Sparrow!!--#6:Burst(01)

 今時ガスで火を付けねばならないなんて、原始人じゃあるまいし。
 しかも接触が悪い。何度もつまみを捻り直してはいるが、かちっかちっという不器用な音はいつも不発に終わり、嫌なガスの臭いだけが鼻に付く。十八回目の挑戦でやっと火が付き、颯介は思わず大袈裟なため息をついた。
 台所のIHヒーターが壊れてしまい、兄の涼介が物置の中から発掘してきた卓上のガスコンロだった。この二〇七八年において、殆どアンティークとも言える代物。ガスボンベだって、兄が手で詰め替えた。こんなのが残っているなんて、いくら工業の町天馬と言っても、翔の家かうちくらいなもんだ。
 やっと点いた小さな炎を見つめながら、ゆっくりとガスの量を上げていく。赤く光っていた炎は、穂先に青い色をも閃かせながら威力を増していった。コンロがかんかんと音を立てる。爆発すんじゃね? うっすらとした危惧を抱きながら、フライパンにサラダ油を引いて少しだけ待つ。
 欠伸が出た。起きてからまだ三十分も経ってない。三月末日の早朝の空気はまだ冷たくて、窓から覗く空は白く曇っている。天気予報では悪くなかったから、もう少し時間が経てば晴れて来るだろう。熱されたフライパンにベーコンを数枚投入し、背後のテーブルに放ったままの携帯端末を手にした。短縮で見慣れたIDを出して耳に当てる。起き掛けにも一度鳴らしたから、本日二度目の発信だ。コール。一、二、三、四、五、六。出ない。寝てるのか。肩をすくめ、八コール目で一度切った。ふつふつと弾ける薄い肉の表面を見つめる。焼き目は少々きつめ、カリカリになっている方が好きだ。けれどあまり火を強くし過ぎると、今度は焦げてしまうから難しい。弱火でじっくり焼かなければ、目的の焼き具合にはならない。何事にも辛抱強さは必要だ。料理も女の子を落すのもFMマッチの試合も、火加減とタイミングの計り方次第で結果が全て変わってくる。
 もう一度発信を押した。今度は、二コール目で回線がつながる。
「おっは。起きた?」
『…………てめぇ、いい加減にしろ』
 電波越しにいる相手――周藤黎二の声は、たった今地の底から這いだしてきたような超低音だった。低血圧全開。実際に顔を見れば多分傍にも寄れない程の形相だろうが、今はまだ大丈夫だと言える。だって電話越しだから。家二軒分の距離は離れているから、いくらなんでも拳は飛んでこないだろう。
「いやいやそんなコールしてないじゃん」
 にゃあ、と回線越しに猫の鳴き声が聞こえてきた。黎二の家にいるでかい猫だ。貰われてきて五年ほどになるキジトラで、メスだというのに安直にトラと名付けられている。黎二にめちゃくちゃ懐いていて、家にいるといつもべったりひっついているくせに、こちらには全く懐かない。自分にかかれば人間の女の子なら崩落率九十九パーセントなのだが、どうやら御猫様の世界では違うらしい。別に悔しくも無いけど。
「俺さ、今飯作ってるから。これ食べて、あと三十分くらいで迎え行くよ」
『……こんな早く行かなくても良いだろ。先行ってろ』
「うわッやる気無ッ!」
『試合も無ぇのにやる気もクソもあるか』
「いやまぁそうだけど。でも一応さぁ、初戦の組み合わせも出るわけだしさぁ」
『それもどうせ一番後だろ。気が早ぇんだよ』
 黎二は欠伸交じりに言う。まぁ確かに、今日のセレモニーは黎二のようなタイプの者にはかったるいだろう。いくら滑空もすると言っても今回は試合ではなく、その年の新人が顔見せ代わりに乗る程度だ。だから、今日はホムラもいらない。二年目以降の操縦士の半分以上がトレーニングウェアだし、黎二だって十中八九そうだろう。
『じゃあな。俺ぁ寝る』
 にゃあ。ぼんやりしている間に、自分より先にトラが返事をした。
「えっ? え、来るよね」
『たりめーだろ。十時だ』
 言い捨てて、回線はぶつんと途切れる。十時って、開会時間じゃん――息を付き、颯介は端末をテーブルに戻した。切る前の声は機嫌が悪い感じでは無かった。ほっとして、ガスコンロの火をほんの少しだけ強くする。
 準戦の世界はえぐい、と思う。自分たちのいる天馬リーグに限って言えば、毎年本戦に上がれるのは十人もいれば豊作という感じだ。片手で数えるに足る年もある。なのに、実力はドングリの背比べ――これはひとえに、競技会が始めた免許取得前のトレーニングが流行っている所為なのだが――であり、己を鍛えることよりも、他をどう引きずり落とすかということに重点を置かれがちなのだ。だから技術の無い新人や選手にもなれない片翼など、苛めの対象として覿面(てきめん)なのである。
 まぁ、黎二には関係ないけど。
 本戦に行く選手には、華と実力と運が要るという。そして、自分の相方には前二つは揃っているし、他の選手には悪いが、数少ない頭一つ抜けた選手の中に入っていると颯介は思っている。勿論贔屓目なしでだ。黎二がしてきたトレーニングは全て独学で、金を出せば誰でもできるような、その辺のドングリ育成教室で強くなった気でいる他の連中とは違う。だから当然、試合に対する姿勢も、モチベーションも違ってくる。
 しかし、黎二だけが凄い奴でも駄目なのだ。
 彼とは反対に、颯介自身はこのセレモニーは大事だと思っている。オフシーズンの整備士はぶっちゃければ暇で、練習での整備なんてやっていて全然燃えないのだ。この五カ月で緩みに緩みまくった気持ちが、ぎゅっと締められる行事。それが今日だ。黎二にとってはだるいだけの行事かもしれないが、気持ち的な切り替えが半強制的に行えるのは、惰性的な自分の性質にも合っていると言える。何か燃料が要るのだ。燃料が。自家発電分だけでバーストできるほど、自分は燃費の良い生き物では無い。
 今年で準戦を抜けて、来年には本戦に行こう。口には出さないけど、そう決めている。
 自分の思考に独りうんうんと頷いたその瞬間、ぱち、と目の前で油が跳ねる。
「あっっっっつ!!!!」
 測ったようなタイミングである。完全な飛び火に、女友達には聞かせられないような声を上げた。


 アイシールド越しに見る太陽は、角度によっては赤く見える。
 雛がそれに気が付いたのは、操縦士の基礎講習に通い出してしばらく経った時だった。滑空中は自然光によって目を射られると危険なため、シールドは特殊な偏光ガラスになっているらしい。FM搭乗時に目を覆うアイシールドの元々の色は深い藍色で、オペレーションボードと同期させることによって透明に澄み切る。光の反射の仕方は肉眼とは違うらしく、これまでも実際とは違う光方をしているものを何度か見かけて来た。
 太陽の淵が赤い光になぞられる。プロミネンス、という現象を雛は思い出した。太陽の表面近くにあるガスが、上辺の大気の層を破いて噴出されて起こる赤い炎の爆発。丸い太陽の輪郭から、まるで生きているような炎の柱が飛び出している写真は、授業中に見ていてとても印象的だった。
『――雛、聞こえる?』
 意識を太陽の方へと集中させていたら、最早聞き慣れた低めの声が鼓膜をくすぐった。翔だ。ヘルメットに搭載されているスピーカー越しに、FMのオペレーションを行っている。腕をしならせ、ぐりんと軌道を変えて今度は地上を見、彼を確認しつつも雛は頷き返す。