Sparrow!!--#2:Froat(07)

「……これも受け売りで、俺がその人から聞いたまんまなんだけど」
 短い沈黙の後、彼が口を開いた。体のくっついた部分から感じる声帯の振動に、雛は思いがけず安堵する。
「何も無いのは、その分身軽だってこと。どんな遠い所にでも行けるし、どんな危なっかしい所にも挑戦できる。だから、何にも無いことにコンプレックスなんて持たなくていい、って。一つのことを極めてくとそれだけ強くなるのは確かだけど、それで失くしてしまうものだってある」
 翔の声は顔立ちの割に低めで、少しだけ甘い。ささやかなその声が紡ぎだす言葉を、雛は宝物を箱にしまうように一つずつ丁寧に聞き取った。
「宝生はさ、なりたいものが無いっていうんじゃなくて、多分、自分が何かになれることが信じられないだけなんだと思う。自分に自分で線を引いてる。でもその身軽さがあれば、その線を飛び越すことも難しくないんじゃないか。家族の意向も才能があるかどうかも、結局は外から引かれる線だ。宝生自身の気持ちには全く関係ない。だから、素直になりたいものになるんだって、俺みたいに思い込んだらいいし、声に出したらいい。少なくとも、俺の前ではそれでいい」
「なりたいもの……」
「無いなら、できるまで俺も一緒に探す。だからさ、そんなに慌てる必要なんて無いよ」
「……ありがとう」
 本当なら翔を祝うはずの場面で、これ以上なく励まされている。いつの間にか涙は引き、顔を上げると、彼が耳たぶまで真っ赤にしているのに気付いた。こちらの反応に照れくさそうにしながらも、沈黙を避けるように言葉を続ける。
「俺だって免許は取れたけど、やっとスタートラインに立てたってだけのことだと思ってる」
「どういうこと?」
「俺は、FMマッチでチャンピオンになりたい……。正確には、組んだ操縦士をチャンピオンにさせたい、かな。昔、そういう約束をしたんだ。だから一緒に組む操縦士も決まってない今じゃ、夢が叶っただなんて1ミリも思えてない。これからが本番で、宝生が思ってるほど上手くいってるわけじゃない。選手ですらない奴に、チャンピオンは目指せないだろ?」
 視界を鮮やかに染める夕日が、あの日見た真夏の太陽へとフラッシュバックした。
 賑やかな音を立てて夏の空に舞い上がるジェット風船。客席から送り出される風に煽られて舞う紙吹雪。流星のように降り注ぐ銀色のテープ――しかし、それはあの時見た情景とはまた別の物だった。雛の脳裏に瞬時に閃いたそのイメージは、客席から見上げているのではなく、完全に空から見下ろしているアングルだ。
 永遠に終わらないような歓声の渦の中に降り立ち、雛は、笑顔でこちらを待つ翔の元へと駆け出していく。
「私も」
「え?」
「私も、なりたい。その……チャンピオンに、」
 あまりにも唐突に、しかし自然に、その言葉はするりと解き放たれた。
「――橘川と」
 反射的に振り向いた翔と、風と夕日の中で目が合う。二人が二人とも息を飲み、動揺を抑えきれず、時が止まったかと錯覚するほど無音だった。
「宝生、それって――」
「私を操縦士にして。……駄目?」
 たまらずに出た彼の声を遮り、雛は彼のシャツを再び強く握った。
 フラッシュバックなどではない。
 このイメージは、予感だ。
 そう確信した瞬間、体中の血がもはや自分の手に負えないほどにスピードを上げた。
 激しく何かを求めるように。
 空へと向かい、力強く羽ばたくように。


(#2:Froat--FIN.)