお前はそういう奴なんだよ。ひねくれてても真面目で正義感があって、誰よりも努力できて、口だけでなくちゃんと結果も出せる凄い選手だ。雛だって……俺だって、お前と対等に試合がしたい。できるようになりたいんだ。お前のことを、尊敬しているから」
 陸央が顔を上げた。まだ言葉は無く、そこには弱々しい、帰る場所を失くした迷子のような眼差しだけがある。こちらが信じられる存在なのか推し量っているような目は、しかし決してこちらを拒絶しているものでは無い。ほんの少し安堵し、翔は口調を緩めた。
「もう五戦って言ってたけど、やっぱりまだ五戦だ。選手になって、俺もお前もまだ五戦しかしてない。今のシーズンが終わっても、あと何十回何百回と飛ぶ。なのに、今結果を出して良いのか? その人に認められることだけが答えだと、決めつけても良いのか? 本物になる前に、辞めるのか?」
 海峰園から、微かにカウントダウンをするアナウンスの声が聞こえた。繰り上げになった分の試合が始まったのだ。黙ったままの陸央の肩から、翔はやっと手を離した。海峰園の熱気は遠く、初春の名残のような、少しだけ冷たい風が吹いた。
「……長々と、悪い。時間が無いんだった。色々言ったけど、お前がそうしたいならそれでいい。お前自身がしたいことをするのが、一番だから」
 何を熱くなってるんだよ。
 そう言われるような気がした。自分でもそう思う。特別仲が良いわけでもない。むしろ喧嘩ばかりの、ライバルの一人でもある陸央を、必死に引き留めようとする自分が滑稽にも感じた。赤の他人がどう言おうとも、結局決断するのは自分自身だといういのに。
 今度は翔の方から背を向けた。結局試合はできないけれど、やれることはやった。周りには何のために繰り上げたのだと思われるかもしれないが、少なくとも雛はわかってくれる。自分はそれで良い。あとは、陸央と香坂の問題だ。
 しかし、
「――橘川君」
 背後から呼ばれ、一瞬耳を疑った。振り返れば、わずかに気まずそうな、それでいて真摯な選手の顔に戻った陸央が、真っ直ぐに――丁度、彼に礼を言った時の雛のように――こちらを見つめて言った。
「待ってよ。……僕も戻る。戻って――試合、しよう」


 全速力で走り、海峰園のロビーで翔と別れた。更衣室のロッカーに預けたままだったライダースーツに急いで着替え、ブーツを履くのも疎かに北側のプラットフォームに向かう。
 翔が連絡を入れ、陸央がどうしていたかは香坂や国枝にも伝わっている。着くと、もうすでにフロンティアは運び出されていた。真昼の太陽の下、翳りの強いダグアウトから日の当たるグラウンドに、たった一人で足を踏み入れる。オレンジ色の椅子が日の下でチカチカと光り、吸い込まれるような青い空とのコントラストが目を見張る程美しい。先ほどまで見ていた外の世界の空とは、全く別のものだった。卵型に切り取られているというのに、この青はどこまでも広く深い。それでいて、何故手放してしまいそうになったのかと思う程近くにある。
 繰り上げた試合は過ぎ、インターバルももう終わろうとしている。搭乗台の傍では、既に香坂とフロンティアが待機していた。胸を罪悪感で浸しながら、一歩一歩と駆け寄る。オペレーターボードに向かっていた香坂が、こちらの気配に気づいたのか静かに顔を上げた。
「……陸央君」
「香坂さん――すみませんでした」
 すぐさま頭を下げる。しかし返答は無く、不意に顔を上げた瞬間、彼の手のひらが閃いた。
 ざわめくスタジアムに、頬を打つ音が響く。陸央は歯を食いしばり、微かな喘ぎさえも飲み込んだ。痛みは頬だけでなく、前身に染み渡る。今まで生きて来た中で一度も、両親にもされたことのない仕打ちだった。
「こんなこと……」
 眼鏡の奥の彼の目が、あまりにも冷たい色を帯びる。
「無断欠場なんて、君に限っては無いと思っていたよ。この行為がどれ程いけないことかわかるね?」
「はい。……もう、しません。二度と」
 己の中に震えを感じながら、それでも香坂の目から視線は離さずに、陸央は答えた。承知でやったことのくせに、怒りとも失望とも取れる表情の彼が怖い。陸央自身は辞めずとも、香坂とはそもそも父が金で雇っているだけの関係だ。これで契約破棄を言い渡されることも重々予測済みで、駅からここに至るまでに、この試合を最後に片羽になる覚悟さえもした。