Sparrow!!--#7:Grow(09)

「手伝ってくれて有難う。また大学の方にも遊びにおいで。いつでも歓迎するから」
「はい。こちらこそ有難うございました。……霧島のことも」
「ふふ。それじゃあ、明後日は宜しくね」
 荷物でぱんぱんになった軽自動車に乗り込み、香坂はこちらに軽く手を振った。古めかしいくぐもった音を立て、軽自動車は裏門へと走っていく。その姿を完全に見送り、翔はやっと彼の発言の妙に気が付いた。
 明後日?
「――翔!」
 慣れた声に呼ばれて振り返える。教室にいたはずの雛が、息を切らせながらこちらに駆けて来た。
「ここにいたんだね。いなくなってたからびっくりしたよ」
「香坂さんが来てたんだ」
「えっ、香坂さんって、霧島君の?」
 丸っこい目を更に丸くする。しかし、雛の表情はどこか神妙だった。
「――何かあるのか?」
「お弁当食べてたら協会からメールが来たんだけど、あのね、見て。次の相手」
 制服のポケットから端末を取り出し、画面をこちらに開けて見せた。いつの間に来ていたのだろう。先ほど見た時には、まだ組み合わせは発表されていなかった。
 当日のタイムテーブルを含め、第一試合から順に記されている。雛の名前を探して視線を滑らせていくと、最近やけに縁のあるその名前とぶつかった。
『第十一試合 霧島陸央 対 宝生雛』
「ああ……」
 去り際の言葉の意味を理解した。香坂はこれを知っていたのか。とすれば、知っていてフロンティアの特徴をこちらに告げたことになる――何故?
 香坂の軽自動車が走って行った先を見る。晴れた真昼の空に、始業五分前のチャイムが鳴り響いた。


 微かに名前を呼ばれ、陸央はやっと音楽を停止させた。
 頭が現実に引き戻された。目の前ではフロンティアの搬入が行われ、陸央が手を貸すまでも無く、職員達が機体を丁寧にこちら側――プラットフォームに運び入れていく。イヤフォンをポケットに突っ込んで彼らに近づき、無事に海峰園の領域に入った愛機のハンドルを受け取った。
「陸央君、気分はどう?」
「別に。普通だよ」
 香坂に素っ気なく答え、待機位置でフロンティアを留める。プラットフォームが混雑するのを避けるため、選手の機体搬入は現行の試合と並行して行う。今行われている七試合目は、あと一分ほどで終わるはずだ。
 FMが滑空するフィィンという音と、観客がわっと沸く声が頭上に響く。グラウンドとここを介するダグアウトからは昼の光が零れ、次の試合を待つ選手が整備士と何か話し込んでいた。模擬試合とは違い、試合中の空気はいつもピリピリしている。けれど陸央は、六度目にして既にこのムードに慣れてしまっていた。むしろ、何の緊張も興奮も無い自分自身に驚いているほどである。
 あいつらはもう入っているのだろうか。ダグアウト越しに向こう側を覗いてみるが、影になっていてよく見えなかった。
 今日の相手があの二人だと知ってから、ずっと憂鬱が晴れない。先日の模擬では勝っているし、客観的に見てもこちらの方が上手だ。なのに、勝っているイメージが全く浮かんでこない。不安の元凶が分からず、俄かに苛立ちさえも覚えている――と、ポケットの中で携帯端末が震えた。滅多に使わない通話機能で、タイミングの悪さに陸央は鼻白む。
「誰だよ、こんな時に」
 吐き捨てついでに端末のディスプレイを見、しかし次の瞬間には息を飲んでいた。霧島国将――久しぶりに見る名前が、そこに浮かんでいる。
 すぐに出てしまいそうになったが、一つ深呼吸をした。冷静な第一声をイメージしながらその名をタップし、陸央はゆっくりと端末を耳に宛てた。
「……はい」
『陸央か? 久しぶりだね』
「はい、父さん――」
 客席で拍手が巻き起こり、こちらの声を遮った。端末の向こうで、父がふふふと上品に笑う。機嫌が良さそうで、陸央は少しほっとした。
『今はFMのスタジアムかな?』
「はい。騒々しいですよね、場所を変えます」
『いや、構わないよ。準戦とはいえ賑やかなんだな。私もいつも行けなくてすまない。機会が中々作れなくてね。昨日海都に聞いて、やっと思い至ったくらいだ。それに、連勝中なんだってね。ルーキーでは成績が飛び抜けているそうじゃないか。凄いことだ』
「いえ……!」
 謙遜しながらも、父に褒められたことが嬉しくて仕方がない。しかし、父の次の言葉が浮かれかけていた陸央の気持ちを垂直に落とした。
『それで、来年には本戦へ行けそうかい?』
「え――」
『本戦に行けばうちも正式にスポンサーとして付けるし、何より陸央は来年三年生だろう? 高校のうちに本戦の選手になれば話題になる。去年だってそうだったじゃないか』
 確かに去年、準戦歴一年で本戦に上がった高校生の選手がいる。その選手は夏大会にまで進出し、メディアにも度々取り上げられていた。父はそれをイメージしているのだ。けれど、自分はあの選手では無い。今年だけで本戦に行けると、たった五勝しか挙げていない現状だけで断言できる程、陸央の頭はおめでたくは無かった。父にどう伝えるべきか瞬時に考え、陸央は口ごもりながらも続ける。
「――……それも出来る限り目指しますが、準戦でも勉強になることが沢山あります。たった一年で昇格というのは……」
『どうした? 陸央、私にはそんなに謙虚にならなくていい。それとも不安なのかな?』
 父の声が、怪訝な色を帯びる。
『いいかい陸央。フロンティアがあるのだから、君は充分勝って行ける。あれは私が星馬に掛け合って特別に作った機体だし、他の機体とは比べ物にならないクオリティだ。私は思うんだよ、陸央。FMの勝敗なんて、つまりは機体や設備の良し悪しに寄るんじゃないか。これはただのゲームだ。機体もトレーニングも、私がこれだけ金を掛けているのだから、君が勝つのは当然なんだよ。だから陸央、君は何も心配しなくて良い。フロンティアと香坂君がいれば、すぐに本戦に行ける』
 父が言っていることが信じ切れず、陸央は返事を詰まらせた。ゲーム?
 海都の言葉が蘇る。親父の玩具。自分は父の玩具。金を掛けたら掛けるだけ強くなるゲームの、自分はただの父のアバターだ。つまり――
「――……はい。そう、ですね……」
 思考停止した脳は、いつの間にか肯定を吐き出していた。父はまた機嫌の良い声音に戻り、「そうだよ」とこちらに念を押した。
『今後も楽しみにしているよ。香坂君にも代わって貰えるかな?』
「わかりました」
 機械のように頷き、フロンティアの点検をしている香坂の肩を叩く。
「どうしたの? 陸央君」
「父さん。香坂さんと話がしたいんだって」
「僕? ……はい、代わりました。香坂です。はい、そうですね。フロンティアは――」
 端末を渡すと、香坂は陸央に背を向けて父に機体の話を始めた。
 FMはゲームのようなものとは、観ているだけの素人がよく使う表現だ。例えば教室などで数限りなく言われてきたことでもあるが、陸央はそれをいつも真っ向から受けずに聞き流し、時には鼻で笑ったりもしてきた。選手でも関係者でもない人間から見れば、そう見えるのも当然だと。素人に何を言われていも良い。分かる人間だけわかればいいと、そう思って来た。
 ただ、父の口からこの比喩が出て来るとは。
 フロンティアさえあれば勝てる――つまり、操縦士が自分じゃなくても勝てるというわけだ。少なくとも、父はそう思っている。
 全く気付いていないわけでは無かった。父に用意されるままにFMに関わりながら、薄々感付いていた事だ。それでも、実際に言葉にされることがここまで辛いとは思わなかった。
 体中から力が抜けていくのを感じる。急速に、けれど静かに。
 踵を返し、廊下に通じる扉に向かう。背後では、香坂がまだ何か父と話していた。かれこれ自分と話していたよりも長い時間、フロンティアについて話し込んでいる。何をそんなに話すことがあるのだろう。まるで、自分などいないみたいだ。
 搬入に当たっていた汐野が、こちらの行動に気が付いたのか振り向いた。
「あれ、どこ行くんです? りっちゃん」
「……スタンド」
 小さく答える。重い扉を押して廊下に出、陸央は重い息をついた。


『――これにて第八試合目を終了致します。結果は十三対二、勝者は四七二七、周藤黎二――』
 無感情なアナウンスに、わっと沸いた観客の声が重なった。青い空に映える赤い機体が、午前中の光を受けてぎらりと光る。荒々しかった試合中の滑空とは打って変わった穏やかな曲線を描き、六度目の勝利を手にした黎二は速やかにグラウンドに降りて行った。