Sparrow!!--#6:Burst(04)

 良い所だったのに――瞬時に手を引っ込める。茉莉はそんな颯介の下心には露も気付かず、立葵とは正反対の勝気な目でこちらを見上げた。
「じゃあね。次は、当たった時に」
「うん、また」
 彼女は人ごみの中に、颯介は自分を待つ相方の元に散る。黎二はこちらは素知らぬふりで、紛れ込んだ野生の獣の様に尖った視線を周りに送っていた。普段地上で乗っている中型バイクで来たのだろう。ジャケットにジーンズという格好はトレーニングに適してすらいないが、元々均整が取れた体系をしているために妙に様になっている。ぱっと見だけなら逆ナンの一度や二度もされそうな感じではあるが、既にちょっとつつくだけでも噛みつかれそうな雰囲気を漂わせているのが難点だ。それでも颯介は歩調を速め、臨戦態勢に入りつつある彼のテリトリーに足を踏み入れた。
「黎二、言ってたより早いじゃん」
 早いといっても、十時まであと十分ほどしかないのだが。彼はまだ寝起きの不機嫌を引きずっているような顔でこちらを一瞥する。
「明日の相手がわかったら、すぐドッグに行く」
「――だね、そうしよう」
 黎二の足元に置かれている物を見て、颯介は頷いた。無造作に置かれたいつものスポーツバッグの口から、彼の赤いライダースーツがちらりと覗いている。そう来なくちゃ。明日の試合に向けて、調整することは山のようにあるのだ。それに黎二自身、今すぐにでも飛びたそうにしているのを、隣にいても痺れる程に感じる。
 ドッグとは、ホムラを預けている天馬重工が管轄する施設である。狭くはあるが、一選手につき一つ貸し出され、実物よりは狭いものの練習用のグラウンドも傍に設けられている。その上他の設備も充実しており、機体の整備や搬入がスムーズに行えるのだ。準専用には約五十の部屋があり、前年の成績次第で毎年貸出権が更新される。本戦の様に事務所に属さない――いわばアマチュアである準戦の選手とって、機体の保管と搬入は一番頭を悩ませる問題で、その解消を同時にできるドッグ使用権はまさに喉から手が出る程欲しいもののひとつである。
『お待たせしました。それでは、二〇七八年度、FMマッチ準戦の開会セレモニーを始めます』
 グラウンドからスタンドから、この場にいる全ての者が一斉に拍手をした。マイナーな分淡々とした雰囲気のある準戦も、この時ばかりは本戦にも負けず劣らずの盛り上がりを見せる。おざなりに数回手を叩く黎二に、颯介は言おうとしていたことを思い出した。
「そうだ黎二、雛ちゃん出場するみたいだよ」
「誰だそいつ」
「えっ!? 翔と組んでる女の子だよ。さっき、翔見かけたんだよね」
「ああ……あの女子か。顔覚えてねぇ」
 試運転試験の日、そして星望杯の時と、彼女の記憶には相当焼き付いているだろうに、黎二自身の認識はこの程度だから若干不憫でもある。が、颯介の見解は黎二とはまた違っている。勿論、颯介自身もまさか翔が同級生の女子を操縦士にするなんて想定外だったし、初対面の時は正直舐めていると思った。けれどこれまで数回しかない対面で、彼女の印象は空の色の様にころころ変わっているのを面白く思う。
 貴方には、負けません。
 星望杯で出会った時のことは自分も覚えているが、怯みつつも、真っ直ぐ黎二を睨みつけて来た。それは初対面時のお嬢様然とした印象とは真逆と言えるほど果敢な言動で、颯介としては大いに感心したものだ。
『今年デビューを飾る新規操縦士の滑空を開始します。アナウンス致しますので、順次搭乗代に配置、滑空を始めてください。それでは一番――操縦士番号四七八七、早川洋典――』
 コールと共に、一機目がどっと空へと飛び出した。FMマッチは二人いて初めて選手となっているものの、常に操縦士の名前で区別される。けれど颯介はそれを贔屓だとも思わない。一生を通して機能できる整備士と違い、操縦士は若い間しか命の無い儚い生き物だからだ。競技の主役は操縦士でしか有り得ない。見上げれば新しい命が次々と空に放たれ、それぞれの意思で大きな弧を描く。
 準戦の試合は一選手辺り上限年間四十回。シーズン終了後に出場と勝利の数から勝率が弾きだされ、その成績とプレイ内容を元に来季の本戦権を審査されるのだ。週末を中心に試合予定が組まれ、対戦相手は――初戦である明日を除き――二日前にウェブ上とメールにて告知される。勿論組み合わせはランダムだが、一度負けた選手にまた勝負を挑める再戦制度があるのが面白い所だ。
『操縦士番号四七九九、長瀬将太――』
 領空半周分の間をもって、選手の名前が点呼されていく。これからライバルになる者が見守る中、中には宙返りをしたり鋭角的な軌道を披露したりする選手もいた。自分が下手な選手では無いという、背伸びで支えられたプライドが空に滲んでは消える。
『――次で最後の選手です。操縦士番号四八一一、宝生雛』
「おっ、やっときた」
 漸く目当てが呼ばれ、颯介は眩しい空に目を凝らした。操縦士番号で最後ということは、免許を取ったのも今期で最後なのだろう。雛の機体――翔が整備するスパローは、深い青色をしたボディを光らせながら空に打ちあがった。そのまま、特に変わったこともせずすうっと弧を描く。ただ、その軌道には不安げな所は見当たらない。自信があるというほど堂々とした滑空というわけでは無いか、見ていて心地よいほど安定して風に乗れている。スピードにはゆるく緩急が付けられ、姿勢もしっかりとしていた。九月に見た、暴れる機体に引っ張られて人形の様になっていたのが懐かしい。
「上手くなってんじゃん」
「免許出てんならあのくらいは普通だろ」
「いや、それはそうなんだけど。前見た時は純粋に素人だったからね。半年足らずで出場してるし、まぁまぁ頑張ってる方なんじゃないかな」
 それに――颯介は空を見た。青い機体が煌めく。彼女の滑空には、気にかかることがある。試運転審査事故の時、地面に衝突する一瞬前に浮力を加える上級技・フロースピンを偶然であろうが披露しているのだ。フォールを戦法の一つに数えている手前、こちらとしては厄介な要素である。まさか半年であれを完全に習得している筈はないと思うし、黎二にはもうすでに一蹴されていることではあるが、自分はそれも頭の片隅に置いておく必要があるだろう。
 雛の滑空は何事も無く終了し、場内で再び拍手が起こった。明日から試合が始まるとは思えないほど、和やかな雰囲気。次のスタッフによる行程を知らせるアナウンスが鳴り、自分達と同じく弛緩して空を仰いでいた二年目以降の選手たちがぞろぞろと動き出す。
「いよいよだね」
「今更何言ってんだ」
 黎二は短く息を付き、壁から背中を離した。
「もうとっくに始まってる。行くぞ」
 空の太陽が、その目に鋭い燐光を宿らせる。こうして見惚れている間にも、黎二は何歩も先に行ってしまうだろう。出遅れてしまわないように、颯介は小走りに寄って彼に並んだ。


 拍手の音が聞こえるまで、自分自身の出番が終わったという感覚が無かった。
 名前を呼ばれたことさえもおぼろげである。その頃には既に気持ちは空の中にあり、観客の喧騒は遥か足元にあった。練習としてこの領空を飛んでいた間は、他の選手はいても客席に人がいることなど滅多に無い。だからか余計に、このスタンドの半分以上を埋める人の数に怯んでしまう。準戦に来る客の量など、去年行った最大の大会・星望杯とは雲泥の差だぞとは聞いていたが、雛にとってはどちらも同じだった。