Sparrow!!--#5:Flap(08)

 楕円型のグラウンドのちょうど真ん中に、先日乗った時にも見た白いステージ――搭乗台というらしい――が設置してある。試合前にFMを待機させていた場所だ。周囲には長方形のクッションがいくつも敷かれ、落下対策も万全にとられている。それに基礎とは言え、整備士がFM操作を行うコンピューターもしっかりと完備されていた。
「これより基礎講習を開始いたします。この搭乗台まで集まって来て下さい」
 先ほど声を掛けていた男性職員が、もう一度手を上げて候補生達を誘導した。ライダースーツを着た操縦士候補生は十人弱で、男女比は六対四程、年の頃は十代後半から二十歳前後の者が殆どだ。整備士と思われる者はその約半分といったところ。操縦士の面々よりも年齢層が高く、翔と同様、相方の付き添いと言った雰囲気だ。
 彼らの後ろに陣取った雛と翔のすぐ横に、“りっちゃん”も自機を引いて隣に来ていた。機体はスーツと同じ色で、弾丸のような線の細いシルエットをしている。片翼の候補者用のグレーの試用機ではなく、自分の専用機を持っているということは、ここには不在というだけで彼女にも既に整備士がついているのだろう。
「全員揃いましたね。ではまず、講師を紹介……あれ?」
 全員を見回して声を上げた職員が、突然豆鉄砲を食らったように辺りを見回した。操縦士候補生たちはきょとんとしてそれを見守る。彼は困惑しながら斜め後ろにいた他の職員を振り返った。
「おかしいな。来られてませんか?」
「いや、見てないな。汐野はどうだ? あの人、来てた?」
「うーん、汐野も知らないです」
 同僚のうだつの上がらない返答に、彼は軽い溜息をついて向き直り、
「……すみません、始まったばかりですが、しばらく待ってください」
「講師が遅刻って、有り得るの?」
「段取り悪いなぁ」
 雫に打たれた水面のようなざわめきが、候補生達の間で立つ。――しかし次の瞬間、スタジアムの外でドッと短い破裂音が響いた。続いて、ひゅんと空を裂く音。雛は不意に顔を上げ、ただ青い空を見る。
「――あ、」
 その真ん中で、何かがきらりと瞬いた。
「あれは……」
 雛の声につられ、翔も空を見上げた。そうする間にもその光の点は徐々に大きくなり、コンマ何秒の単位でこちらに接近しているのがありありとわかる。そして――
「わぁっ」
 その色と形が肉眼でも確認できる頃、候補生達は口々に悲鳴を上げた。今までとは比べ物にならないほどの強い風がグラウンドに螺旋を描き、まるで上空に放り出されたように下から上へと風が巻き起こる。足元の芝生が短いながらにもざわめき、髪はめちゃくちゃにかき回され、思わず閉じた目を再び開けた頃には、先ほどあった光の粒はもういなくなっていた。
「わ、ちょっと、あれって、」
「うっそ、まさか――」
 周りの候補生たちの声で、雛はやっとそれがスタジアムの領空まで降りてきていることに気付いた。周囲を大きく見回し、目にも留まらぬ速さで宙を駆けるそれを捉える。
 空に向かって舞う桜の花びら。第一印象は、季節外れにもそういったものだった。
 ラメを帯びる薄紅色が、光を浴びてシャンパンのように煌めいた。緩やかな流線に包まれたボディは女性的な丸みを帯び、空中を滑るようになめらかに宙を駆ける。同色のライダースーツを着た操縦士も、機体との間に境界線が無いかのようにぴったりと寄り添っていた。
 見惚れるあまり、それがFMであるということに思い至ったのは一拍おいた後だ。真っ直ぐに飛びながらの螺子のような横回転、遠心力を利用したダイナミックな方向転換。皆の視線を翻弄するように機体は飛び回り、雛も息を飲んでそれを追う。FMの滑空を生で見るのはとても久しぶりな気がした。高鳴り過ぎた鼓動を抑えるように、不意にスーツの胸元を握る。
 候補生達が唖然と見守る中、桜色のFMはぐんぐんと減速して地上に近づいてきた。今までの動きからは連想できない程にゆっくりと、静かに搭乗台の上に降り立つ。操縦士が飛び降り、スタンドで機体を固定すると辺りを見下ろすように正面に立った。
 女性だ。背はすらりと高いが、体にはくっきりとした凹凸がある。胸は大きく、腰はきゅっと締まり、尻から太腿に掛けては健康的で無駄の無いなだらかなラインが続いている。
「皆揃ってる?」
 きれいな艶のある声がフルフェイスヘルメットから漏れた。日光がアイシールドを透かし、その奥の瞳がちらりと透ける。
「ちょっ! 揃ってる、じゃないですよ! どこ行ってたんですか!?」
「どこって、すぐ外にいたよ。領空内だからヘーキヘーキ。滑空を間近で見た方が後の勉強になると思ったんだけどさ、我ながら完璧なお手本だね。良かったでしょ?」
 声を荒げる職員をそうあしらい、彼女は颯爽とヘルメットを脱いだ。中に詰めていたのだろう長い髪が、扇のように艶やかに散らばる。それは赤味の強い栗色で、光の加減ではオレンジにも桃色にも見えた。
「こんにちは、担当講師の桜木陶子(さくらぎ とうこ)です。これから皆にFMの基礎を叩き込むから、ビシッとついてくるように。よろしく」
 目尻がきゅっと上がった、猫のように大きな瞳を悪戯っぽく緩ませる。同性の雛でもどきりとするほどの艶やかさだ。化粧っ気は無いものの、雑誌やテレビに載っていても良いような美人だ。
「本物だ!」
「凄い! 私、ファンなんです!」
 周りの候補生達が口々に声を上げる。顔を紅潮させ、今にも倒れそうにしている者もいるほどだ。しかし雛は例の如く置いてけぼりで、手のひらを返したような周りの空気に戸惑いながら、横で呆然と彼女を見ている翔に囁いた。
「ええと、有名な人なの?」
「去年引退した選手だよ。星望杯まで出場してたし、相当人気があった」
「――うっそ。知らなかったの?」
 翔の返答を遮るように、隣から険のある声が聞こえた。
「えっ?」
「びっくりした。君、本当に素人なんだね。あんなにメディア露出があったのに、桜木陶子を知らないなんて。無知にもほどがあるでしょ。一般人だって知ってることだよ」
 振り返ると、それまでずっと黙っていた“りっちゃん”がこちらを向いていた。彼女――いや、違う。高音ではあるものの、この声は女性のものではない。びっくりしたのはこちらの方である。雛は目を見開き、呟く。