Sparrow!!--#3:Dive(06)

「な、何で謝るの? 私こそ何にも知らないのに出しゃばって、橘川が酷いこと言われたのも私の所為なのに」
「そんなことない。あんな風に言い返せるなんて思わなかったし、びっくりした。黎二があんな奴だから、少し焦ったけど……でも、嬉しかった。ありがとう」
 翔は、きっとずっと緊張させていた表情をふわりと緩めた。それを見た瞬間、雛の体温は一辺に上がり、頬のあたりが火照っていく。彼もそんなこちらの様子に気づいたようで、それまで表情に乏しかった顔を紅潮させた。
 お互いに狼狽えたように視線を泳がせ、結局は目の前で展開されている試合へと向き直った。先端が鋭く尖ったFMが一機、二人のすぐ頭上を通り過ぎて行く。風が雛のスカートの裾を揺らした。
「それと、颯介も言ってたけど、黎二の言うことは気にしなくていいよ。成人してから操縦士を目指す人だって中にはいるし、始めても無いことに命なんて懸けられない。黎二はああ見えてかなり真面目で、FMのことが凄く好きだから、あんな風な言い方になるんだ」
 沈黙を埋めようとしたのか、雛が受けたショックを和らげようとしたのか、翔は優しくそう付け足した。けれど、こちらが知りたいのは黎二のことではない。彼自身がどう思っているのか、それだけだ。雛はまた俯き、膝の上で合わせた手をぐっと握った。
「橘川はさ、どう思ってるの? 私が操縦士になること。仕方なく合わせてるんだったら、はっきりそう言ってほしい。迷惑でしょ? こんな素人の、何にも知らないのが操縦士になるなんて」
 言った端から、その通りだと言われる気がして怖くなる。考えを巡らせるように黙り込んだ彼の横顔を盗み見ると、伏せられた長い睫毛が、相変わらずの大人びた輪郭に影を落としていた。
「――整備士試験に願書出した時、腕試しのつもりだったんだ。元々一発で受かるとは思ってなかったから、最初からダメ元で志願して……でも夏の大会に行って、気が変わった。絶対に今回受かりたいって思ったから、その後は自分でもびっくりするくらい勉強も整備も頑張れたんだ。何でだと思う?」
 ゆっくりと彼が振り向いた。目が合う。そのぎこちない表情と距離感。
 彼の言わんとすることが全く予想できずに、雛は答える代りに息を止める。
「……宝生が、応援してくれたからだよ」
 FMが滑空する音も風も、その瞬間だけしんと静まり返ったような気がした。
「だ、だから、つまり――動機とか、そういうのは些細なことで良いんだと思う。どれだけ知ってるかとか、小さい頃からトレーニングしてきたとか、ふさわしいとかそうじゃないとか、そんなの俺はどうでもいい。宝生が、操縦士になりたいって思うくらいFMを好きになってくれた。それだけで充分嬉しかったし、俺もそうなったら良いと思った」
 今度は翔の方が先に赤面し、会話の空白を避けるように少し早口で続ける。
「準戦の試合の日には毎回、操縦士候補のための適性審査も受けられるんだ。審査って言っても健康診断みたいなもので、よっぽどじゃなければ落ちたりしない。だけど、正式な操縦士として登録するには、絶対必要なことだから」
 そこで言葉を切って、気持ちを落ち着かせるように一呼吸。
「受けてくれる? というか、受けてほしい。俺の、操縦士になるために」
 疾駆するFMがばら撒く風の中にいても、彼のその声は揺るぎなく雛の元に届いた。


「……不味い」
 冷め切って酸味の強くなったコーヒーを一口飲み、国枝淳吾(くにえだ じゅんご)は憮然として呟いた。これを最後まで飲みきるのは罰ゲームのようなものだ。しかし朝淹れてから放置していたのは紛れも無く自分で、他の誰かに文句を言えるようなことではない――ただし誰かに文句を言おうとしても、今現在この部屋には国枝以外に人がいないのだが。
 簡素な白い壁に囲まれたここは、一応FM競技会の事務室の機能を果たしている六畳ほどの部屋だった。事務室とはいっても単なる書類倉庫兼休憩場所のようなもので、海峰園スタジアム側の職員に無理を言って間借りをしている。天馬マリンドームのすぐ横に三階建の立派な施設を持ち、清潔な社員食堂で美味い飯をたらふく食える本戦職員とは違う。国枝のようなしがない準戦付きの職員は、整備補助と試合進行を同時にこなしつつ機械油の臭いと埃っぽい紙の中で休憩をしなければならないのだ。本戦の半分ほどの動員しか稼げない準戦が地味に運営の危機に瀕していることは、実は選手の殆どが知らないことなのだった。
 ええいと意を決して全てを胃に流し込む。舌の上に鈍い渋みが沁み込んでいるが、昼飯をかっこめば払拭されるだろう。ディスクチェアにどっかりと腰を下ろし、大学生の一人娘が作ったどでかい弁当を開けた。一目で嘆息する。ああ娘よ。四十半ばを数える父が職場で食べる弁当に、ウサギの林檎とタコのウインナーとお花のニンジンを入れるのはやめてくれと、結構最近にも言ったような気がするのだが。
 ここに誰もいないタイミングで抜けてきて良かった。新しくコーヒーを淹れ直し、手を合わせ、さぁ飯だと箸を取り――
「国枝さぁぁぁん! 大変、大変ですーー!」