Sparrow!!--#3:Dive(13)

「――な、」
 乾いた、しかし大きな破裂音に思考が止った。見上げると、装飾の少ないグレーのFMが空中を激しく上下しながら円を描き――その異様な様子に、翔はゾッとして息を飲んだ。機体は傾き、後部の動力からは微かに黒い煙が発生している。
 何人かの職員が、彼女を追うようにグラウンドに散っていった。あの状態では、いつ墜落しても、あるいは大破してもおかしくない。そんな機体のハンドルに辛うじて掴まっている状態の雛は、揺れと遠心力に完全に体のバランスを支配されてしまっていた。ハンドルと体を繋ぐ彼女の細い腕が、自我を持たない人形のように不規則にしなる。
「宝生!」
 叫んだが、その声が彼女に届くはずがない。翔は職員達の集まる場所まで、息をするのも忘れて駆けつけた。電話に向かって何かをまくし立てていた国枝が、翔に気付いて通話を中断する。
「国枝さん、何があったんですか!?」
「翔――しまったことになった。間違えて故障機に乗っちまったらしい。こっちの連絡ミスが原因だ。すまない……って、謝ってる場合でもないが……今本部に応援を要請したが、到着が遅れるなんてぬかしやがった。汐野、そっちはどうだ?」
 苦虫を噛み潰した色を顔に浮かべながら、彼は隣でインカムに向かっている汐野を振り返った。
「上手く繋がらないです。周りの音が凄く荒れてて……雛ちゃんもパニックになってるし、聞こえてるかどうか……どうしましょう、どうしましょうぅぅ」
 彼女も顔面蒼白で甲高く叫びながら、自らもパニックになってしまっている。
「落ち着け。でもあの状態じゃ、こっちのFMも近づけねぇ……かといって、本部を待ってたらその間にスタンドに突っ込んじまう」
 スタンドに突っ込む――その光景を想像しただけで、翔は背筋がぞっと凍えるのを感じた。二年前の夏にも、同じ光景を生の観戦で目撃したことがある。その時は運良く観客の負傷者こそ出なかったが、事故をした当の選手はその後二年間のリハビリ生活を余儀なくされた。あれと同じことが、雛にも起こり得るのだ。
「そんな……。何か、助ける方法は無いんですか?」
「普通の選手か、もしくはトレーニング経験があれば自動操縦を解除すればいい。けど、あの子の場合は違う」
 国枝は考え込むように天を仰いだ。翔も彼女を見上げる。先ほどまで機体に良いようにされていた上半身を、何とか倒して幼児のようにしがみつかせている。ヘルメットが邪魔で表情までは見えないが、こちらを見て助けを求めているような気がした。
 どうする。自分こそ、ここで見ているだけにはいかないはずだ。国枝の言うように、自動操縦を切ればあの不規則な動きも解消され、安全に着地することもできるだろう。しかしそれはFMに慣れている者の場合の話で、今の雛にはかえって危険な判断だ。自分のために黎二に立ち向かった彼女を、全くの初心者であることに不安がっていた彼女を思う。
 すると、後ろから伸びてきた手が翔の肩を掴んで引き寄せた。
「落ち着けよ、整備士サン」
「落ち着けるわけないだろ……!」
 これまで後ろで見ているだけだった颯介が、いつの間にかすぐ後ろまで来ていたのだ。こんな時に、また何をからかおうというのだろう。邪険に手を振り払うが、彼は表情を崩すことなく続ける。
「どうどう。でもさ、あの子の整備士になるんでしょ? おろおろしてるだけなら誰だってできるんじゃん」
 わかっている。先ほど颯介に言われたことが頭をよぎり、平静を失った翔の頭に血が上った。雛が初心者ということが問題じゃなく、翔自身に彼女をフォローする力量が無いのではという指摘。悔しいが、彼女が操縦士を志望してくれたということだけに舞い上がるあまり失念していたことだった。そして、その付けが今回ってきた。
「いい? 翔。飛んでる最中の操縦士の視界は狭い。だから、向こうが慣れるまでは走る軌道を全部こっちが指示するんだ。俺も黎二もそうしてた」
 いつもの笑みを消した颯介の提案は、こちらからすると考えたこともないことだった。整備士はシステム的なサポートは行っても、走行のコントロールについては操縦士に任せるのがセオリーである。が、今の雛にはそんなものなど通じないことに気付けないほど翔は動揺していた。聞き慣れ過ぎたよく通る声で、翔以外には聞き取れないような囁きを続ける。
「どうやったら操縦士が気持ちよく飛んでられるかをイメージするのが、操縦士の仕事なんじゃないかな。じゃなかったら、試合中に意思疎通する必要なんかないよね」
 ライバルであり先輩であり、ずっと昔から兄代わりだった彼は、弾かれたように振り向いた翔を見て少しだけ口元を緩める。
「助けるなら、翔しかいないでしょ。手、引いてあげなよ。今朝みたいにさ」
「颯介――」
 ぶれていた駒がまっすぐに回りだすように、気持ちがするりと安定を取り戻すのが翔自身はっきりと感じられた。手を引いて――今朝、ごく自然に雛の小さな手を取ったことを思い起こす。あの時は、彼女を先導することに何の躊躇いもなかった。
 颯介に小さく頷き、翔は再び国枝の方へと身を翻した。彼女を助けるためにどうすればいいのか、それは一つしかない。