Sparrow!!--#3:Dive(05)

「た、橘川は、そんなつもりで私を連れて来たんじゃないです」
「じゃあ何だってんだよ」
 標準を翔から移し、黎二は今にも噛みつくような視線を雛に放ってきた。怯むな怯むなと自分に言い聞かせ、雛はついにその言葉を口にする。
「――私が、操縦士だから」
 黎二も颯介も、言葉を失ったかのように呆然とした表情になった。
「……なんだって?」
「私が、操縦士になるんです。橘川の。だから、ふざけてここに来てるわけじゃありません」
「ほんとに? 雛ちゃんが、翔の操縦士?」
 颯介が、身を乗り出して雛ではなく翔に尋ねた。
「……そう。今日は、適性を受けるために来たんだ」
「うひゃぁ、本気なんだ――はははっ」
 翔の解答を聞いて、下手なジョークに向けてするような笑い声を立てる。さすがにムッとしたが、雛は構わず黎二に向かった。
「わ、私に知識が無いのは謝ります。だけど、それと橘川は関係ないです。そんな酷いこと言われる筋合いは、無いと思うんですけど」
「宝生、俺のことはいいから」
 翔が斜め下から腕を引いて制してきたが、自分の感情は収まらない。
「良くないよ、だって……」
「――ままごとよりも質悪ぃだろ」
 黎二は唾を吐くように呟き、そして戦闘態勢に入るが如くの勢いで立ち上がった。
 雛や翔よりも遥かに上背があり、体格も座った角度で見るよりもずっとがっしりしている。無駄なくしなやかに付いた上腕の筋肉が、ぴったりと覆うライダースーツによって存在をあらわにしていた。
「秋大会も那智も知らないド素人が、操縦士になるなんて簡単にぬかすな。ここにいる操縦士の殆どが、昔からそれだけ目指してトレーニングしてきてんだぞ。それでも、一歩間違えたら大事故で一生棒に振ることだってあるんだ。命掛けてんだよ。一時の勘違いだけでやるなんて言う奴はガキの遊びと一緒だ。お前に、望月みたいに死ぬような目に遭っても続けられるって言えるのか?」
 今度は雛が言葉を失い、何も言い返せずに立ち尽くした。手首を掴む翔の指に少しだけ力が入るのを感じだが、振り向くだけの力も沸いてこない。
「翔、お前もそれがわからないはず無いだろ。俺らよりもこの競技を長く見てるくせに、どういう判断で連れて来たんだ? こんな奴にできると思ってるのか? お前は、もっとふさわしい奴を選ぶと思ってた」
 彼の視線は、雛を通り越して翔を捉えていた。しかし翔は黙ったまま、じっと黎二を見返す。睨み合ったままの無言の数秒間を、次の試合の始まりを告げるアナウンスが遮った。
 黎二はちっと舌打ちすると、足元に置かれたスポーツバッグをひっつかんだ。颯介が目を丸くする。
「黎二?」
「やってらんねぇ。帰る」
「ええ!? あとの試合は?」
「知るか」
 そう言い捨てて、黎二はつかつかと出入口への階段を上がっていく。慌てて立ち上がった颯介が去り際に振り返った。
「ごめんね雛ちゃん。あいついつもあんな感じだから。あんまり気にしないで?」
 そんなことを言われても、今の雛にはきっと不可能だ。
 二人の姿が完全に出入口の方へと消えると、雛は崩れ落ちるようにへなへなと腰を下ろした。本当は膝が震えるほど怯んでいたし、涙も出そうだった。試合を始めたFMの舞う空も仰げないほどに、黎二に言われたことの打撃があまりにも強すぎる。
 操縦士にして。翔にそう言った時、自分は生まれ変われたと思っていた。全てが瑞々しくきらめいていた。五感も細胞も、目に映る景色も、つまらないと思っていた世界も、そして自分自身さえも。
 しかしそれは全て、都合よく作った幻想でしかなかったのだ。現実的に考えて、つい最近までこの競技に興味すら無かった自分が、操縦士として活躍し、その上チャンピオンになるなど、雛鳥が大気圏を目指すほど無理な話だった。知識も技術も全くない。望月瑠夏の決意がどれほどだったのかも、命を懸けられるかもわからない。
 今朝兄には否定しておきながらも、デートのような気分でここへ来た自分を恥じた。黎二の言うとおり、自分は勘違いしていただけのただの子供だ。つまらない日常に飽きてFMという新しい玩具を見つけた。たったそれだけのことを、自分は生まれ変わっただのと大袈裟に錯覚していたのだ。
 昔からそれだけ目指してやってきた、と黎二は言った。一流二流という格付けのあるその道のプロの世界では、子供のころからその技術を叩き込まれている者でも簡単に足を躓かせる。そうやって何度も転びながらもピアノを弾いている人物を、自分だって誰よりも近くで見てきた。わかっているつもりだった。けれど、その兄と同じ努力ができずに、ピアノを諦めたのもまた自分だ。
 もっとふさわしい奴を選ぶと思っていた。自分に対しての口調よりもはっきりと、その黎二の声には失望の色が滲んでいた。きっと彼は――いや、黎二だけでなく颯介や、FMマッチに関わる全ての者が、翔に期待しているのだろう。十六歳で整備士になる難しさ自体は計り知れないが、翔だってずっと努力をしてきたはずだ。黎二や、他の操縦士たちと同じように。
 現に、操縦士になるんだと盛り上がっているのは自分だけで、肝心の翔からは、自分を操縦士にするなどとは一言も発されていない。彼は、自分を操縦士にしようだなんて思っていないのかもしれない。雛がクラスメイトだから仕方無く付き合っているだけで、他にふさわしい操縦士がいると、彼自身も思っているのではないのか。
 馬鹿みたいだ。
 恥ずかしさと悔しさと無力さと惨めさがごっちゃになり、今まさに涙として頬に落ちんとし、
「――ごめん」
 掠れた、けれどはっきりした彼の声が、隣から聞こえてきた。