Sparrow!!--#5:Flap(06)

 彼の攻撃は緩急が激しい。フォールを無効化するフロースピンという技は勿論、スピードの加減速の切り替えが予測不能で、乗り手と機体が完全に同化しているような滑らかな飛行をする。どれほど注意深く動きを読んでいたとしても、あっけなく翻弄されてしまうのだ。
 正直、その劣化版のような今の自分のスタイルでは、彼に勝つことは容易ではないだろう。けれどそれをここで顔に出すのも腑に落ちない。地の底から這いあがってきた自負とプライドが、自分以外の人間に弱みを見せることを拒絶する。そんな瑠夏の見栄をあえて汲み取らず、国枝は煙草に火を付けながら「そうりゃそうだな」と独りごちた。
「二年もあれば選手はかなり入れ替わる。星望杯なんて、俺でも知らない選手がごろごろいるから困ったもんだ。……あ、っていうかお前一人か。暁は? 日曜に行きますって、あいつが連絡してきたのに」
「今日は来られないそうです。急にシリウスの改良を思いついたとか」
「へぇ、今から? らしいっちゃらしいけど、思い切ってんな。俺だったらこんな時期から新しくバージョンアップなんてさせない」
 呆れ半分可笑しさ半分といった口調で、彼の師は苦笑いした。その特徴的な笑い方は、瑠夏が準戦にいた頃から少しも変わっていない。
「あいつに会わせたいやつが来てるんだけど、次の機会だな」
「合わせたいやつ?」
「おう。お前は知ってるかわからないが……去年亡くなられた、橘川進次郎(しんじろう)先生のお孫さんが来てるんだ」
 その名前は知っている。詳しくはないが、確か、
「――グラビティ・ドライブの開発に携わっていた方、ですよね」
「なんだ、知ってたんだな」
「暁がよく話してるから」
 暁曰くの彼は、若かりし頃に北区の研究者を率いてグラビティ・ドライブを造り、その後はFMの開発にも携わったこの街の工学分野の大家だ。この街の革新を支えた華々しい功績の後、退職してから急逝するまでの晩年は、片手間で小さな修理屋を営んでいたらしい。その彼の孫が整備士になったという話も、ごく最近にちらりと話していたような気もする。
「暁は物凄いファンだったからなぁ。橘川先生は、元は海央大の教員だったんだ。途中で星馬の開発部に引き抜かれて、それから定年なされても、大学には非常勤講師としてちょこちょこ通われていた。暁はその時に知り合ったってわけ」
 その辺りの話も本人から散々聞いている。お喋りで過保護な性格から忘れがちだが、暁は経歴としては海央大工学部を出ているようなエリートだ。FMにのめり込み過ぎて、学業をリタイヤした自分とは箔が違う。
「そうだ。その先生のお孫さんと組む操縦士は、お前と少し似ているぞ」
「――……というと?」
「FMに興味持ったの、夏大会のお前を見たのがきっかけだそうだ。だから今時珍しく、トレーニングも仮想シミュレーションも未体験で入ってきている。似てるだろ?」
「……まあ、そうですね」
 今でこそ信じられない話だが、国枝の言うとおり、瑠夏は何も知らない素人から選手を始めたのだ。元々は、星馬重工に従事する両親に無理矢理押し付けられていたもの。操縦士だった姉が、病を理由に早々と引退したために回ってきた鉢だった。
「ただ私は、自分からやりだしたわけでは無かったですけど……」
 最初は嫌で嫌で仕方がなく、投げ出そうと何度思ったことか知れない。けれど素人だと馬鹿にされ、負け続ける悔しさの方がそれに勝った。 飛ぶことについて深く考えたことは無い。幾度も吠え、走り、挫け、噛みつき――そうしているうちに、最初は嫌いだった空や風が、次第に自分のものになっていくのに心が奮えた。
 ただただ脇目も振らず、がむしゃらに。最初の気持ちが弾け飛ぶまでスピードを上げ、いつの間にか飛び続けることだけが瑠夏にとっての生になっていった。
 振り返らずに来たからだろう。自分に影響された後続の選手が出てくるということが、どこか絵空事のように思える。別の自分が勝手に一人歩きをしているような不思議な感覚。けれど、それでも素直に嬉しいという気持ちは心の隅にささやかにある。
「確かにその辺は正反対だな。でも、あの子も素質はあると思うんだ。少なくとも俺は注目してる」
 国枝が煙草の煙を細く吐き出したその時、この場所の丁度真下にあるプラットフォームとグラウンドを繋ぐシャッターが開かれた。これから機材の搬入をし、そして――春から真新しい翼を広げる操縦士たちが、スタジアムの空と対面するのである。
「今日、出るんですね。その子」
 フェンスに沿えた手を握り直し、瑠夏は不意に呟いた。自分でも驚くほどに、自然に出てきた言葉だった。
「――ああ」
 見ず知らずの人物に興味が沸くなんて、自分にとっても珍しいことだ。国枝もそれに少し感化したのか、グラウンドを見つめる瑠夏に目を細めて頷いた。


「春には、スパローと同じ色のスーツを用意しますからね!」
 汐野がそう言いながら渡してくれたのは、審査の時と同じグレーのライダースーツだった。
 肌を通すのは二回目である。脚の部分は少しきつめに思えるが、実際に履くと生地が収縮し体を難なく包み込む。上半身の下着は取り去るものの、スーツの下は素肌ではなく、吸汗と防寒のために薄いインナーを着る決まりになっている。
 メッシュのような素材のインナーの上にスーツの上半身を着込み、内側のパットで左右の乳房を包んだ。ファスナーを一番上までしっかりと締め、その上から更に首、肩、胸、脇腹の各サポーターを付ける。そこで改めて鏡に向かい、雛は一度大きく深呼吸した。