Sparrow!!--#3:Dive(02)

「えっと、で、今日ってどこに行くの?」
「ああ――そうだ、何も説明してないんだっけ」
 たった今初めて気が付いたという顔で一拍考えた後、翔はすっとこちらの手を取った。ひゃ、と雛が声を上げる間もなく、彼はコンコースを振り返って言う。
「移動しながらするよ。とりあえず、行こう」


 駅のコンコースを渡って外に出ると、潮風がふわりと鼻孔を掠めた。淡い赤褐色のタイルが並べられた地面と、健康的な濃い緑の植え込みに囲まれたこの通路は、海岸の淵に沿ってゆるいS字を描いて続く。お洒落なデザインの街灯と白いベンチも所々に取り付けられ、休日には散歩する老若男女で賑わいを見せるスポットだ。が、今日はいつもの休日よりも確実に人が多いような気がする。道行く人の服装も、ジャージといった運動目的な格好や、翔が今着ているような作業着の人物がやけに目に付く。
「FMマッチには、本戦と準戦っていう二つのリーグがある。このことは知ってた?」
 一歩先を歩く翔が唐突に話を始め、思わぬ問いに、繋いだままの手のひらに少し汗が浮かんだのを雛は感じた。操縦士にして――そう言ったものの、自分のFMについての知識は殆ど無いに等しいのだ。
「……本戦っていう言葉は聞いたことあるけど、違いとかはわかんない」
「本戦は、一般的にプロって呼ばれてる選手がする試合のこと。夏に見たのとか、テレビ中継されてるのは全部本戦。選手にそれぞれスポンサーや事務所がついてて、ちゃんと職業として試合ができる。準戦の方は、言ってみればアマチュアの試合。プロみたいに選手登録してるだけで職業として取られるってわけじゃないけど、こっちで成績を残さないと本戦の選手にはなれない。試合をする会場だって違う。マリンドームでの試合は本戦でしかしないから、準戦の選手はまずはあそこを目指すことになる」
 それを聞いて、雛の脳裏に、夏に見た天馬マリンドームでの光景が蘇った。
 あの広大な客席を埋め尽くす、数え切れないほどの人。嵐のような声。
 そうだ。操縦士になるということは、あの巨大な渦の中心に自分を投げ入れるということなのだ。けれど、それがどういうことを意味するのか今の雛には想像もつかない。ただ、胸の内が小刻みに震えだすような、そんな名も知らぬ感情だけが湧き上がる。
「そうなんだ……全然知らなかった」
「知ってなくても大丈夫。いくらこの市が聖地って言われてても、準戦のことなんて相当好きじゃないと詳しくなれないから。――ほら、着いた」
 海岸に沿った大きなカーブを越えたところで翔は足を止め、雛もそれに倣って大きな影を造るそれを見上げる。それは海の蒼にも空の青にも映える真っ白な――しかし明らかに老朽化の進んでいる、ここにいるだけでは全体像が把握しきれないほどの、巨大な建造物だった。
 市立海峰園スタジアム。市内では天馬マリンドームに次いで大きな競技場であり、スポーツとはあまり縁のない生活をしてきた雛でも、名前を聞けばそれなりにピンと来るほどの施設だ。
「ここでは定期的に準戦の試合をしている。知名度は天馬マリンの方がずっと高いけど、本戦よりも準戦選手の方が大勢いる分、試合自体の回数はこっちの方が多いんだ。チャンピオンを目指すなら、まずここで名前を上げなきゃいけない」
「ここで――」
 自分はまだ選手ではないにしろ、雛の背中に緊張が走った。白く清潔な印象のスタジアムが、ゲームに出てくる魔王の城のように恐ろしい場所に思える。
 翔に手を引かれ、雛も恐る恐るエントランスに足を踏み入れた。入ってすぐの所に待機していたスタッフに、翔は何食わぬ顔で二枚綴りのチケットを渡す。
「えっ。チケット、高いんじゃないの?」
「本戦よりも断然安いから大丈夫。再入場する時とかにもいるから、半券は持っておいて」
 もぎりを済ませ渡された半券は、夏に手にしたそれと同じ淡い空色をしている。翔が自分のために取ってくれたチケットだと思うと嬉しくて、失くしてしまわぬようにきゅっと握りしめる。
 ロビーには幾人かの人が見え、話し込んだり水分補給したりしている。一般客らしき私服の者もいるが、これまでに通りすがってきた人々と同様、ジャージや作業着姿の者が多く、どことなくピリピリとした緊張が漂っているように感じた。観客の期待と歓喜で溢れていた本戦の試合会場の雰囲気とは、全く別物の空気感――と、その時、ごぉっという聞き覚えのある音が競技場の中にこだまするのが聞こえた。どくんと雛の胸が跳ね、抱いていた緊張がすっとほぐれる。間違いなく、FMが空中を滑空するときの音だ。
「今、試合してるんだね」
「うん。自由席だから、見やすいとこに行こうか――、」
 言いながら翔は視線をエントランスに向け、そこで急に動きを止めた。
「どうしたの? 橘川」
「いや……」
「あーっ、翔じゃん!」
 バツが悪そうに唸った翔の声を遮り、エントランスに通りの良い声が響く。ちょうど壁際の自販機で飲料を買っていた一人の少年が、こちらに気付いて叫んだのだ。何事かと振り返る周りの人々を横切り、彼は二本のペットボトルを抱えてこちらに駆けてきた。
「……颯介(そうすけ)」
 さも嫌そうに翔が呟いたそれは、どこかで聞いたような名前だった。背が高く、アイドルだと言われても信じそうなほど甘い顔立ちに、絶妙な跳ねにセットされた明るい茶色の髪。作業着でもジャージでもなく、高そうなダメージジーンズに白い長袖シャツと黒いブーツを合わせている。ちらりと耳元にピアスが覗いた。兄と同じか少し上か、どちらにせよこちらよりも年上なのは確実だ。
「なんだよ、もうちょっと早く来ればよかったのに。俺らの出番、ついさっき終わったんだけど――あれ」
 彼の視線が雛を捉え、その瞬間に繋がれていた翔の手が離れた。