Sparrow!!--#7:Grow(10)

「十一点差……」
 隣で雛が呟く。その内五点はフロントへの攻撃ではあるが、黎二が殆ど一方的に攻め立てている間に終わった試合だった。
 インターバルに入った途端、席を立つ客がちらほらと目立つ。黎二は注目度が高い選手だから、出番が終わったと同時に帰路に着いたり移動したりする観客が一気に増えるのだ。
 準戦はチケットが安く席も自由であるため、試合の組み合わせによって客の入りにムラがある。自分の試合が迫っている中、翔と雛も、黎二の試合を見るためにスパローの搬入を済ませてすぐにスタンドに移動してきた。因みに客の入りをコントロールするためにか、正午前と昼過ぎに人気のある選手を持って来ることが多いそうだ。
「今日も出さなかったね、あの加速」
「そうだな。……あれから、一度も出してない」
 初戦の最後に見せた、ランニングエンジンの爆発的なオーバードライブのことだ。目にも留まらぬほどの超加速で飛び込んでくるため、対戦相手にとってはいつフォールになってもおかしくなく、常に警戒を強いられることになる。けれど言った通り、黎二と颯介はあれ以来それを出さずに試合をしている。まるで、相手を煽ったまま焦らしているようだ。自分と雛はレベルの差を見せつけられるのと同時に、奥の手をひけらかす格好の餌にされたのである。
 は、と短い溜息が出た。あれ以降、黎二とも颯介ともまともに会っていない。ただ試合の組み合わせはランダムだから、今後再び当たることだって考えられる。このままずっとあれを出さないでいられると、その時に対策を練るデータが無い。どうしたって不利だ――そう考え込んでいるうちに、突如頬にぴたっと冷たいものがくっつけられた。
「――っ?」
「あ、ごめん。びっくりしちゃったね」
 犯人の雛が、慌ててそれを離す。真新しいライダースゼリーのパックだった。
「いや……大丈夫」
 パックの冷たさよりも、至近距離で目が合った事の方に動揺する自分が情けない。海峰園のスタンド席は狭いから、ちょっとしたことでも肩が触れ合ってしまうほどの間隔しかないのだ。雛自身も少し恥ずかしそうに、たった今こちらの頬にくっつけて来た銀色のパックを差し出してきた。
「これ、あげる」
「良いのか? 操縦士のものだろ」
 ライダースゼリーは、シェイカー対策に協会が開発・推奨をしている試合前の操縦士用のゼリー飲料だ。簡素なパッケージに、桃の絵のラベルが貼ってある。前はプレーンしか無かったのに、いつの間にか味が増えていたらしい。
「良いよ。お父さんが差し入れだって沢山買ってきてくれて、しばらく買い足さなくても良いくらいなの」
「そうなのか。有難う……って、お父さん、今日も観に来てる?」
 翔にとっては聞き逃せない単語だった。しかし、雛はすぐに頭を振る。
「ううん、今日はお仕事。やっぱり、いると緊張する?」
「し、しないことはないし、すると言えばする」
 答えてから、結局緊張してるじゃないかとセルフ突っ込みを入れる。実際雛の父親は既に二度観戦に訪れているが、翔に対しては試合後に遠目に手を振ってくる程度に留めていた。恐らく、こちらのプレッシャーになるのをわかっているのだろう。彼はいつも近からず遠からず、絶妙な距離を取って雛と自分を見守っているのだ。
 硬くなった翔の表情を見てか、雛も少し苦笑した。
「実は私もするんだよね、緊張――お兄ちゃんだけなら良いんだけど、お父さんがいると。良いとこ見せなきゃって思っちゃうし」
「ああ……。何か言ってる? 今の成績のこと」
 高校在籍中に何らかの結果を残すこと。雛が操縦士になり、FMマッチの選手になることについて、彼女の父が出した条件がそれだった。
 結果――これを具体的に定めなかったところが、彼の立場上最大限の優しさだろう。この市の議員である彼女の父が、FMの昇級システムを知らないわけが無い。『本戦出場』や『本戦候補』という言葉も言おうとすれば言えたはずなのに、敢えて使わないでくれたのだ。
「今のところは何も。でも、結果は気にしてるみたい。負けたら、次は大丈夫さって言ってくれるんだよね。あの時は厳しかったけど、何だかんだでちゃんと応援してくれてるの。目に見える結果を出さなきゃ、いけないよね」
「……そうだな」
 頷くと、雛はこちらに振り返り嬉しそうに微笑んだ。ただその表情はいつもよりも硬い。
 彼女の父親がいてもいなくても、自分たちが成さねばならないことはただ一つだ。彼の応援に応えるためにも、今日こそはその目に見える結果を出さねばならない――と。
 ほんのささやかな気配だった。視線を感じ、翔は背後を振り返る。傾斜に並んだオレンジの椅子の間を人々が行き交っている、その上部。
 確かに誰かが見ている気がしたのだ。けれど既に、その視線は感じられなくなっていた。
――気の所為か。
 視界を前に戻し、雛のお言葉に甘えてライダースゼリーの蓋を空けた。そのまま口を付けて吸い込めば、瑞々しく砕かれたゼリーが次々に流れてくる。甘酸っぱい白桃のフレーバーを味わいながら、翔はもう一度スタジアムの空を見上げた。


 プラットフォームを出て、どのくらいの時間が経っただろう。
 今自分がいる場所さえも把握せず、陸央は弧を描く海峰園の廊下を行く。先ほど試合がまた一つ終了し、客席がわっと盛り上がったばかりだ。周藤黎二が一勝を上げたらしい。人気選手の試合後独特のざわめきが、陸央の周囲をまばらに
「なあ、この後見る試合あったっけ?」
「そうだなぁ。ちょっと待てよ」
 丁度、すぐ後ろを歩いていた青年二人の声が耳に入ってきた。
「あ、霧島って今日宝生となのか。宝生ってついてないな。まぁ元々まだ弱いんだろうけど、霧島と当たるのもプレッシャーだろうに」
「それな。最初から周藤で無理ゲーだったもんなぁ。相手運全然無いよな……ってかでも、霧島って実際どうなんだろ」
「何が? 強いんじゃないのあいつ。新人で一番だろ」
 どきりとした。その上本人がこんなに近くにいると言うのに、二人はまるで気が付かない。複雑だが、こんなものだろうとも思う。ばれないように息を潜め、陸央はスタンドへと徐々に歩調を上げていく。背後の二人は続けた。
「そーだけど、宝生程強い相手と当たってないじゃん? それに、上手いけどなんか飛び方が機械っぽいんだよなぁ」
「あーわかる。なんか、動きに意思が無いっていうか。見ててつまんねーよな」
「機体がチートなのもあるんじゃね? 良いFMで本人は準戦チョロいって思ってるんだろうけど。簡単に勝てるから天狗になってんだろうな」
「確かに。でもまぁ、案外整備士の言いなりかも。で、見るのか? 試合――」
 聞いていられなくなり、陸央は振り切るようにスピードを上げた。そうしながらも、頭の中の別の自分が言う。気にするな。外野の言う事なんて。実際に乗っていない奴なんかに、何が分かると言うんだ。
 足早に通路を突っ切ってスタンドに着き、空の眩しさに目を細める。そして視界が戻る頃、その先に思いがけない人物を見つけた。