Sparrow!!--#6:Burst(07)

「わ、私、頑張るからね。見てて」
「――ああ」
 雛の目があまりに切実だったため、翔は吸い寄せられるように返事をした。まるで本番だ。雛は意を決したようにフルフェイスヘルメットを取り付け、力いっぱいに左右のハンドルを握る。翔も素早く自分の位置に戻った。職員が手を上げ、はっきりとした発音で言う。
「それでは開始します。カウントダウン、5、4、3、2、1――0!!」
 二度目の滑空。一度目の時よりも高くなった真昼の空へと飛び出し、スパローは大きな弧を描いた。と同時に、翔はすぐさまディスプレイに注目する。画面は青一色。今雛がリアルタイムで見ている空、そのままの映像だ。
 その上に大小の黒い窓が六つ重なり、それぞれ示すものは異なっている。右下の窓は機体にかかっている力の数値を示し、縦に三つの数値が並ぶ。一番上、緑色の気圧。中央、黄色の重力。下、赤色の速度。重力はフロート値、速度はラン値とも呼ばれる。対する左下の窓は操縦士の状態で、上から脳波、心拍数、体温。こちらの文字は白抜きだが、異常値に近づくにつれ黄色、赤へと色を変える。右上には点数とその内容が簡単に記され、左上の三つの窓は機尾と左右の側面に取り付けた小型カメラの映像が映る。
 中央上部には球型の立体コンパス。レールが放たれると、その右横に赤いランプが灯される仕組みだ。因みにこの二つは雛の視界にも見えているが、先に述べた窓はオペレーションボードの上でしか確認ができない。操縦士には無い情報も含め、整備士はこれらの情報を全て把握しながらサポートしなければならない。
 三方のカメラ映像と、肉眼に映る空を見比べる。スパローと同時に、テストドライバーのオリーブ色をした機体も飛び上がっていた。その時についた高度を落とし、今は雛よりも下方にいる。が、スピードは格段に上だ。
「速度を落そう。いつ上がって来るかわからない、慎重に」
『――うん』
 うっすらとノイズを纏う雛の声が、ヘッドフォン越しに鼓膜に触れる。短い深呼吸の気配。心拍数の数値がじわじわと上がっていく。練習では見たことの無い上昇の仕方。雛は機首を下し、深く吸った後息を潜めた。けれど相手、疑似ホムラは、もう既に視界を抜け出している。
「真下だ!」
 叫んだ時には遅く――鋭角をつけ、スパローと接触ギリギリの間合いに突っ込んで来た。
『ひゃあっ』
「雛!」
 視界が回り、客席のオレンジとグラウンドの緑が過ぎる。いつの間にレールを撃たれていたのか、左上の窓の相手の点数欄に“4”の文字が浮上していた。慌ててディスプレイから空中へと顔を上げたが、スパローの影をすぐには見つけられない。視線で捉える前に、雛の掠れた声が耳に届く。
『――大丈夫。でもごめん、当たっちゃって……』
 何を謝ることがあるのだ。今のは、こちらからだって十分フォローできたはずである。けれどそれを伝える隙などない。空中の相手を追い、翔は早口で叫んだ。
「向こうは減速に入ってる。射程距離に行けるか?」
『うん――』
 落ちていた速度を再度上げる。ホムラの特徴を模しているおかげで加速に手間取っている相手を目掛け、雛はぐんと飛び込んでいった。
 レールの射程距離ギリギリまで近づき、一発放つ。相手は速度を付けつつ躱すが、スパローも接触まではいかない絶妙な距離を保って翻る。右。下。移動する度にレールを放ち、斜めに交差した瞬間に撃った赤い光が相手の側面にヒットした。こちらの点数欄に、“2”と灯る。
『当たった、ね』
「ああ」
『も、一回――あっ』
 その瞬間、ドッと鈍い音が彼女の声を遮断した。オリーブ色の影が閃き、視界ががくんと下がり――
 いけない。
「ッ、ひ、」
 雛、と名を呼ぶ暇も無かった。口を動かす代わりに、オペレーションボード下方にあるコの字型のバーを勢い任せに押し下げる。陶子や国枝から何度も教えられた、フォール時に行う緊急の対処法だ。フォールは相手からのアタックの衝撃でFMが起こす一瞬の機能停止が原因で、操縦士にも整備士にも、瞬時的に機体の操作が不可能になる。しかしこのバーでは、落下時にフロートエンジンを半ば無理矢理に捻り上げ、地面に衝突する瞬間の衝撃を出来る限り軽くする。これまでに怪我人を多く出してきたことに基づいた、試合の行方を放棄して、あくまで操縦士の身を守るためにする操作だ。
 それが効いたのか、スパローは落下の速度を緩め、一般的に想定するよりもずっと軽い音を立ててクッションの上に落ちた。
「怪我はないか!?」
 翔よりも先に、相手をしていたテストドライバーが雛の傍に着陸した。陶子や、近くに待機していた他のスタッフも駆け寄り、スパローを持ち上げて雛を救出する。翔自身も、弾かれたようにオペレーションボードから彼女の方へと向かった。雛は上体を起こし、ヘルメットを剥ぎ取られると同時に陶子に縋りついた。
「平気です。陶子さん、もう一回、と、飛ばせて、ください」
「焦る気持ちもわかるけど、その状態じゃあ、」
「できるだけ! ……飛びたいんです。明日、勝ちたいから……」
 珍しいくらい強い口調で、雛は師の言を遮る。陶子が是非を尋ねるようにこちらにも視線を寄越した。しかし、未だにへばりつく血の気の引く感覚に気圧され、翔は答えに窮した。バーを降ろした手がまだ震えている。何といっても、模擬試合で雛がフォールになったのは初めてのことだったのだ。緊急の操作が言われていた通りにできたという少しの安堵と、あと一瞬でも遅かったら――という多大な恐怖が汗になり、じっとりと背に滲む。
「やめといたら?」
 背後から別の声が聞こえた。その人物に対して怯んだように、何かを言いかけていた雛がきゅっと口を閉じる。いつの間にいたんだ。誰だかはわざわざ見なくたって分かるが、翔は振り向きざまに彼の名前をこぼした。
「――霧島」
 同期で、その上同い年の操縦士である霧島陸央である。彼は紫のライダースーツで覆った華奢な体躯の上で腕を組み、中性的な顔立ちに険のある苦笑を浮かべて続けた。
「もう残り五分も無いでしょ。セッティングするだけで時間越しちゃうと思うけど。というか、フォールを受けた地点で試合は終わるんだから。たとえ模擬でもさ」
 講習中も、陸央にはこうしてよく突っかかれていたものだ。陶子がまた始まったというように軽い溜息をついたが、今回ばかりは彼に賛同するよりないと首を縦に振った。
「……そうね。雛ちゃん、ダグアウトで休憩してきなさい。どちらにせよフォールされてすぐは三半規管が安定しないし、その状態での滑空は事故の元よ。もう今日は上がれないけど、仮想シューティングなら後で見てあげられる」
 こちらにも目配せつつ、陶子は雛の肩を半ば抱くようにして諭す。雛は目を開いたまま無言の抵抗を示していたが、時間が迫っていることを察したのかやがて「はい」と力なく返事をした。ふらりと立ち上がり、陶子から翔の方へと身を映す。支えようとライダースーツ越しに触れた肩は、呆気ないほどに冷たかった。歩調を彼女に合わせながら、ダグアウトへと向かっていく。
「周藤が相手だからって、今更焦ってどうすんだよ」
 職員達が次の滑空の準備に移る中、陸央が背後を追って来た。
「勝ちたいからって言うけど、勝ちたいのは宝生さんだけじゃないんだ。模擬の時間は限られてるし、今みたいな我儘は控えた方が良いんじゃない? みっともない。もう選手なのに。お遊びだって言われても仕方ないよ。知ってる? 君の事、そういう風に捉えてる操縦士も少なくないんだよ」
 陸央の辛辣な言葉にびくりと震えたが、雛は振り向きもせず歩調を速める。
「雛!」
 呼ぶ声も虚しく、雛は俯いたまま翔を通り越していった。そしてそのまま、逃げ込むようにダグアウトの日影に消えていく。翔は陸央をねめつけ、
「お前――そこまで言わなくても良いだろ」
 だが彼は、痛くも痒くも無いとでも言うように「は」と鼻で笑った。