Sparrow!!--#6:Burst(13)

「――へぇ」
 鼻で笑われると思ったが、彼は意外にも感嘆した。更に何かを言いかけていたが、こちらの背後に誰かを見てため息をつく。
「何だその顔。何もしてねぇよ、翔」
「えっ、」
 振り向くと、彼の言う通り翔がいた。たった今ここに来たばかりという体で、怪訝そうに黎二を見ている。
「何で一緒にいるんだ」
「そいつから突っかかって来たんだ。過保護かよ――おい、颯介見なかったか」
「……南ゲートの近くにいた」
「ちっ、そっちか」
 南ゲートは、彼からすると道を戻る方向にある。黎二は元来た方向へと進路を変え、すれ違いざまに雛を一瞥した。
「おい、お前」
「は、はいっ!」
「気合いだけは認めてやるよ」
 そう言い捨て、しかし表情は見えない。彼の姿が見えなくなったところで、ばさりと――昨日と同じように、整備士のジャンパーを肩に被せられた。いつの間にか傍に来ていた翔が、照れくさそうに視線を泳がせる。
「試合まで時間あるし、着てて」
「でも」
「いいから」
 生地に残る彼の体温が、ライダースーツ越しに伝わってくる。つい昨日も貸して貰ったのに、もうかなり前の事のようだ。
「行こう」
 けれど、視線は合わない。横顔のまま、翔は黎二とは反対方向へと雛を促した。


「おい、颯介」
 いつもの荒い声で呼ばれ、颯介は目を開けた。同時に、日光に目を焼かれる。遠のいていたスタジアムの喧騒が耳に戻ってきた。国枝はとっくのとうに持ち場に戻り、一人観戦したのも束の間、スタンドの背もたれに身を預けたまま寝てしまっていたらしい。試合は既に終わり、グラウンドでは選手の切り替えが行われている。今日何度目かの欠伸と伸びをして、隣の席に置いていた荷物をのける黎二を見上げた。
「ふああ、やっと来た」
「寝てんじゃねぇよ。試合見てないだろ」
「見てたよぉ……途中まで。でもすぐ点差開いたじゃん? あの内容ならさぁ、うとうとするのもわかるっしょ」
「知らね」
 どっかりと腰を下ろし、スポーツバッグからゼリー飲料のパックを取り出す。滑空前の操縦士に推奨されている食品で、シェイカーになっても嘔吐しにくいように調合されているものらしい。一度飲んでみたことがあるものの、殆ど無味な印象しかなかった。最近は女子向けに色々と味が出ているようだが、黎二が毛ほども興味を持たない故、颯介自身も詳しくは知らない。一気に飲み干されていくパックを横目に、そういえばさ、と何となく話を振る。
「さっきまで翔も近くにいたんだけど、どっか行っちゃったよ」
「会った。あの操縦士も一緒に」
「えっ、まじで?」
「何だよ」
 バウンドさせるように身を乗り出すと、黎二は元々不機嫌そうな顔を更にしかめさせた。
「いや――何か喋った? 雛ちゃんと」
「あー……別に」
 喋ったな。颯介は直感的に思った。照れくさいとか後ろ暗いとかそういうのでなく、ただ単に説明が面倒くさい時の濁し方だ。
「あーあ、俺も黎二迎えに行けば良かった」
「は。きめぇ」
「いやいや勘違いしないでさ。俺もその場にいたかったなぁってこと」
 というよりも――仲違いしているのだろう、あの二人は。
 対面のスタンドに掲げられた大型ディスプレイ。そこに映るデジタル時計は、まだ試合予定時間には程遠かった。これだけ時間があれば、何とか埋め合わせて来るかもしれない。それか、あの朴念仁の翔のことだ。二人がどんな状態で試合に臨むのか。黎二が会った時がどんな状態だったかは知らないが、見物ではある。
「――ま、翔がどう来たって、勝つのは俺らだけどね」
「当たり前だ」
 自分にしか聞こえないような声で零したはずなのに、あっさりと拾われた。ああもう、黎二のこういう所がずるい。素っ気ないようでよく見ているというか、良い意味で他人に敏感というか、もしくは、野生の性とも言うべきか。
 傍から見れば違いが無いかもしれないが、今の黎二はこれ以上になく高揚している。勘が働いているのは、この所為もあるのかもしれなかった。加えて昨日よりも穏やかに見えるのも、この後の本番のためにチャージを掛けているからに他ならない。最高圧でバーストするために、そしてそのタイミングを間違えないように、じっと息を潜めて周囲を見渡しているのだ。
 あと少し。あと少しだ。黎二に触発されて奮える胸中の自分を、この二年で培った冷静さで宥める。試合開始のアナウンスが響く空に向け、颯介は小さく苦笑した。


 試合の際に待機するダグアウトは、機体の大きさや設備に合わせて職員によって割り振られる。今回は雛が北、黎二が南と掲示されていた。翔は最初南ゲートにいたものの、雛を探しがてらぐるりと半周移動しようと考えたらしい。先ほど聞こえた試合開始のアナウンスに誘われ、廊下にいた人々は早足でスタンドに戻っていったけれど、翔と雛はまだ並んで歩いている。
 スタンドに行ってしまえば話ができなくなってしまうから、どちらともなく歩調が緩やかになっていた。スタンドに向かう階段まで辿り着き、雛はやっと黙って前を向く彼の横顔を見る。
「翔、あの」
「さっき」
 が、翔の声に遮られた。一番上で四角く切り取られた空を見上げながら、こちらを責めるでもなく、ひとりごちるように呟く。
「言ってたことってさ……操縦士になれないって、どういう意味だろう」
 こちらも、言わなければと思っていたことだ。雛は意を決し、空を仰いだままの彼に言った。
「最初に会った時にね、言われたでしょう。遊びじゃないんだって」
「黎二に? あんなの、気にしなくても良いって、」
「でも私は気になるよ。見返したい。それに、その……周藤さん、あの時、翔のことも馬鹿にしてた。翔は気にして無いかもしれないけど、私は、あの人に認めて欲しい――ううん。周藤さんだけじゃなくて、霧島君や、他の選手にも。みんなに認められないと、私は翔にふさわしい操縦士になれない。なりたいの、私」
 九月のあの時よりも、少し高い位置になった翔の目をぎゅっと見る。けれど、翔は視線を床へと滑らせた。
「俺は、そこまで言って貰えるほどじゃない」
 そこで――雛は気付いた。
 力なく下げられた彼の手が、微かに振るえていることに。
「雛にこんなことを言うのは、整備士として駄目だと思う。でも怖いんだ。昨日フォールした時から……今日だけじゃない。俺はこれから、雛をちゃんと守れるんだろうかって。昨日は成功したけれど、もし一瞬でも遅かったら、雛は、」
 殆ど反射的に、雛は彼の手を掴んだ。大きくて無骨な手のひらを両手で包み込む。グローブの硬い生地越しに一度強張り、それでも確かにわかるほど、その指先は慄いている。