Sparrow!!--#4:Pat(17)

『……君が整備士か』
「はい。俺が整備をします」
『言い出したのは、君の方か?』
「――俺です。操縦士の適性審査にも、俺が誘いました。ただ、雛さんの合意があってのことです」
『合意があるのはわかる。雛がこんなにも何かを希望したのは久しぶりだ。ただ僕は、嫌っているというだけでFMマッチを雛から遠ざけていたわけじゃない。どんな競技で、どんな経緯で発展したかもわかっているし、この街がこんなに活気づいたのも、FMマッチのおかげだとも思っている。……しかし、それを娘にさせるとなると話は別だ。君も競技に携わっているのなら、この理由がわかると思う』
 ゆっくりとした、責めるというよりも諭すような、それと同時に厳しさもある口調。しかし彼もまた、言葉を探しながら話をしている様だった。
「……わかります」
『毎年、何人もの怪我人が出ている。一生を棒に振った選手もいれば、競技を続けるために、後遺症を負ってまで人工骨を入れた選手もいる。観客への注意喚起や対処はここ数年で改善されてきたが、選手への危険性は整備士の腕一つで変わる。そんな綱渡りな競技を、大事な娘にさせるわけにはいかない。そうだろう』
 その通りだ。勝負事であるが故のラフプレーは試合には付いて回るものだが、それを未然に――もしくは、損害を可能な限り小さくするために整備士はいる。
 翔は息を飲んだ。FMを嫌っているという前提から、頭ごなしの反対をしていると決めてかかっていたのだ。が、その見解は外れた。彼はFMマッチについてよく知っている。いや、知っていなくてはならない立場だということか。
 市議というものがどんなものか、知らずに高をくくっていたのは翔自身の方だ。返す言葉が見つからない。受話器の向こうのこの人物が、どんな顔で自分と会話をしているのか。次には一体何を言われるのか。わからない。しかし自分が彼によって試されていることだけは、傷を湯に浸けるようにひりひりと実感できる。
『君は、先日受かったという最年少の整備士だろう? まだ何の経験も無いはずだ。その君が、事故も何もなく雛をフォローしきれるというのか。失礼だが、僕はそうは思わない』
「……そう、です。……俺は、免許を取って間もなくて、試合も、他の操縦士と組んだこともありません」
 震えてしまった。絶対に屈すまいと思っていたのに。雛の目の前でみっともなく声を震わせる自分を、それでも、まだわずかに残っている気丈な自分が果敢にもなじり、叫び始める。
 何を従順に答えているのだ。自分の墓穴を掘っているようなものだぞ。雛と二人で、選手になるんじゃなかったのか。
 このままだと、それさえも叶わなくなる。
「――でも、俺は雛さんと組みたいんです。本戦に行って、チャンピオンになります。それを、彼女が望んでいるから」
『チャンピオン、か。言うだけなら、簡単な話だよ』
「わかってます。誰でもそれを目指してる。決して容易いことじゃない。でも雛が、俺と一緒になりたいって言ってくれたんです。……選手になるって決める前の雛は、自分がわからないって、何をしてもつまらないって泣いていた。なのに、FMに乗ると凄く楽しそうに笑うんです。俺はそれをもっとたくさん見たい。そのためなら、何だってします」
 端末の向こうで、彼が言葉を失くした。しかし、翔はそれに気付かない。冷静さを保つことにいっぱいいっぱいで、自分が今何を言っているのかさえも把握できないでいる。
「信じてくださいとは言いません。ただ、時間を下さい。雛と一緒に、決めたことに挑める時間を。確かに俺は未熟です。でもその間だけでも、雛を絶対に傷つけない。――約束します」
 行き交う車の音が聞こえる程の沈黙が、電波を介して降り立った。実際には数秒程度の間のはずが、翔にとっては永遠以上の時間に思える。周囲のノイズが自分の鼓動に掻き消されそうになった時、静かな低い声音が再び鼓膜へと届いた。
『――……あと十分ほどでそちらに付く。それまでに、こちらでも考えさせてくれ。君の熱意はよくわかった』
「……、はい」
『雛にも伝えておいてほしい。……後程会おう』
 そう残して、回線はふつりと途切れた。途端に、張り詰めていた体の全てが弛緩する。間違いなく、これまで生きてきた中でも最高のプレッシャーだ。もっと上手い言葉があったかもしれないし、いつの間にか雛のことも呼び捨てにしていた。どんな答えが返って来るかはわからない。しかし、これが今の自分の精一杯の気持ちだった。
「あと少しでここに着くみたいだ。雛、」
 あえて見ないでいた――というよりも、見る勇気が無かった――雛の方を振り返り、翔はどきりとした。彼女は朝に話した時など比べ物にならないほど肌を紅潮させ、俯いたままじっと身を硬直させている。今にも泣きそうに目が潤んでいるが、先ほどのような不安そうな様子は見受けられない。代わりにあるのは、照れを通り越した、隠しきれないほどの羞恥だ。
「か……翔、その、今、言ってたこと、って」
「――!? あ、ああ……ええと」
 その羞恥が、見事にこちらに伝染した。彼女の父親にまくし立てたことを思い出し、全身の血液が一斉に沸騰する感覚を覚える。
「……そのままの意味、だから。大丈夫、ちゃんと聞いてくれた。ここに着くまでに考えてくれるって」
「うん。……ありが、とう」
 目を伏せながら、彼女はこくんと頷いた。その手元には、冷めてすっかり香りの薄らいだチャーハンがある。微かな雨の音、蛍光灯の白い光。これ以上は離れたくなく、けれどこれ以上は近づけない。まるで我慢比べをするように、触れれば破裂しそうなほどの静寂に焦れた。あと数分で迎えが来るというのに、二人が二人とも言うべき言葉を選びあぐねている。