Sparrow!!--#5:Flap(03)

 ここに来るのは三度目である。週初めの放課後にも翔と共に訪ね、晴れて競技会に両親の署名が入った承諾書を提出したのだ。
 承諾書については、あの夜に家族でゆっくりと話し合った。十六年も親子をやっていて、雛自身の本音を落ち着いて母に伝えたのは初めてのことだっただろう。彼女はずっと不本意な面持ちで頑なに口を結んでいたが、ひとまず高等部卒業まで様子を見るという父の条件に、しぶしぶながらも了承してくれた。否、それのみに留まったというべきか。
――承諾はします。でも、賛成はしません。
 気質をそのまま表した真っ直ぐな視線でこちらを見つめ、彼女はきっぱりとそう言い切った。雛など比べ物にならないほど意地っ張りで頑固な母のこと、完全に和解をするつもりはまだ無いらしい。話し合ってから数日経過しているが、未だ雛とまともに会話をしようとしないのがその証拠だ。
 許しは得たものの、認めて貰えるまではこちらの姿を見せ続けるしかないだろう。何だかんだ言っても結局雛は母が嫌いにはなりきれず、いつか応援してほしいとも思うのだ。
 提出が無事に終わった後、準戦付き職員の責任者である国枝淳吾と操縦士免許取得、それから選手登録に必要な事柄の準備について改めて話をした。可能ならば、デビューは早くて来シーズンから。二月から三月にあるエントリー期間中に意思表明をし、四月の本戦開始と同時に準戦の試合も始まる。本・準戦と共通し、公式戦の出場に必要なもの。未成年に限った家族の承諾書、免許を持つ整備士、規定をクリアしたFM本体。そして一番重要なのが、何を置いても操縦士免許だ。
この雛が唯一持っていない最重要資格。今日は、これを取得するために行われるFM操縦の基礎講習、その記念すべき履修第一日目なのである。
 涼介がスタジアムの後ろに車を回すと、丁度正面から半周のあたりに鉄色の大きなシャッターが出現した。まるでヒーローロボットの秘密基地だ。前回会った準戦のスタッフたちが数名行き来していたが、こちらが声を掛ける前に気が付いて誘導に来てくれた。よく見れば、ここは審査の時にも入ったプラットフォームである。鉄の骨組みが剥き出しになった内装は、あれからまだ一ヶ月も経っていないというのに少しだけ懐かしい。雛と翔が外へと降りるのを待って、涼介はゆっくりと車を搬入する。
 それを見守りながら、雛は先日国枝から聞いたことを頭の中で復習した。整備士のいない操縦士は『片翼(かたよく)』や『片羽(かたは)』といった呼称で、選手と区別された扱いになる。選手になれない、免許だけの操縦士は決して少なくは無い。操縦士と整備士の資格取得の難易度に差があることが、そのまま人数の違いに反映されている。
自分は恵まれているのだ。しかしその一方で、翔と親しくならなければ、今この場所にすらもいなかっただろう。そう考えると、彼がここまで連れて来てくれたことを強く実感せずにはいられない。
「――私、操縦士になれるんだ」
「うん。なれるよ」
 雛の何気ない呟きに、隣に来ていた翔が頷いた。視線をスタジアムから移して彼を盗み見、大人びた横顔にきつく胸を詰まらせる。眩しそうに空を見上げるその表情が眩しい。先日自分の感情に気付いてしまってから、彼が近くにいるだけで呼吸さえも上手くできないみたいだ。
 彼が父に言っていたことは、今でも全部覚えている。こちらのことをあんな風に思っていてくれていたなど思ってもいなかったし、泣きそうになる程嬉しかった。それだけではない。夏に会った時からずっと、今までの生活からは想像できないことばかりが起こった。そして彼が与えてくれたそれら全てが、無色だった雛の心をたくさんの色で鮮やかに染め上げていく。まるで大輪の花束のようだ。雛はそれを大切に、誇らしく胸に抱えて立っている。
「さっき涼介も言ってたけど、シーズンオフでも練習には来れるから……公式戦は来年の春になるけど、それまでにたくさん乗って勘を付けておこう。まだ時間はある。だから、焦らなくても良いよ」
 そう続けながらこちらを振り返った彼と、真正面から目が合った。途端に恥ずかしくなり、雛は不意にぱっと目を伏せる。
「そ、そうだね。慌てないようにする」
 顔が熱い。変に思われただろうか。それとも、見惚れていたのがばれてしまっただろうか。不思議そうにしている彼を見返せずに狼狽えていると、プラットフォームの中から涼介の声が聞こえた。
「おーい、翔!」
 見ると、周りにいた職員が集まって来ていた。翔の後について雛も駆け寄り、先ほどまでバックミラー越しでしか見えなかったそれと改めて対面する。
 小ぶりで丸みのあるライン、きゅっと空を見つめているような機首のフォルム。光の粒子が散らばる深い青は、満天の星空のようにきらきらと輝いている。翔と職員達の手で車から搬入されるのを待ち、雛はそのひんやりとしたボディにそっと触れた。
「スパロー……」
 可愛らしく、その一方でどこか気高さも感じるこの名の響き。これが、これから自分の半身になるフェザー・モートだ。
 一度は乗ったことがあるものの、あの時は翔が操縦していた為これ程よく見られなかったし、選手になることが実現するなんて思ってもいなかった。今日からは、これに一人で乗ることになるのだ。
 まだ夢を見ているように実感が薄く、けれどひとひらの不安が心を掠めもする。翔が一から造った大事な機体に、本当に自分が乗って良いのだろうか。彼がくれた花束の中で一番大きく青い蕾を撫でながら、雛は声には出さずに囁いた。
 よろしくね。私、頑張るから。
「――じゃあ翔、夕方にまた来るから」
「うん、また連絡する」
「おう。緊張するかもしれないけど、頑張れよ」
「有難う」
 雛が独りごちている間に、翔達は積んでいた他の道具も全て搬入し終えてしまったらしい。こちらが振り向いて礼を言う前に、涼介の乗る車は足早にプラットフォームを後にしていってしまった。この時間帯のプラットフォームでは多くの機体が行き来しているため、搬入車は速やかに移動させなければならないのだ。
 そして丁度それと入れ違いに、海峰園の施設内と繋がる扉が元気よく開かれた。
「雛ちゃんっ!」
 甲高い大声が響く。審査の時に世話になった汐野梢だ。彼女はこちらを認めるなり一直線に走り寄り、抱きつくような勢いで雛の手を取った。
「わぁ、汐野さん」
「待ってましたよ! 髪切ったんですねー!」
「はい、……に、似合いますか?」
「すんごく可愛いですよ〜! 選手って感じします!」
 前回の一日だけで、汐野とは随分親しくなった。職員という立場から成人はしていると思うものの、小柄で丸っこい雰囲気の彼女は、どこか学校の級友のような気がしてしまう。