Sparrow!!--#4:Pat(01)

 午後から降り出した九月に入って初めての雨が、銀の細い檻のように天馬市を閉じ込めている。
 突き抜けるほどの青空を見せていた、昨日の快晴が嘘のようだ。固い雨粒が音を上げて叩く窓の外を眺めながら、翔は細く長い溜息をついた。
 目の前にある電子ノートのディスプレイには、一日の授業データをナノディスクに移す経過がチャートになって示されている。この電子ノートは持ち去りが禁止されているため、こうして各々持参したソフトにデータをダウンロードすることになっているのだ。教師が話している間にこの作業をすると嗜められてしまうから、生徒たちは毎日貴重な放課後の最初の五分をこの作業に当てなければならない。
 生真面目さと面倒くささが混ざった独特の空気。それは外の雨から湿気を吸い込んだかの如く、いつもよりも余計に退屈さに膨れ上がっているような気さえする。
「なぁなぁ、翔」
 真後ろの席の松波隼太(まつなみ はやた)が、電子ペンの尻でこちらの肩をつついてきた。高等部に入って初めて同じクラスになり、席が近くなったというだけで話すようになった間柄だ。騒がしくて調子の良い奴だが馬が合い、教室にいる時は何だかんだで一緒にいることが多い。
「何?」
「さっきさぁ、他のクラスの奴から聞いたんだけどさぁ」
「うん」
「お前さ、宝生さんと手繋いでたってまじ?」
 とっておきのネタだと言わんばかりの表情で切り返され、翔は教室用に務めて作っていたポーカーフェイスを一瞬にして保てなくなった。
「どっ……どこで」
「あ、動揺してる! 動揺してるな!!」
 翔は一度深く頭を抱え込み、それから恨めしく肩越しに隼太を睨んだ。彼は鬼の首でも獲ったかのように目を輝かせ、今にも教室中にこのことを言い触らしそうな様子である。
「全っ然知らなかったんだけど。いつからなんだよー」
「……そういうのじゃないから」
 これまで何度繰り返した問答だろうか。もうこの件の受け応えには慣れているつもりだったのに、あまりの不意打ちに完全に顔が引きつっているのが自分でもわかる。
「えーっ? うっそだ、親友に相談も無しでなんて良いのかよー」
 誰が親友だ誰が。そう返してやろうと思ったが、振り向いた拍子に雛の姿が目に飛び込んできてその気が失せた。右隣の女生徒とおしゃべりをしているせいで表情までは見えないが、左右の耳の上で結ばれた飴色の髪が、つやつやと照明の光を反射させている。
 雛の席はここよりも後ろの場所にあるから、故意に姿を見ようとすれば必然的に体ごと動かなければならない。なので、教室にいる時はあえてあまり振り向かないようにしていたのだ。学校では面と向かってあまり話さないようにしているのに、まさか校外で目撃されているなんて思わなかった。隼太もこちらの視線の先に気付いたのか、雛の方をちらりと見やる。
「でもよく付き合えたよな。なんかすげー意外」
「付き合ってるんじゃない」
「でもデートしてたんだろ? 宝生さんとこってスゲー厳しいんだぜ。確か父親が市議とかなんとかで」
「……そうなんだ」
「そうそう。って知らなかったの? 俺、中等部の時も二年くらい同じクラスだったから見てたんだけど、宝生さん何回かクラスの奴に告られてて」
 あまり聞きたくなった情報があっさりと飛び出し、翔は何故か少しだけ焦った。雛が告白されていたなんて初耳だ。いや、中等部の頃など彼女の存在自体知らなかったのだから、初耳なのも至極当然のことなのだが。
「で、どんな奴に告られても絶対断ってたんだけどさ。その理由が全部、お父さんが許さないから……って。ま、自分に気が無いからそれを理由にしてただけかもしれないけどさ。実際厳しいってのは女子からも割と聞くし、遊びに誘ってもあんまり参加しないんだって。翔はそういうことって言われてないの?」
「言われてない」
 FMマッチを見たことが無かったり、学校まで毎日送迎されていることから、家庭がそれなりに厳しいことは想像できていた。が、人間関係まで制限されているということは聞いていない。というより、彼女から家族の話を聞いたことは殆ど無かった。だから――
「あ、おい翔。こっち見てるぞ」
 考え込みかけていた意識が隼太によって呼び戻され、はっと顔を上げた。後ろの出入口の傍に立った雛が、物言いたげにこちらをじっと見つめている。
「一緒に帰るのか!? 帰るんだな!!」
「違う。向こうは多分迎えが来る」
「そんなこともわかってんのかよー!」
 早朝のカラスよろしく騒ぎ出した隼太を抑えて、翔は雛に向かって小さく頷き、先に行ってて、と声を出さずに言う。するとそれが理解できたのか、彼女は表情をわずかに弾ませてさっと足早に廊下へと出て行った。翔はとうにダウンロードの終わったナノディスクを机のリーダーから抜き取り、鞄を片手に立ち上がる。
「じゃあ、帰るから」
「やっぱデキてんじゃん! わー羨ましー!! 裏切り者ー!!」
 いつ何をどう裏切ったというのか。しかし、一から説明している暇はない。教室ではFMの話はしないようにしていることもあり、隼太は翔が整備士の試験を受けた事さえも知らないのだ。
 友人の雄叫びを背後に聞き流しながら、翔は雛の後を追って教室を出た。そして、一度切れた思考を先ほどの続きへと繋げる。