Sparrow!!--#5:Flap(16)

 画面に映った人物をまじまじと見つめる。ぱっと身では、何の変哲のない青年に見えるだろう。想像以上に華奢な雰囲気を持ち、金に染められた髪は少し長めで、一流のスポーツ選手だとは到底思えない。準戦の間は海峰園の空を飛び、本戦に上がったのは五年前。本来なら所属事務所や企業の関係で同一リーグに留まるのが本戦選手のしきたりだが、彼はチャンピオンにのし上がる一昨年まで、毎年別のリーグから参戦しているという一風変わった経歴を持つ。一種の武者修行のようなものだろうかとも思うが、詳細はわからない。しかしそれが、彼の強さを物語ってもいた。
 機体は登録番号1505号・ファルコン――白銀をした機体で、シートから機尾にかけての側面にハヤブサの羽を思わせるような模様が施されている。本戦の強豪には相手を威嚇するように下品に飾り立てられた機体も多くあるが、王者の貫録とでも言おうか、このファルコンには余計なディティールは一切なく、頭一つ飛び抜けて美しい外見をしていた。だが、百戦錬磨のチャンピオンの機体としては驚くほどに細身である。小型と言われるスパローと大差ないだろうと、翔の目から見ても予想できるほどに。
 FMの重さは、操縦士の体重や腕力に合わせて調節するのが普通だ。軽すぎれば風圧に耐え切れず、重すぎればコントロールに支障が出る。那智は桜木陶子と同い年、身長は一七〇センチ台半ば・体重は五〇キロ台後半とデータにあるが、それから考えればファルコンはかなり小さい。乗りこなすにはかなりなコントロールスキルと、高度な整備技術が必要なのではないだろうか。
 そこまで考えたところで、ふとホログラム映像に影が差した。
「――お、翔いるじゃん」
 通りの良いハイバリトンが耳に届く。見上げると、階段の一番上に見慣れた顔――久世颯介が立っていた。シンプルなジーンズと長袖シャツ、その上にジャケットを着ているだけなのに、こいつだと腹が立つほどに様になっている。颯介は翔の隣の雛に気付き、軽く手を上げた。
「やっほー雛ちゃん。髪切ったんだね。似合ってるよ」
「久世さん、こんにちは」
 クレープをきゅっと握り、少し表情を緊張させて雛が会釈した。彼女が彼と会うのは適性審査の時以来だ。人ごみの中でも一際目立つ造りの綺麗な顔を緩め、兄貴分且つライバルは翔など目に入っていないかのように朗らかに笑った。
「俺のことは颯介で良ってば。でさ雛ちゃん、どう?」
「何がだよ」
 雛に変わって突っ返してやる。こいつと彼女が喋っているところなんてできる限り見たくない。
「翔には聞いてないんだけど……まぁいいや。先週、基礎講習だったんでしょ。免許取れそう?」
 隣で雛の肩が揺れた。先週の基礎講習で、シェイカーになって途中で離脱をするに至ったことを考えたのかもしれない。彼女はあのことを気にしているようだが、自分自身での操縦は初めてだったために仕方のないことだと翔は思う。まだまっさらな初心者であり、それ故に、免許を取るのにも時間が掛かるはず。
 しかし、彼女は颯介を見上げたまま毅然と言い放った。
「――取れます」
「へぇ。見込みあるんだね。良かった良かった」
 そう言いながら、颯介は背後の人物を振り返った。
「黎二! 翔と雛ちゃんがいるよ」
「……だから何だよ」
 棘のある低い声が颯介の更に奥から聞こえ、同時に雛が萎縮するのがわかった。先日会った時に、ガキの遊びだと一蹴されたことはまだ記憶に新しい。派手な髪も無駄なく鍛えられた体つきもそのままに、周藤黎二が翔と雛を見下ろす位置に姿を現した。トレーニングのついでに来ているのか、いつもの黒いスポーツウェアに身を包んでいる。
「雛ちゃんさ、免許取れそうなんだって。来年には準戦に出るみたいだよ」
 颯介に言われ、彼はちらりとこちらを一瞥した。猛禽類のような目が翔と雛を狙い撃つが如く捉え、しかしすぐに興味すら無いと言うように視線を背ける。
「どうでもいい」
「え〜っ。何でだよ」
「勘定するまでもねぇ」
 颯介の抗議に吐き捨てるように言った。勘定するまでもない。つまりは勝率の推移には影響がない、居ても居なくても同じ――勝って当たり前ということだ。
 翔は唇を噛む。何か言ってやりたかったが、悔しいほどに言葉が出ない。同期の霧島陸央に馬鹿にされるのと、経験に差がある黎二に言われるのでは立場が違う。まだ選手としての経験が何も無い自分が食って掛かったところで、軽く一蹴されるだけで終わるだろう。しかし、
「あっ、貴方には、」
 背中で雛の声が上がった。
 振り返ると、雛が真っ直ぐに黎二を睨みつけていた。極度の緊張に表情を硬くし、こちらのジャンパーの裾を持つ手が少しだけ震えている。
「貴方には、負けません」
 言い切った。あまりに予想外なことに、翔は目を見張る。思わず彼女の視線の先――黎二の方を見上げ、今度は彼の表情に更にぞっとした。
 嗤っている。
 目は雛を睨んだまま、口角だけをうっすらと上向きにしていた。自ら舞い込んできた獲物を、どう料理しようかと企んでいる獣の目だ。翔は唾を飲む。いくら付き合いが長いとはいっても、黎二のこういった表情は殆ど見たことが無い。いや、向けられたことが無かっただけだろう。普段では決して外には出さない、彼の選手としての顔を翔は初めて目の当りにしたのだ。
 しかし、黎二はその表情をすぐに引っ込める。
「行くぞ」
 ふいと踵を返し、背中越しに言った。「はいはい」と軽く返し、颯介は肩をすくめる。
「観戦するだけなのにピリピリするんだよな〜……慣れてるけどさ。で、翔は座席どこ? 指定席?」
「……一応」
「やっぱつぐみさんは良いとこ取るね。俺らは自由席だから、中に入ったらもう会わないかも」
 それが良い。絶対にそれが良い。こいつが一緒にいたら何もかもが台無しだ。
「二人でゆっくり観戦ね。二人でね」
「何だよ」
「別にぃ。じゃあ雛ちゃん、どうぞ楽しんで。翔もね」
 こちらが思っていることを飲み込んだのか、颯介はにやにや笑って目配せし、黎二の後を追うように階上に消えて行った。どういう意味だ。確かに誘ったのはこちらだが、単に星望杯の観戦は必要不可欠だと思ったからだ。他意は無い。無いったら無いのだ。
 苛立ちつつ、しかし彼がいなくなったことにほっと肩を落とす。再び雛の方を見ると、彼女も夢から覚めたばかりのような表情で宙を見上げていた。今自分が黎二に言った事がにわかに信じられない、といった様子で。
 とその時、公園内に点々と取り付けられたスピーカーから、一斉に音が上がった。
『天馬マリンドーム、只今開場いたしました。チケットをお持ちの方は、指定のゲートに沿って――』
 明るい女性の声だ。端末のデジタル時計を見ると、きっかり四時半が示されていた。公園内に散らばっていた人々が、アナウンスに導かれてぞろぞろと移動を始めていく。翔は立ち上がり、雛の肩に軽く触れた。
「雛、行こう」
「う、うん」
 大河の如く流れる人々に合流し、押し押されしながら歩き出した。大学生と思われるグループが横並びになって視界を隠す。後ろで子供の泣き声が聞こえ、拡声器を持ったスタッフが整列を呼び掛けている。背伸びをすれば、無数の後ろ頭がドームの入口へと吸い込まれていくのが見えた。人の波は鈍い割に緩急が激しく、先ほどから雛との距離は開いたり縮んだりを繰り返している。彼女が傍にいることを数歩ごとに確かめながら、翔は初めて言葉を交わした時のことを考えた。
 最初はまさかクラスメイトだなんて思わなかった。こんなにも人がいる中、誰かが一人きりで蹲っている――それに気が付いたのと体が動いたのは殆ど同時で、引力に導かれる彗星のように近づいていった。あれは、ある種天啓だったのではないかとさえ今になって思う。
 その時、温かく柔らかいものが、こちらの手のひらに絡められた。
 振り返る。雛は俯き、真っ赤になりながら、周りの雑踏の中でもギリギリこちらに聞こえるほどの声で囁いた。
「逸れちゃう」
 きゅう、と力が込められる。かすかな血液の流れを感じるが、自分のものかも彼女のものかもわからない。
 先日重ねられたのと同じ彼女の手のひらは、白く滑らかで温かい。体の割に大きく、整備をするせいで皮が厚く荒れた自分の手とは天と地ほどの違いがある。だからだろうか。彼女から手を触られるのは、何となく気恥ずかしい。それに、彼女の父親と話したあの夜から、彼女には必要以上に触れないようにしていたのだ。
 夏から今日までの短期間で、彼女には目まぐるしい変化が起こった。両親の許可を経て髪を切り、一人でスパローに乗って空を飛んだ。小さく震えて翔の肩に涙を落としていた、あの時の彼女はもう目の前にはいない。
「……うん」
 そっと握り返すと、雛の手は少しだけ強張り、またおずおずと力を入れて来た。この手を離してはならない。これからどんな雑踏に紛れるとしても、険しい道を行くとしても、決して逸れてしまわぬように。
 ドームの内部へと続くゲートをくぐり、二人は夢の舞台への道を歩き出した。