アルコール五度の告白

「――何って? も一回言って」
「ええと、だから……私、女の人が好きなんです」
 馬鹿みたいに大きい声が出た。瞬時に口に噤んだけれど、私の自意識過剰だったらしい。店内の喧噪は止まることなく、周りのおじさんやお兄さん達は、今私が言い放ったマイノリティ一直線な言葉など一文字も耳に入れず、思い思いに一週間の疲れをお酒で濯(ゆす)いでいる。
「すみません。生レモン、もう一杯下さい」
 生涯の大告白をしたばかりの私を置いて、先輩は通りすがりの店員を呼び止めた。また生レモン。二人でこのお店――まかり間違っても女子会用とは言えない、男性客メインで狭くてわけもなく賑やかで、個室なんて概念すらもなさそうな焼き鳥居酒屋――にはもう何度となく来ているのだけど、先輩はいつも二杯目以降は生レモン、もとい生レモンサワーしか飲まない。因みに、一杯目は必ず生中だ。会社ではクールな高嶺の花に徹しているのに、ここに来ると途端におじさんみたいになる。
 二度目の生レモンと共に運ばれてきたネギマにかぶりつき、先輩は困惑する私を上目遣いに見た。食べな、と目で促す。私はしぶしぶ、残ったネギマの串を手に取った。
「聞こえてました? ……私、一応誰かにちゃんと言ったの初めてなんですけど」
「聞こえてたよ。女が好きなんだって? だからあんた、今日の合コンキャンセルしたのね。納得だわぁ」
 あっけらかんと答える。あんまりにも普通な反応過ぎて、私は返す言葉さえすぐに出てこなかった。代わりにネギマを頬張る。うん。しゃきしゃきの葱ともちもちの腿肉が上手く調和して、さまぁ〜ずみたいに良い味出してる。食べ終わった串を受け皿に投げ戻し、先輩はジョッキに無造作に盛られた八等分のレモンをつかみ出した。先輩の真珠色したネイルが蝶々みたいにひらめき、厚い皮のレモンをぎゅっと絞る。粒が弾けて、果汁がなみなみに注がれたサワーの中へと落ちていった。たった今果実から放たれたばかりの香りは、端から見ているだけの私の舌と胸をも刺激する。美味しそう。というか、先輩はこれを世界で一番美味しいもののように呑む。こうやってレモンを搾る仕草も、白い喉を見せて呷った後のため息も、嬉しそうな顔も、いつまでだって見ていたくなる。
「研修医との合コンなんてさ、普通行くじゃん? 断るなんて勿体ないなぁって思ってたんだよ。しかも、私を出汁にしてさぁ」
「そ、それはすみませんって」
 同僚の子達に誘われた時、断る口実に先輩を使ってしまったのだ。新しく導入されたソフトの使い方を、居残って先輩に教えて貰う約束をしている――という名目で。ソフトの使い方は実際わからなかったし、勿論さっきまで教えて貰っていたのだけど、結局はこうしていつもどおり先輩と杯を交わしている。私は自分のカシスウーロンのグラスを傾け、生レモンを豪快に飲む先輩を横目で見た。
 最初にここに来たのは、既に二年くらい前のことだ。当時のお局様からわけもなく攻撃され、毎日のように泣いていた私を、先輩はここに誘ってくれた。辛かったことを流すにはお酒が一番だと言って笑い、その時も今と変わりなく生レモンを呷(あお)っていたのを覚えている。それから、二ヶ月に一回くらいのペースで通うのが私と先輩の間での通例になっていた。
 先輩があんまりにもいつも通りだから、自分自身が重大な告白をしたということを忘れていた。最後のネギマを噛み、先輩はちょっとだけ渋い顔をする。
「いつから気付いてたの? それ」
「中学生の時、です」
 さっき注文したハツが運ばれてきた。先輩の大好物だけど、今度は手を付けずにこちらの話をじっと聞いてくれている。
「同じクラスに、好きな子がいて……でも、その子は普通に男子が好きで、同性で恋愛なんて有り得ないって感じで」
 実際、それとなく告白したのだ。けれど受け入れて貰えるはずは無く、嫌だ、変だよと、異物を見る目を返された。私は傷ついてひりひりする胸を隠し――ごめん、冗談だよと、あの時は笑って誤魔化した。
「あ、私って変なんだって、その時に気付いたんです。高校でも大学でも好きな人はいたけど――」
「相手は男じゃなかったんだね」
「はい。男友達ができたことがあっても、恋愛とか……その先のこととかを考えるのは、女の人じゃないと駄目で。でも、打ち明けられたことは、一度も無くて」
「ガチなの? それ。酔ってない?」
「はい……」
 先輩はやっとハツに手を付けた。神妙な顔でもぐもぐと咀嚼し、生レモンを持ち上げる。隣のテーブルに着いていたスーツのお兄さんが笑いだし、違う場所からは店員を呼ぶ声が上がった。やけにオレンジが強い照明は串を焼く煙を透かし、黙ったままの先輩の顔をアンニュイな色に染める。そこには、何の感情も読み取れない。
 私はこの店に似合わない沈黙に押し潰されそうになり、手元のグラスを握り締めた。いつになく苦い顔をして生レモンを呑む先輩に、告白したときの同級生が重なる。最初に言って流された時に、冗談でしたと終わっておけば良かった。そうすれば、酔いに任せて無かったことにできたのに。
「――すみません、気持ち悪いですよね、こんなこと真剣に言い出して。忘れてください」
「私まだ何も言ってないけど?」
「だって……嫌じゃ無いんですか? 先輩は……」
 生レモンを飲み干し、先輩はどんと音を立ててグラスを置いた。
「嫌なわけ無いでしょ。それがあんたなんだから。無理して誤魔化す必要は無いよ。そんな大事なこと教えてくれて、有り難うね」
 言葉も忘れた。不意に黙り込んだ私に、先輩は片眉を上げる。
「何?」
「いえ……ちょっと予想外で」
 薔薇色で縁取られた先輩の口角が、ほっとしたように上がった。
「何で私を選んだかは知らないけど、誰かに知って欲しかったんでしょ? 誰にも言ってないことだもんね」
「そう、ですけど……でも、先輩」
「あのね、私はそのくらいのことで避けたり嫌ったりなんてしないよ。どんな人が好きでも、あんたには変わりないじゃん。ほら」
「うぐ」
 ハツの串を口に突っ込まれた。香ばしく焼かれた鶏の心臓を頬張り、私は恨めしく先輩を見る。意地悪な笑みを浮かべて頬杖をつく先輩の左手、薬指で、銀色の細い指輪がちかちかと光った。
「確かに、理解できない人はいるよ。私も……十八も上の人となんてって、周りからかなり言われたけど、自分は変えられないからね。好きなものは好きなんだって貫いたから、今は後悔なんて一つも無いよ。だからあんたも、これが自分なんだって胸を張って良いんじゃ無いかな……。今まで隠してて、不安だったり傷ついたり、苦しかったと思うけど、自分を認めてさえいれば、報われる日が必ず来るから」
 先輩の手のひらが、私の髪をよしよしと撫でた。最初にこのお店に連れてきて貰った時を思い出して、私は炭酸を飲み干したときのような、つんとした刺激を目に覚える。
「有り難う、ございます……」
「何泣いてるの。まだ二杯目でしょ?」
「だって、先輩、私――」
 好きです。
 ずっと伝えたかった。あなたに知って貰えれば、それだけで良かったんです。たとえこの気持ちが叶わなくても、本当の私をわかって欲しいって、ずっとずっと思っていました。
「もう一杯いこう。あんたはどうする?」
 おしぼりで目元を抑える私の肩を叩き、先輩がメニューを広げ始める。涙は通り過ぎ、私はやっと頬が緩んでいくのを感じた。
「じゃあ――生レモンで」

(アルコール五度の告白--FIN.)
※こちらはフリーペーパーとして発行したものです。