Sparrow!!--#2:Froat(05)

「あの、ねぇ、橘川。見せたいものって、何? 整備士の試験、どうだったの?」
 ようやく言えた。翔は意表を突かれたかのような表情で初めて振り向き、雛は視線の合致にどきりと硬直する。
「覚えてたんだ、それ。忘れてるかと思ってた」
「そ、そんなことないよ」
 当然、ひと時だって忘れたことはない。口を尖らせてそう返すと、彼は一瞬だけくすぐったそうな表情をした後不意に足を止めた。
「着いたから、すぐに見せられる。ここでちょっと待ってて」
「え? ここって……」
 言い終わらないうちに、翔はすっと道なりの建物に入って行ってしまった。慌てて目で追いかけ、雛はやっとその建物に気付く。小さめの店や民家が続いてきた街並みの中で、やけに広々とした軒先。しかし道に面した部分の殆どが錆びついた灰色のシャッターであり、その上には大きくも小さくも無い青い看板がひっそりと掲げてあった。
 飾り気のないゴシック体で書かれたその文字は、タチカワオート、と確かに読める。
 確かめるまでも無く、ここは翔の自宅だ。と、そう思ったのと同時に、前時代的な作りのシャッターがギュルギュルと軋んだ音を立てて上がりだした。西に傾きつつある日の光が建物の奥に入り込み、薄暗いその内側が徐々に明らかになっていく。
 金属と油の匂いがぷんと漂った。リノリウムらしい暗緑色の床には艶が無く、大小のタイヤやコード類の他に、何に使うのかよくわからない工具や大きな機械、金属の箱が所々に積まれている。壁際に並んだ棚の中も同様で、軍手やゴーグルなど、用途がわかるものの方が完全に少ない。
「――こういうとこって、殆ど来たこと無いだろ?」
 中の様子を唖然と見ていた雛に、壁際のスイッチを弄っていた翔が可笑しそうに言った。先ほどまでの緊張した面持ちは無く、完全にリラックスしているように見える。
「えっと、修理屋さん、なの? 橘川の家」
「うん。バイクの修理とか、中古を直して売ったりしてた。今はもうやってないけど。去年爺ちゃんが亡くなって、それからずっと畳んでる」
「家族の人が継いだりしなかったの?」
「母さんは他の所で働いてるし、今は余裕が無いから」
 そう淡々と答えながら、翔はこちらを促すように作業場の中へと進んでいく。後を追って入ると、そこは最初の印象よりもずっと奥行きがあった。天井は高く、ささやかなキャットウォークが三方を囲むように張り巡らされている。向かって左側の壁には、数え切れないほどの大小様々なバイクが並び、部品が詰まれ、むき出しの動力部分だけが壁に取り付けられていたりもした。
 翔が足を止める。その先には長方形で銀色をした台座のようなものが横たわり、薄手のビニールシートが掛けられた何かが、一番大事なもののように鎮座していた。
 周りにあるバイクと同じくらいの大きさ、同じような形。
 それが何なのか。見た瞬間に、雛は殆ど直感で分かった。
「あれ、もしかして」
 答えを言う前に、翔がそれに近づいてシートに手をかけた。ゆっくりと剥ぎ取る。
「そう。試験に受かったら宝生に見せようって、ずっと思ってたんだ」
 シートの下から出てきたものを見て、雛は思わず口元を抑えた。そうでもしないと、あまりの感激に叫んでしまいそうだったからだ。

 薄暗い中でもなお艶を湛える、深い青色をしたフェザー・モートが、そこにはあった。

「凄い、橘川が作ったの?」
 あの日の試合や先ほどの写真で見たFMと比べると一回り以上小さいが、それでも、周りに並んだどの中型バイクよりも大きく見えた。胴体から機尾にかけては無駄のないシンプルな造形で、きゅっと上がった機首はどことなく気高い雰囲気を漂わせる。高めに取り付けてあるシートと、前後に見える二つのリング状の動力部は黒っぽい銀色だ。
「爺ちゃんが作った動力部を基盤にして、設計や組み立ては俺がした。まだ実戦に出れる程調整はしきれてないけど、試験には通ったから、もうちゃんと試合用に登録されてはいる」
 翔はそう言いながら壁際へと移動し、斜めに突き出していたコの字型のレバーをぐんと下に下げる。その途端、ごうんごうんというくぐもった音が頭上から届いた。顔を上げると、天井の一部――青いFMの丁度真上――が四角く開かれ、ささやかな吹き抜けが出来上がった。思わぬ仕掛けに、雛は唖然と口を開く。
「これって……」
「FMの試運転ができるようにって、爺ちゃんが改造した。変わってるけど、FM持ってる施設にはよくあるから」
 見上げれば空は先ほどよりも淡い青に変化し、昼間から夕刻になることを告げる涼しい風が入り込んで来る。スポットライトのように日の光を浴びたFMが、一層の光沢を帯びて輪郭を強調させた。
「綺麗……」
 近付いてよく見ると、薄く施されたパール塗装の粒子が、深い青を背景にきらきらと輝いている。まるで、星が散らばる銀河のように。触れればつるりとして冷たいが、生き物のような鼓動がある錯覚も覚えた。
「宝生」
 不意に呼ばれて振り向くと、同時に半球型のものが軽く投げてよこされた。反射的に受け取ったものの、それがバイク用のヘルメットだと気付くまでに数秒かかった。銀色をした頭を覆うだけの浅いタイプで、顎に紐を回す一番一般的なものだが、雛自身は実際一度も被ったことが無い。
 わけがわからず顔を上げると、翔は既に同じものを装着し、慣れた動作でFMに飛び乗った。滑り止め付きのグローブに通したあの大きな手が。こちらに向かって伸ばされる。
「ほら、掴まって」
「え、の、乗っても良いの?」
 彼の行動の意味をやっと理解し、雛は一気に狼狽えた。
「整備士免許があれば、試運転モードで飛ぶことができるんだ。ただ速度と高度に規制があるから、試合みたいには乗れないけど――」
「うっ、ううん、良いよ。乗れるだけでも、嬉しいし……!」
 翔が言い終わる前に、雛はかぶりを振った。ぎこちない手際でヘルメットを取り付けて彼の手を握る。予想以上の力で引っ張り上げられ、落ち着いていた鼓動がまた高まりだした。スカートの裾とシートをきゅっと太腿で挟む。急接近した翔の背中に触れようかどうか迷っていると、肩越しにシートベルトのようなものを渡された。
「これは?」
「落ちると大変だから。背中に通して、輪になってる部分に片腕ずつ入れて。で、シートの横の金具にその先を留める」
 数本が交差されている作りで、確かに輪のようになっている部分が二カ所ある。車というよりもジェットコースターのものに近い。雛は言われるままに、リュックを背負う要領で腕を通し、金具で留めて固定した。翔はそれを肩越しに確認するや否や、ぐっとハンドルを深く握る。
 そして、浮上が始まった。