Sparrow!!--#2:Froat(03)

「ちっ……違うよ! というか、何でそうなるの?」
「何でって。あんた、学校始まってから何かにつけて橘川ばっかり見てるじゃない。私が気付いてないとでも思ってるのかね」
 まるで上司のような口調で神妙に腕を組み、彩葉はじろりとこちらを一瞥した。黙っていればクールな印象を持たせる美人なのに、こういった茶目っ気も持ち合わせている。
「まぁ、顔可愛いし頭もいいし、あとはもうちょい背があれば言うこと無しって感じだけどね、橘川。でも一学期の間は気にも留めてなかったでしょ。夏休みの間に何かあったな」
 図星を突かれながらも、そんなにわかりやすい態度を取っていただろうか、と新学期になってからの自分を振り返る。確かによく視界には入れていたかもしれないが、会話自体は全くというほどできていない。教室での翔は相変わらず物静かで、服装のギャップも相まってあの時とは別人のように思えてしまう。何かと話せるタイミングを伺っているものの、一学期には何の接点も無かった分、教室で声を掛けるのは何となく気恥ずかしい。
「……たまたま出会って、ちょっと話したんだよ」
「ふぅん。どこで?」
 聞かれると思った。が、言わない。あれが二人だけの時間だったなんてロマンチックなことは思わないが、誰かに言ってしまうと、全く無価値なものになってしまう気がするのだ。
「なるほど、なるほど」
 こちらのだんまりから何を受け取ったのか、彩葉は勝手にうんうんと頷き、自分のアイスティーを一気に半分ほど飲んだ。
「でも橘川ってさ、工学部に上がるのもう確定してるよね。どうすんの? 雛、文系の学部に進むんだったら校舎離れちゃうよ」
「どうすんのって。それってまだ二年も後の話じゃない」
 この高等部の親にあたる私立海央大学のキャンパスは、理系と文系の学部でそれぞれ違う校舎が離れた場所に建てられている。高等部までは同じ校舎で授業を受けていても、大学で校舎が離れたら殆ど会う機会は無いと聞く。
 ちなみに彩葉には、国際関連の記者になりたいなんていうスケールの大きい目標があり、それに合わせて外国語や国際関連の学部を希望している。雛はというと――一応経済学部や社会学部とは応えているものの、それはそのまま両親の意見に合わせているだけであり、自分自身の希望ではない。ないのだが、他に希望したい学部も職業もこれといって無いのも事実だ。
「二年なんてすぐじゃん。あんたんとこ厳しいんだからさ、早く捕まえといた方が良いって」
「捕まえるって……」
 高く深い空の青さと、スタジアムの情景が脳裏に蘇る。翔に対して抱いている気持ちと、あの日の体の底が震えるような感覚はよく似ていた。舞い飛ぶ風船や風に煽られる紙吹雪と、歓声の中でなら忘れられていた不安と焦りと、そこまで引っ張り上げてくれた彼の手を思い出す。
 なれたら――ではなく、なるんだと言い切った彼の瞳。彼と同じ高さで景色が見たいと、あの時は何よりも強く思った。
 でも、今のこの『現実』の自分はどうだ。
 自分はどうしたくて、何になりたいのだろう。
 朝とは意味の違った小さなため息が、唇を割って滑り落ちた。
「あららら……重症か。まぁ、そんなに思いつめないでさ。応援するよ」
 思いの外深かったため息を払うように、彩葉が肩をどんと叩いてきた。彼女のグラスはすでに空になっており、壁に掛かった時計は三時半を示している。
「いっけない、部のミーティング始まっちゃう。私行くけど、雛はこのまま帰る?」
「ううん……図書室寄ってく。途中まで一緒に行こ」
 真っ直ぐに帰る気は起きない。気分転換に、何か本でも借りて読もう。雛は飲みかけのアイスティーを三分目くらいまで飲み下し、トレイを持って席を立った。
 図書室は隣にある第二校舎の二階で、彩葉が所属する広報部が使う視聴覚室も同じ棟内にある。一旦外に出て渡り廊下を通り、一階の廊下で別れるまでの間でも彩葉は翔の話を繰り返さなかった。自分の中で整理がついたら改めて話して欲しい、という暗黙の了解を受け取り、雛もまた何も言わずにそれに応えようと思う。先ほどはからかい半分で問いただされたが、こちらの気持ちを読んでさっと引くのも彼女の美点である。だから、一緒にいて居心地がいいのだ。
 テスト最終日の放課後なんて、図書室に来る生徒はほんの一握りなのだろう。カウンターに座る図書委員は本を広げたまま舟を漕いでいるようにも見えたし、利用している一般生徒も数える程度しかいない。それでもここに来るといつも、並んでいる蔵書の量に思わず感嘆してしまう。携帯端末一つでなんでも調べられる時代になって久しいようだが、紙の書籍を読むという文化はやはり根が深い。何度も衰退の兆しを経ながらも、こうして雛たち学生が自由に手にできているのがその証拠だ。
 背の高い本棚の間をかいくぐって宛もなく本を探しながら、雛の足はいつの間にか新入荷本コーナーの前に来ていた。小説から参考書、実用系の趣味本までが、ブックスタンドの上に行儀よく飾られている。と、不意に一冊の本に目が留まった。電流が走ったようにそれから目が離せない。それは普通の書籍よりも一回り程大きくて薄くて、雑誌のようだが雑誌ではなく――ムック本というやつだ――傷も折り目も無い表紙には、空と満員のスタジアムをバックに飛翔する銀色のFMが焼き付いている。
 思わず手に取り、大事なもののようにぎゅっと抱えて窓辺の席に着いた。一見写真がメインのようだが、開いてみると載っているFMは表紙の一種類だけでなく、色々な機体の写真が所狭しと並んでいる。普段見かける中型バイクと差のないシンプルなもの。ステルス機のように無駄なディテールが一切ないもの。アニメから飛び出してきたような、凝った装飾の施されたもの。その一つ一つに操縦士と整備士だと思われる人物の写真と詳細も細かく記載され、見開きを使った大きな写真には、かなりな分量のインタビュー記事も載っている。
 写真は驚くようなアングルや、試合中の息を飲む迫力を一瞬に閉じ込めたものに何度も魅入らされた。しかしそれと同時に、操縦士や整備士を含めた関係者たちが満面の笑みを浮かべているものも印象深い。写っている人々も、この写真を撮った本人も、FMのことがこの上なく好きなことが伝わってくる。
 文章は後回しに一通りの写真を眺めて巻末の奥付を読むと、FM専門誌に載っている連載を一冊にまとめたもの、という旨が記されていた。文、インタビュー・寺山肇。写真・鳴瀬航。
 よく考えれば至極当然なことだが、FMの専門誌なんてあったんだと素直に思った。兄がこの手の本を持っていた記憶はない。この後本屋に寄り道して、店頭にあれば買ってみようか。しかし買って帰って、母に見つかったら何と言われるだろうか――。
 そこまで考えたところで、写真によってクリアになっていた思考が逆回りした。