Sparrow!!--#6:Burst(14)

 何故見抜けなかった。昨日のフォールの後、自分はまず彼に何か言うべきではなかったか。地面へと真っ直ぐに落ちていく瞬間、重力に抗う彼の力を感じなかったか。翔は優しすぎると誰よりもわかっていて、置き去りにしていた。前ばかり見ていたせいで――彼が立ち止まっていることに、気付かないまま。
「雛?」
「ごめん。私翔のこと、何も見てなかった」
 こちらの意図が掴めなかったのか、翔はきょとんと見返してきた。けれど、彼はすぐに俯く。
「――いや、俺こそ頼りなくてごめん。雛が他の選手から何か言われてたのも気付けなかったし、こんな時に弱気になって」
「そんなことない、私も言えなかったんだ……本当は知らせなきゃいけなかったのに、私だけで解決できるって思ってたの。私だけの問題だと、思っていたから」
 彼の手を握ったまま、雛は続ける。
「それにね、失敗した時のことも考えないようにしよ。お互い別々に悩んでたら、上手く飛べないし、私が言うのも変だけど、不安なら分けていこうずっと思ってたんだけど、空にいると翔と繋がってるって感じるの。何があっても怖くない。翔がいるもの。だから翔も、私を信じて。ひとつに、なろう……」
 そこまで言って、自分の耳を疑った。今、何か変なことを言った気が――
「あ――」
「雛、それ、って」
 自分に釣られてか、悟られたのか、翔も一変に顔を赤くした。
「ち、ち違うの!! 変な意味じゃないよ!? リンクしてるってことだから!! だから、その、深く考えないで!!!!」
 思わず手を離して、放った言葉を拭うように手を振る。こんな言い回しにするつもりは断じて無かったのに、自然に出てしまったのだから質が悪い。弁解すればするほど意識しているようで、羞恥心が怒涛の様に溢れて来る。と、
「ふっ」
 顔を赤くしたまま口元を隠し、翔が肩を震わせて笑った。
「ふふ……ははは! 雛、焦り過ぎ。はは」
「そ、そんなに笑わないでよ」
 むくれて見せたが、雛は内心驚いていた。翔が声を出して笑うのを見たのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。たまに現れるぎこちないはにかみとはまた違う、太陽のような笑顔だと思った。まだ試合も始まっていないというのに、見ているだけでまるで発火しそうなほどの熱が身体に灯る。
「いや、ごめん。わかってるよ。それに、そうだな」
 ひとしきり笑った後、翔はふと真面目な、けれど穏やかな顔に戻った。空へと向かう階段に足を掛け、今度は彼から手を差し出す。
「勝とう。俺も、あの二人には負けたくない」


 淡いスタジアムの空を、試合終了のサイレンが裂いた。
『――これにて第二十七試合目を終了致します。結果は六対四――勝者は四七〇四、冴羽立葵』
 朝に比べれば落ち着いたスタンドから、嘆息の声が漏れる。開場にいる殆どの者が、結果を分かりきっていたような反応。試合は何のトラブルも無く進み、ようやっと一つ前の試合まで駒を進めている。二試合前から待機している南のダグアウトから、颯介は未だに着の機体が舞う空を見上げた。
「相変わらずの戦法だね、たっきー。ねぇ黎二」
「振るな」
 スタンドにいた時から更に一オクターブ下がった声で、黎二は短く言い切った。話を振るな、ということらしい。着替えたばかりの赤いライダースーツが、そして彼の隣に置かれたホムラが、鋭角に差し込む日光を受けて燃えるように光る。
 やはり、この格好でいる時が一番映えるな――当然口には出さないまま、翼のように張り出した綺麗な肩甲骨を眺める。
 敗北を喫したばかりの操縦士が、整備士に伴われてダグアウトに戻ってきた。黎二はそれには目も触れず、立葵が、そして雛と翔がいるはずの対岸を睨みつけている。瞳孔はぎらぎらと開かれ、対して呼吸は驚くほどに静かに。触れれば噛みつかれそうなほど、今の彼は尖りきっている。
『――第二十八試合開始の準備を行ってください』
 無感情に時を告げるアナウンスに、黎二は静かにホムラを支えるスタンドを蹴った。
「颯介」
「んっ、何?」
 柄にもなく見惚れていた。颯介が我に変えると同時に、黎二はホムラを引き連れ、光と影の境界へと一歩を踏み出す。半年間待っていたスタジアムの空が、その先で大きく腕を広げている。
「あれを出す――頼んだぞ」
 逆光に作られた影の中で振り返り、黎二は微かに笑った。


 準備開始のアナウンスに、満ち潮のように緊張が押し寄せてきた。
 グローブの中で汗が滲む。スパローを引いて芝生の上に乗りだせば、上空に高くあるスタジアムの空が見えた。
「大丈夫」
 そう言う翔の顔にも、緊張しか浮かんでいない。口の中が乾ききって返事すらもままならならず、雛はただ小さく頷いた。搭乗台にスパローを設置し、身体を固定する。最終点検を済ませ、翔は再度こちらに向き直る。
「昨日の模擬を思い出すんだ。フォールにはなったけど、一度はレールを当てられた。ああやって、加速前の隙を狙っていこう」
「わかった。――翔」
 スパローの上から、手を差し出す。自然にわかったのか、彼の広い手のひらがそれをぎゅっと握り返した。震えはもうない。真っ直ぐにこちらを見つめ返し、翔は言う。
「……俺がいるから、思いっきり飛ぶんだ」
「――うん。行ってくる」
 力いっぱい頷いた。ヘルメットを取り付け、強くハンドルを握り締めた。スパローの内部で唸るグラヴィティ・ドライブが、早く飛ばせと雛を煽り立てた。サイレンが鳴る。高らかなアナウンスが、空いっぱいに響き渡った。
『これより、試合を開始いたします。カウントダウン、5、4、3、2、1――0!!』
 ドットいう衝撃。もう慣れたはずのこの反動さえも、今までとは違う感覚を持った。
 始まった。
 審査でも訓練でも、模擬でもない。やっと来ることができた、紛れもなく本物の空。
 スタジアムの、空だ。


 凄まじい風圧は、あっという間に空に霧散した。
 スタジアムが沸き、その中には黎二の名を呼ぶ声もある。本人には届かない、自分へのものではないその声に胸が震えた。颯介は空を仰ぐ。黎二は既に、一瞬ではそれとわからない程の高い場所を舞っていた。
「黎二、どう?」
『何がだ』
 ノイズと風の中で声がした。空中でちかちかと光る見慣れた赤を追い、颯介は雑音に負けぬようにはっきりと続けた。
「調子は――」
『ははっ!』
 こちらが言い終わる前に、普段では絶対に聞けないだろう笑い声が届く。水を得た魚、いや風を得た鷹は縦にジグザグを描きながら旋回し、ディスプレイ上の景色――黎二が今見ている色彩も、空、地上、空と目まぐるしく変化する。
『わかるだろ!!』
 耳元で声が跳ねた。ああ――わかる。訓練や模擬なんかとは比べ物にならないほどの熱量と血流の急加速に脳が付いて行かず、颯介は眩暈さえも覚えた。けれど、意識を失っている場合ではない。むしろ冴え過ぎているほどだ。深く、それでいて短い呼吸を何度も繰り返す。身体のそこかしこで爆ぜる熱と、それを煽る黎二の声。もっとだ。もっと燃料をくれ。マフラーは絶叫し、モーターは激しくバウンドする。燃費が悪く、その癖ブレーキを持たない俺達は、自家発電分だけではバーストできないのだ。
『ふっはは!!』
 電波を突き破って来る笑い声に、ふふ、とこちらまで笑ってしまいそうになる。が、自分は整備士だ。黎二と違い、試合中は冷静でいなくてはいけない。ディスプレイから顔を上げ、目を凝らす。すっかり高くなった太陽と、黎二よりも幾分緩やかな速度で旋回する青い影。様子を伺うように距離を置いていたようだが、じわじわとその差を詰めてきていた。グラウンドの対面にいる翔を見る。ディスプレイと交互に空を仰ぐその目は、雛というよりも黎二を見ているように思えた。目になっているのか。
「黎二、来るよ――雛ちゃんが」
『知ってらぁ!』
 答えると共に、黎二が下げつつあった高度を急に上げた。ランニングエンジンの赤い数値が、爆発的に上がる。ノイズ交じりのゴッという風の音が耳元を駆けた。接近中だった雛は一瞬怯んだように速度を落とし、一瞬で上昇しきった黎二を見失う。そこにもう一度、今度は上空から振り下ろすような軌道での切り込み。青い雀は折角詰めた間合いを諦め、大きな弧を描いて飛び去った。