Sparrow!!--#4:Pat(16)

 雛がぽつりぽつりと話し出した内容は、大半が翔が想像していたことと一致している。
 FMのことで母親と喧嘩になり、そのまま家を出て来た。電車に乗ってここ北区まで移動し、その途中に転んで動けない所を、今度はこちらの母に声を掛けられたという。
「母さんが来なかったら、どうするつもりだったんだ」
 翔は唖然と呟いた。こんな雨の降る夜に――しかも、市内でも治安が悪いと評判のこの地区で、一人うずくまる彼女など想像するだけでぞっとする。九月と言っても夜は既に肌寒いし、たまたま母だったから良かったものの、誰に声を掛けられるか分かったものではない。
「ごめん、なさい」
「いや、怒ってるわけじゃない。無事で良かった」
 しゅんと俯いた彼女にそう言いながらも、翔は母に借りを作ったような苦い気分になった。感謝しなければとも思うが、何故だか無性に悔しくも感じるのだ。
「とにかく、食べたら家まで送るよ。家の人も心配してるだろうし」
「……うん……」
 彼女はまだ顔を伏せたまま小さく頷いた。おしとやかな雰囲気を持つ反面気丈で、衝動的な部分も見せる頑なな瞳が、自分の手元を見つめたまま少しだけ震えている。
「……でも、私、帰るの怖い。だって――FM、辞めさせられるかもしれない。お母さんなんて、私が翔にたぶらかされてるって勝手に決めつけてた。うちに来たら、何て言われるかわかんないよ。私、翔に嫌な思いなんてして欲しくない」
 苦い薬を無理矢理飲んだ後のように、柔らかそうな唇を軽く噛んだ。しかし、翔としてはそれも無理も無いことだと思う。雛の親からしてみれば、自分は彼女を良からぬことに誘い込んだ元凶に他ならない。自分と親しくならなければ、彼女はここまでFMにのめり込まなかったはずなのだから。
 翔がものを言おうと口を開いたその時、聞き慣れないデジタル音が鳴りだした。
 微かなその音に飛び上がるほどに驚いて、雛はカーディガンのポケットに入れていたらしい携帯端末を恐る恐る取り出す。画面のID表示を確かめ、頬からすっと血の気を引かせた。
「……お父さん」
 絶望的な、弱々しい声でそう呟く。その象徴的すぎる単語に、こちらの鼓動もまた強く胸を打った。
「帰ってきたんだ……」
 雛は通話ボタンを押そうとして何度も躊躇い、宛も無く視線をさまよわせた。何を言われるのか、何を話せばいいのか。一定の速度で鳴りつづけている甲高い着信音が、その間もずっと彼女を追い詰め、同時に、お前にもすべきことがあるだろうと翔をも責めたてる。
 しかしその一瞬で下した決断は、何の逡巡も無く翔の口を貫いていた。
「――俺が出ようか」
「でも、翔、」
「俺なら、何を言われても大丈夫。怖くない。……雛は自分だけで解決したいって思ってるかもしれないけど、何もしないままでいれるわけないだろ? 俺が雛の整備士になるんだから。――貸して」
 手を差し出すと、彼女は戸惑う目でじっとこちらを見つめ、指先を震わせながらそっとこちらに端末を渡した。
 お父さん。翔にとっては久しぶりに聞いた代名詞だった。ただこの電波の先にいるのは、もうそう呼べない自分の父親ではなく、顔も声も人柄も知らない雛の父親である。
 それを意識すると、整備士免許の試験でも感じなかった強烈な緊張が這い上がってきた。怖くないとは言ったものの、本当は今にも喉から胃が飛び出しそうだ。だが自分から提案した手前、雛に情けない顔は見せられない。短く深呼吸をし、心の準備もそこそこに通話ボタンを押した。
『……もしもし。雛?』
 深いバリトンの声が、電波越しに鼓膜を震わせる。手のひらには一気に汗が滲み、言おうとしていた最初の言葉も真っ白に消し飛んでしまった。それでも声が震えてしまわぬようにだけ集中し、翔は静かに口を開く。
「……いえ。初めまして。橘川といいます」
『君は……?』
 優しげだった声音に、途端に怪訝な色が滲んだ。不意に気圧され、呑み込んだ唾に酸が混じる。
「雛……さんと同じクラスの者です。代わりに出て、すみません」
『謝る前に説明してくれ。雛はそこにいるのか? 何故君が出ている?』
「雛さんは傍に居ます。ただ先に、俺の話を聞いて頂けませんか?」
『……どういうことだろう。そこはどこだ? 雛がどんな状態かわからないのに、君の申し出を聞くのは難しい』
「ここは俺の家です。雛さんは怪我などはありませんが、今は話せる状態じゃありません。……場所を言うので、迎えに来てあげてください」
「翔――」
 向かい側で俯いていた雛が、こちらを制すように声を上げた。だが、翔はそれを視線でもって遮る。電波の向こうでは、彼女の父親が深い息をついた。
『当然だ。今すぐ車でそちらに向かう。言ってくれ』
 完全にとはいかないだろうが、信用して貰えているらしい。彼の反応を受けて翔はもう一度深呼吸をし、ゆっくりと住所を注げた。運転手が他にいるのだろう、雛の父親もそれを復唱していく。電波越しに、微かな車の駆動音が聞こえた。しばらくの沈黙の後、彼の声が重々しく耳に届いた。
『それで、話というのは』
「雛さんがFM選手になるのを、許して貰えませんか」
 気圧されていた自分を飲み込んで、翔は毅然とした声を作った。気持ちで少しでも屈してしまうと、もう二度と彼女に近付けなくなるような気がしたからだ。