Sparrow!!--#3:Dive(12)

「……飛んでるんだ」
 誰にともなく呟いた。気圧のせいで耳鳴りが激しい。自分自身は運動してないのにも関わらず息が切れ、ヘルメットの隙間からわずかに入ってくる冷たい空気を必死に肺へと取り入れる。足元を見ると地上の遠さに眩暈を覚えたが、それでもFMは飛行を止めない。
 ハンドルはこちらの腕を引くように自ら左右に動き、ハーフパイプを転がるビー玉のように速度に緩急をつけながら、軌道は雛の予測不能な動きにシフトチェンジしていた。ジェットコースターに乗っている時のような興奮と、力強く大きな犬に綱を引かれているような戸惑いと、地に足がついてないことへの不安が、ライダースーツに締め付けられた胸の中で激しい渦を作った。
 飛んでいるんだ。自分は。
 雛は今すぐにでも叫びだしたい衝動に駆られ――いや、息が上がってなければすでに叫んでいただろう。空は下界から見るよりもずっと広く、雲はぶつかりそうなくらいすぐ近くに感じる。風は直接素肌に当たっていないが、まるで自分自身がその一部になったかのように錯覚した。
 と、強い耳鳴りの向こうからぶつりと何かが繋がるような気配がした。ノイズ音が混じり、その向こうから先ほど聞いたばかりの声が聞こえる。
『――気分はどうですか? 雛ちゃん』
「汐野さん?」
 完全な不意打ちに我に返り、雛はノイズで掠れ気味のその声に耳を澄ませた。
『はい、汐野です。びっくりしました? ヘルメットに無線がついていて、走行中でも整備士と連絡が取れるようになってるんです。体調悪くなったりしてませんか?』
「――大丈夫、です」
 それどころか、乗る前の緊張が思い出せないほどに高揚している。
『良かったぁ。乗ったらすぐに気持ち悪くなる人もいるから心配だったんです。もうしばらくは飛行が続くので、そのまま乗っててください。ここから見てても良い感じですよ!』
 そう言い置いて、通信はふつりと静かになった。グラウンドの端に陣取る職員達を見下ろしたが、FMのスピードも相まって、この距離では汐野はおろか誰が誰なのか全くも判断できない。
 翔はどこにいるのだろう。上から客席を見ても、彼らしき人物は見当たらない。自分がFMに乗っている姿を一番見てほしかったのは彼なのに、何処で何をしているのか。ヘルメットの中で口を尖らせ、同時に、そんな余裕のある自分を可笑しく思った。自分でも驚くほど急速に、高さと速度に慣れてしまったのだ。操縦自体は機械に任せているし、相変わらずハンドルを握っていることしかできないが、こんなに解放感を感じたのは生まれて初めてのことだろう。
 しかし、そう思えていたのは束の間のことだった。
 その気配は最初からあったのだが、雛は気付いていなかった――いや、気付いていたとしても、初心者である雛にはそれが異変だということすらわからなかったはずだ。風圧による爆音に混ざり、機体の後部がぎゅるぎゅると甲高い悲鳴を上げている。FMのスピードを司る加速装置が、普通なら無いほどの大きな振動を伴う。それは徐々に大きくなっていき、ついには、
「わぁっ!」
 ガクンと強く下から突き上げられるような衝撃が起き、雛は思わず悲鳴を上げた。けれど機体の揺れはそれだけでは収まらず、同じような振動を幾度となく繰り返す。
「な、何……?」
 雛があからさまな異変にやっと気付き、動力部を振り返ろうとした瞬間、今度は大きな破裂音がその耳を強く貫いた。


「翔ってさ、何でそんなに俺には素直じゃないわけ」
「何だよそれ」
「だって普通最初に聞くでしょ、プラットフォームの場所わかんないって。俺がいなかったらどうするつもりだったの」
「べ、別にそれならそれで何とかなってたから。教えてほしいなんて言ってないし」
「うわ、何それツンデレ?」
 彼にだけは貸しを作りたくなかったのだが――ニヤニヤ笑いながら横を歩く颯介を睨みながら、翔は自分の詰めの甘さを呪った。最終試合が終わって雛が職員達とグラウンドに足を踏み入れたのとほぼ同じ頃、国枝に言われたとおりプラットフォームに向かおうと席を立ったものの、建物の中で完全に迷ってしまっていたのだ。
 途中でたまりかねた颯介が行先を聞いてこなければ、今でもずっと建物の中をうろうろと彷徨っていただろう。予想外のタイムロスだ。悪いのは自分なのだが、雛の審査がとっくに始まっていると思うと落ち着かない。通路の突き当りにやっと見つけたドアからプラットフォームに入ると、十数台と並ぶFM達の向こう、外から差し込む昼の光が目に沁み込んだ。風が吹き付け、人の声とFMが飛ぶ音が聞こえる。
 雛だ。悠長に構えている颯介を尻目に、翔はグラウンドへと走り出す。
 そしてその音は、彼がちょうど芝生の上に到達したのと同時に空に響いた。