Sparrow!!--#7:Grow(02)

 目が合った衝撃で、頭が一瞬白くなった。実は特に話さなければならないことなど無かったのだが、呼び止めたからには何か言わなければならない。焦りながら、陸央はコンマ五秒で無理矢理に話題を捻り出した。
「い、伊礼ってさ……今季入ってから準戦見に来たことある? 海峰園でも全然見ないけど」
「準戦は見てない。本戦なら、見たよ」
 本戦の春大会が、つい先週まで行われていた。五月の大型連休にクライマックスが来るように、四月の半ばから予定が組まれているのだ。
 準戦は見てない――見ない、の間違いじゃないのか。胸中でそう訝しみながら、陸央はふぅんと相槌を打つ。
「そうなんだ」
 自分はと言うと、自分の試合で忙しく本戦の試合は殆ど見られなかった。しかし、去年の天馬リーグ覇者の望月瑠夏が真っ先に勝ち越し、ウェブの情報ページやテレビを賑わせていたことは記憶に残っている。陸央自身も驚いたものだ。彼女はもう終わりが近い選手だと思っていたから、余計に。
 去年の星望杯の那智清天――結局またもや彼がチャンピオンになり、無事に三連覇を果たした――との試合は、あの日で一番オーディエンスの記憶に残っている名勝負だった。けれど、今年が最後の華だろうとも思う。二十代も半ばを過ぎれば、操縦士は惨めに衰えていくしかない。望月瑠夏の成績そのものは平均以上ではあるが、事故による怪我と長いリハビリ期間が痛手過ぎた上に、まだ完治ではないとも言われている。去年のあの試合で人気が再熱したものの、彼女の今の好調がずっと続くとは思えない。
 華々しく彼女を持ち上げているメディアだって、年齢的にも身体的にも崖っぷちの選手など、今後も相手にし続けるとは全くもって思えない。夏か秋でもっと若手の選手が目立てば、人々の目は一斉にそちらに向くだろう。いつまでも語り草になるような選手になろうと思えば、那智のように数年単位で活躍を見せなければならない。準戦でも、せめて一年を通して勝ち続けるくらいのレベルでなければ、チャンピオンにはなれないだろう。
「はなしてくれる?」
 未だ不満そうな繭の声に、陸央は慌てて手を離した。
「あ、そうそう聞いてよ。僕、今まで全戦勝ってるんだよ。今年の新人では僕だけなんだって。凄くない? この調子で行けば、来年には本戦候補だってさ。伊礼、来年出て来ても僕に追いつけなくなってたらどうする?」
 若干、話を盛った。全勝しているとはいえ、まだ五戦しかしていない今の段階で本戦候補など決まるわけがない。しかも、繭にもそれはばれているだろう。何故ならこの話題が出始めるのは、だいたい毎年七月の終わり辺りからだからだ。
 因みに本戦候補とは、戦績の総合評価が上位十位までの選手のことを言う。一番の指標である勝率に加え、戦略、技術の要素を加えた総評で定められ、シーズンの中間に公表されるのが毎年の習わしなのだ。本戦の選手数は上限が決まっているからこの全員が行くわけではないのだが、シーズン終了時のこの順位内から選出されることになる。連なる名前には二十代の選手が多くいるものの、去年はまだ十代の冴羽立葵や周藤黎二もこの中に入っていた。
 そして、案の定と言うべきか、こちらの意に反してと言うべきか――繭はまだ不満が残る表情のまま、小さくぽつりと呟いた。
「どうも、しないよ」
「――あ、そう」
 あまりにも予想通りだった返答に、陸央は肩を落とした。けれど彼女は、この話題であることを思い出したらしい。
「あ、でもね、あのね、霧島君、聞いて良い?」
 まるでお祈りでもするように、両手の指同士を顔の前で絡める。これはいつもの癖で、陸央は見てすぐに次に来る話題を察知した。考えていることがすぐに挙動になるこいつの単純さが、時々とても憎らしい。
「今年の――」
「あーっ!!」
 彼女の小さな声を遮って、陸央は突発的に叫ぶ。
「僕も担任に用事あるんあった。職員室に行かなきゃ。ごめん伊礼、引き返すよ」
「……うん」
 繭は諦めて、小さく頷く。
「じゃあね」
 手を振るのもおざなりに、陸央は今来たばかりの道を駆け出した。持ったままだった菓子の箱を無造作に鞄に詰め込み、職員室の方向に向かって走る。走りながら自嘲する。そして早まっていく息に紛れ、何故か泣きそうな気分が押し上がってきた。
 嘘だ。
 本当は、用事などない。
 あまり好きじゃない話題を出されかけたから、咄嗟に離脱のための嘘をついてしまったのだ。自ら呼び止めたというのに。逆の立場ならきっと自分は腹を立てていたと思うが、そんなことにすら気が回らない程あの話をされるのが嫌だった。それに繭は黙ったままだが、振り返るほどの勇気すらも無い。どうせ彼女の興味なんて、もう既に別のものに移っているのだから。
 職員室の前を過ぎ、誰もいない非常階段のふもとまで来て、陸央はやっと足を止めた。泣きそうになったのは気持ちだけで、実際はこの程度では涙など出ない。無駄に上げてしまった動悸を鎮め、自分一人しかいないことを確認しつつ、深い深い盛大な溜息をつく。
 なんてガキっぽいんだろう。
 自分の思い通りにならないから遠ざける――だなんて、今時チンパンジーでもやらないことだ。
「くそっ……」
 どうしようもない自己嫌悪。窓から射しこむ西日の中で、その悪態は瞬時に蒸発していった。


「――ぁ、はぁ、翔、ちょっと待って……」
 雛の声が弱々しく途切れるのに気付き、翔は足を止めた。振り返ると、彼女は十メートルほど後ろで膝に手をついている。いつの間にこんなに差がついていたのかと驚きつつUターンして彼女の傍に戻る。いつものシャボンの香りに少しだけ汗の匂いが混ざっていて、不意にどきりとした。
「ごめん。気が付かなくて」
「ううん――大丈夫。でも、ちょっと歩いていい?」
 上がりきった息の中で、雛は少し笑った。
 初戦で黎二に負けてから、雛は今までになかった訓練メニュー――具体的に言うと、キロ単位の長距離走り込み――を自主的に組み入れた。黎二が脚を鍛えるために毎日走っているという情報を、こちらが知らぬ間に入手したらしい。体力の差で彼ほどの距離は走れないが、やり出した一ヶ月前よりかはずっと長く走れるようになってきている。
「もう戻ろう。そろそろ時間だし」
 雛は素直に頷いた。予約を入れていた模擬試合の時間が、もうすぐそこまで近づいている。海峰園は平日の夕方から夜にかけて練習用に開放されているが、選手が多いために予約を入れなければ空を貸して貰えない。それに予約者数の都合でテストドライバーでなく選手が相手の日もあるため、練習とはいえ候補生の時のように気楽にやるわけにはいかないのだ。
 夕刻間近の日光に染められた白い海峰園。その外周を囲む遊歩道を、模擬試合の順番を待ってぐるぐると走る。同じことを考えている選手は多いようで、自分たち以外にもジャージ姿の操縦士が何人か見受けられた。だが、流石に整備士で走っているのは自分だけだ。国枝にはよくやるなと言われるが、スパローの整備や他選手の分析作業の隙間を縫って、いつからかこうして自分も走り出した。雛だけが走っているのを放っておけなかったのだ。身体的な無理をさせてしまっている所為かもしれない。もしくは――あの日、敗退した後の彼女を見ていた所為か。
 敗北した操縦士の多くは、第一声で整備士に謝るという。ごめん、翔、ごめんね――まだ高い位置にあった日光を避けて辿り着いたダグアウトで、雛は例の如くうわごとの様にそう繰り返していた。