Sparrow!!--#7:Grow(04)

「陸央君、さっきのはちょっと良くないんじゃないかな」
 フロンティア――陸央の愛機である流線型のFM。鮮やかだが、落ち着いたバイオレットの装甲をしている――のセッティングをしながら、香坂が口を開いた。咎めている風ではない。いつもどおりの柔和な口調だが、しかし、それが逆に怖かったりするのだ。陸央の出場ために父が雇っているという間柄の彼とは、FM以外での関わりは無く、まだ出会ってから一年も経っていない。雇われという前提があるからか、彼はこちらに対しても常に一定の温度で接してくる。
 陸央は無論一年目だが、香坂にとっては三人目の操縦士だ。FMの管理も相手の分析も試合中の判断も的確で、実を言うと試合中の主導権は彼が握っていることの方が多い。操縦士と整備士どちらにしてもそうだが、経験値のある方が自然と手を引く側になる。が、陸央はそれが心底もどかしかった。唯一全勝しているルーキー。けれど、自分だけの力で勝っているのでは無い。自分が無敗を素直に喜べない理由の一つだ。
「……オーバーだな。香坂さんだって知ってるでしょ。あっちだって言われて当然の成績なんだからさ。初戦なんて、目も当てられなかったじゃん」
 第一回戦のことである。雛は相手――それこそ、本戦候補にも入っている周藤黎二だ――に一度もレールを当てることもできず、その上相手から一度もレールを放たれず、尚且つフォールで終わるという屈辱極まりない負け試合を選手全員に見せつけた。
「揶揄されるのももう慣れてるんじゃない? 宝生さん、何も言ってこないし」
 逆に、翔の方が大袈裟に噛みついてくるのだが。陸央は相手方にちらりと視線を投げる。今日は会いたくも見たくも無かった奴の背中。FM本体とオペレーションボードの同期状態を確認しているそれは、鋼でも仕込んでいるのかと思う程しゃんと真っ直ぐになっている。何でそんな態度でいられるんだ? 全敗のくせに。さっきだって、こちらに何も言い返せなかったくせに。
 見れば見る程苛ついてくることに気付き、陸央はふっと軽く息を抜く。顔を上げれば香坂と目が合い、ぞっと背筋に冷たいものが走った。
 怒っているような、同時に憐れんでいるような、それでいて冷め切った目だ。
「あの子たちがどうかっていうことは、関係無いよ」
「――りっちゃーん! 香坂さぁん! 位置に着いてくださぁい!」
 職員の汐野が、背後から大声でこちらを呼んできた。そのあだ名は嫌だと何度も言ったのに、彼女は直す気は無いらしい。香坂はこちらに一瞥もくれず、整備道具を素早くバックパックに戻す。
「さあ、陸央君。ちゃんと勝つんだよ」
 そこまで言うんならね――そう付け足されたような気がした。定位置に向かって歩きながら、陸央は震える程ぎゅっとフロンティアのハンドルを握る。
――負ける。
 そんな予感が、隕石のように急速度で胸に落ちて来た。雇われ整備士だと冗談交じりに言う背中は、もう二度とこちらに向いてくれないような気がする。
「……なんてね。そんなわけ、無いし」
 自分自身に呟いてみせる。大丈夫。相手はあの全敗の宝生雛だ、怯える要素なんてどこにもない。
 割り当てられた北側の搭乗台にフロンティアをセッティングし、丁度向かい側、同じく青いFMに乗る雛を見た。初戦直前に見せた目も当てられないような焦燥ぶりも無く、不思議なほど毅然としているのが、むしろこちらの焦燥を煽る。
「陸央君」
 無視を決め込まれると思っていた香坂が、唐突に口を開いた。ぎくりとして、彼がいる人工芝の上を見下ろす。眼鏡に日光が反射して、彼の表情は上手く見えない。しかし声は思いの外優しかった。
「君は、もう少し相手を見た方が良い。他の操縦士が何を思って乗っているのか、考えてみるんだ。模擬だからこそ、それを意識して」
「……わかったよ」
「素直で宜しい。じゃあ、行こう」
 頷き、ヘルメットを装着する。試合の始まりを告げるアナウンスが、無感情な声色をスタジアムの空に響かせた。遮光シールドに青い灯がともり、自分の身体のすぐ下ではフロンティアがまるで獣のように唸りを上げる。威嚇にも似たエンジン音が破裂し、試合開始のサイレンと共に空へと駆け上がった。
 夕紅映える光景の中で一点、青い光が迫って来るのがわかる。瞬きも出来ない時間の中で、彼女と視線が合った気がした。


 ああ――という苦い声が出かけ、翔はぐっと堪えた。
『――これにて試合を終了致します。結果は七対二、勝者は四八〇一、霧島――』
 試合は瞬く間に終わった。アナウンスが集中を遮断させ、上空を飛んでいた二機が減速しながら螺旋を描く。すっかり低くなった西日を受けながら、スパローがすうっと地上に帰って来た。ヘッドセットを外して駆け寄る。先に傍に付いた職員にゆっくりと機体を傾け、脱力しきった雛が人工芝の上に崩れるように膝をついた。滑り取ったヘルメットから前髪が流れ落ち、表情を隠す。中盤に一度側面に命中させたものの、すぐに機頭に一発入れられたのが痛かった。陸央のフロンティアはまだ上空を滑っていたが、お構いなしに雛の元へと走る。
「雛――大丈夫か?」
「翔、今の試合とってた?」
 俯く細い肩に触れかけた瞬間、雛はおもりを乗せたシーソーのように勢いよく顔を上げた。近い。距離に固まっている翔に構わず、雛は頬を上気させている。一瞬何の事だかわからなかった彼女の言葉を、翔は脳内で変換してすぐに答えた。
「撮っ――てた。勿論、ちゃんと撮ってる」
 今の試合をビデオ録画していたか、という意味だった。これは整備士の操作で記録され、ヘルメットのシールドを通して見た光景がそのまま動画データとして保存するのだ。正式名はインサイド・ビューというが、FM関係者はインサイドと略して呼んでいる。
「有難う。後でアウトサイドと一緒に見よう」
 アウトサイドというのも、アウトサイド・ビューの略であり――インサイドの逆、グラウンドと上空の二点から撮った客観的な試合映像のことだ。試合の分析には両方が必要で、公式戦でも模擬でもテストドライバー相手の試合でも、同じようにデータとして選手に配布される。
 緊張した面持ちは何処へやら、負けたというのに雛は試合前よりも元気になっていた。翔が止める間もなく、間をおいてグラウンドに戻った陸央の方に駆け寄っていく。