Sparrow!!--#4:Pat(08)

 天馬市北区――海央高校の中では通称学校裏と呼ばれているこの界隈は、天馬市が現在の名前を冠する前の姿を残している唯一の区画だ。特に目立った観光地もなく、人工が減る一方だった以前のこの街の特徴は、各々の技術に長けた製鉄所や研究施設が数多く共存しているところにあった。そしてその工業地帯の拠点となったのが、この北区ということになる。
 世間的には星馬重工が開発したことになっている重力制御式稼働装置――グラビティ・ドライブ。FMの動力の核になっている、重力の比重を操る装置だ――を最初に制作したのも、本当はこの街に土着していた研究者たちだという。自分達が作った新しい技術を大企業に横取りされた形になった土着の研究者たちは、星馬重工、加えて彼らに癒着する市の体制にあからさまな反抗意識を持っていた。市の改名後の大幅な改装にも反抗の意を取り、ついにはデモまで巻き起こったとも聞く。
 この地区の治安の悪化が、FMが賭博に使われだした原因だとまで言われているし、その悪評はそのまま北区の者を腫れもの扱いする風潮に形を変えた。街の誇りでもある海央大学の高等部を擁しながら、この地区が元の姿のまま残されていることにはこういった背景がある。
 しかし、そんなことは翔にとっては関係のないことだ。これまで長年海央に通ってきたが、学校裏から通っていることについて言及はされど迷惑をこうむったことは無い。強いて言うなら、舗装の行き届いてない道で躓くことがあるくらいだ。水捌けだって悪い。
 ビニール傘で弾ける固い雨の音を聞きながら、翔は雛が住む場所について思う。毎日車で送迎され、親が市議を務める彼女の家がある所には、舗装された綺麗な道路が通っているのだろう。
 羨ましいわけではない。ただ、それが自分と彼女の間のどうしようもない差のような気がするのだ。それは無事に操縦士になったとしても、もし、仮に、万が一、先ほど母が言っていたような事に至ったとしても、この生まれ持っての差は変わることは無いはずだ。
 何故か重い溜息が出、同時にそんな自分に面食らった。最近の自分は、いつも気が付くと彼女のことばかり考えている。言葉にすれば一瞬なのに、自覚をすることがこれほどまで怖い。夏までの自分が思い出せないほどに、変わってしまった。
 鬱々とした見慣れた道筋は、やがて彼女の道と交差した。大通りの綺麗に整えられたレンガ造りの地面と、凝った装飾をあつらえた縁石。道の端に並ぶハナミズキの木々と白い校門をくぐり抜け、同じ制服の少年少女に紛れてやっと、翔は学校裏の住人からただの一生徒になる。濡れた傘をきっちりと畳んで昇降口に行くと、松波隼太があからさまにこちらのことを待ち構えていた。
「よーっす翔。なぁなぁなぁなぁ、昨日あの後どうした?」
 あまりにも予想通りの第一声に、翔は呆れてため息をついた。靴箱横に取り付けられたカードリーダーに学生証を通して扉を開ける。認証と悪戯防止を兼ねて、数年前から取り付けられている装置だ。
「……別に」
「別にぃ? いやいや何かあっただろ。相合傘とかさ。あ、チューとか! チューとかしたんじゃうぐは」
 思わず鳩尾に拳を入れていた。何故誰も彼も同じような発想をするのか謎で仕方ないが、相合傘の部分だけ当たっていたのが妙に悔しい。しかも、自分から誘ったことに対する羞恥が今になって沸き起こった。腹を抑えて唸る隼太を置いて教室へと歩き出したが、自称親友の彼はめげずに付いてくる。
「ってゆーかさ、宝生さんとどんな話すんの?」
「はぁ?」
「だって翔ってあんまし喋んないじゃん。宝生さんも静かだしさぁ。全然想像できないんだよな」
 確かに、教室での雛はとても大人しい。隼太の言うとおり口数は少なく、目立ったこともせず、笑顔もどこか人工的だ。先日見せたような天真爛漫な笑顔など、こうして親しくならなければ絶対に見られなかったはずだと思う。
 しかしだからといって、隼太に彼女との一連のことを言う気にはまだなれない。FMのことは二人だけの秘密だなどとロマンチックなことは思わないが、誰かに言ってしまうと、全く無価値なものになってしまう気がするのだ。
 教室へと向かいながら、隼太は餌目当ての犬よろしくぴったりと付いてきた。元々細い目を更に細め、これは良い機会と嬉々として矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「――で、一昨日はどこ行ってたんだよ」
「どこでも良いだろ」
「いやいやいや。そんなこと言われたら余計に気になっちゃうから。ってか、そもそもどういう流れで付き合うようになったんだよ」
「だから、付き合ってないって」
「またまたぁ。心の中では既にそういうつもりなくせに」
「ばっ……そんなわけな、」
「あ、おい、ほら。噂をすれば」
 声を荒げかけた絶妙のタイミングで、隼太が足を止めた。教室前の廊下の隅で、雛が仲の良いクラスメイトのの白石彩葉と何かを話していたのだ。後ろを向いているので顔は見えないが、いつもどおりのツインテールに結った髪に、蛍光灯の白い光が反射して艶を作っている。姿を見ただけで胸がぎゅっと痛くなるのを堪え、彼女が振り向かないうちに教室に入ってしまおうと思った瞬間、
「宝生さーん! 白石! はよーっす!」
 隼太が素っ頓狂なくらい大声を張り上げた。しかし雛よりも先に彩葉が反応し、気の強そうな顔を怪訝にしかめて彼を見る。
「はよー……って、何よ松波」
「や、ただ挨拶しただけ」
「何それ、変な奴。いつもは言ってこないくせに」
 呆れ顔の彩葉につられ、雛がちらりとこちらに顔を向けた。互いの視線が不意に衝突し、翔はどきりとするよりも先に――ぞっとした。