Sparrow!!--#4:Pat(07)

 こちらが感慨に耽りかけるやいなや、つぐみが唐突に話を振ってきた。あまりにも予期しなかった事柄に、翔はぎくりとして身を固める。
「……何で、」
「一昨日の夜だったかな、淳吾から電話かかって来てさ。可愛い女の子連れてきて、しかも審査通ったって。何で先に私に言わないかなぁ。ねぇ?」
「まだ家族の承諾書が出てないから。本登録したわけじゃないし」
「ふぅん? 本登録するまで私に言わないつもりだったんだ」
「別にそうじゃないけど……」
 バツが悪くなり、翔は思わず口ごもった。言わないでいるつもりは無かったのだが、何となく隠したいという気持ちがあったのも確かだ。
「初心者の子なのが気になる?」
「それも知ってるんだ」
「まぁね。でも良いんじゃない? 試運転ではセンスあったって淳吾も言ってたし。あんたも初心者なんだから、お互いに余計な価値観持ってない方がやりやすいでしょ」
 母のその言葉を聞いた途端、翔は拍子抜けして、強張らせていた肩を脱力させた。母に黙っていた理由の一つは、雛を操縦士にすることに反対されるのではないかという懸念もあったからだ。まさか、黎二や颯介と全く正反対な感想が出て来るとは思わなかった。
 大学を出てから自分を身籠るまでの短い間だったらしいが、整備士として試合に出ていた時期が母にもあった。FMマッチが賭博のネタに扱われ、今よりも市民権を得られていなかった時代。そしてそのイメージを払拭するために、実力ではなく容姿の良い選手ばかりを本戦に上げて客に媚を売っていた時代を、つぐみは駆け抜けているのだ。
 そんな選手としての苦労を知る母に、経験者として雛のことを否定されたらと思うと――どうしても口に出せなかったのだ。わかっていて親を顧みなかったのは、なにも雛だけではない。仕事で家を空けていることが多いとはいえ、母に報告しようと思えばいつだってできたはずなのである。
 しかし、当の母はそれほど気にしてはいないらしい。 潰した半熟の黄身を器用にトーストで掬い、俳句でも詠むようにのほほんと続ける。
「それで、いつここに連れて来るの?」
「……もう一回連れて来てるよ。運転は俺だけど、スパローにも乗せてるし」
 答えると、つぐみは急に目を輝かせた。翔は面食らったが、彼女にすれば無理もない。今まで機械弄りにしか興味を示さなかった息子が、女の子を家に連れて来ていたというのだ。これを朗報と言わずに何と言うのか。
「へえぇぇぇ。あんたが? やるじゃない! で、で、その後は?」
「別に……? 歩いて駅まで送った」
 弾けるようだった母の顔が、途端につまらなそうに様変わりした。
「はぁ。なんだ、エッチまでいったのかと思った」
「!!!!!????」
 今まで意識して考えないでいたことをダイレクトに言われ、翔は自分用に牛乳を注いでいたグラスを盛大にひっくり返した。テーブルとその床に白い湖が出来上がり、小鳥型ロボットが本当に喉を潤しているかのように――最近のロボットは、水分さえあれば稼働ができるようになっている――その縁をつつく。
「そっ、そ、そ、そんなことは、しないっ……!!!!」
「ふふふ、冗談よ。そんな真っ赤になっちゃってウブねぇ。ほら、テーブル拭いてあげるから床しなさい」
 笑いを押し殺した顔でそう窘められ、翔はしぶしぶ足元を片付けた。頭上から更に声が降ってくる。
「あんたにそんな度胸ないことくらいわかってるって。せいぜい手繋ぐくらいで限界でしょ」
 図星だ。実はエスパーなのではと疑うくらい、母は翔のことをよく把握している。見られていないようで見られていることが照れくさく、その理解が、同時にほんの少しだけ重荷に感じる。
「母さんには関係ないよ」
「そう? でも、今のうちにチューぐらいしといた方が良いわよ。選手になったらする余裕なくなるだろうし」
 またしても端的な単語に、昨日の帰りに見た雛の笑顔が脳裏に蘇った。落ち着いていた血圧が一瞬のうちに再び上昇する。思わず立ち上がったが、当の母は既にテレビを眺めながらけらけらと笑い声を立てていた。
 噛みつく気がいっぺんに失せた。何だか、母にはいつもこうやって踊らされているような気がする。翔は母を放置し、牛乳を吸い込んだ布巾を洗い直した。トーストとハムエッグをできる限りの速さで平らげ、注ぎ直した牛乳を飲み干し、てきぱきとシンクを片付け、洗面所で歯を磨き顔を洗い、制服の襟を折り目正しく整えて台所に戻る。
「あら、行くの?」
「行くよ。雨激しくなったら嫌だし」
「そ。気を付けて行ってらっしゃい。その子に宜しくね」
「……うん」
 二杯目のコーヒーをすすりながら、つぐみはひらひらと手を振る。その肩に留まった青い小鳥が、母の後ろをすり抜けていく翔を興味津々そうに眺めた。
 親からの理解も干渉も気遣いも、今の翔にはただの重荷になりつつある。もう大人というわけでは無いが、まだ子供というわけでも無いのだ。いつか自分はこれらを降ろし、彼女の元から巣立たねばならないことだってわかっている。
 しかしこの荷は、無ければならないものでもあるような気もした。洗い立ての羽毛布団のように柔らかく、清潔で、そこにあるのがあまりにも自然になっていたもの――これは翔が生まれた頃から、いつだって共に在ったのだから。
 外の雨は予想通りに強くなりかけている。つぐみに聞こえるか聞こえないかの声でいってきますと呟き、翔は傘を掴んで玄関を出た。