LOOK FOR YOU

 彼の死が事故だったのか自殺だったのか。正直言って、そんなことは自分にとってどうでもいいことだった。

 目を開け、士郎は揺れる電車の窓を見た。車内の照明に照らされた窓硝子には、外の景色よりも自分の顔の方がよく映っている。先ほどから斜めに降っている雨は夜闇を裂いて瞬き、風を受けて硝子の上で生き物のように弾いた。こんと軽い音を立てて額を硝子にくっつけると、ひんやりと湿った感触が染み込んでくる。自分を入れても数人しか乗せていないこの車両はしんと静まり、車輪がレールを噛む音だけがひたすら足元に響いた。現実なのに現実ではないような、非日常へと続くレールの上。微かな眠気と、思考することを拒むカロリー不足の脳みそを連れて、士郎は傍らの鞄からウォークマンを取り出した。以前姉から貰った、少しだけ古い型のもの。イヤホンを耳に嵌め、電源を入れ、深呼吸し、士郎は再び目を閉じた。

 彼は死んだ。もう二年も前のことになるのに、自分はまだこのこと完全に受け止められないのかもしれない。紛れもない事実の上にぽっかりと浮かんでいる海月のように、まるで実感が無いのだ。それはこうしてイヤホンを嵌めて再生ボタンを押せば、いつだって彼の声が聞けるからなのか。写真や画面の中のだけの存在だったのは、昔も今も変わらないからなのか。話したことも触れたことも無い人間が、自分の知らない場所で一人で死んでいなくなる、それだけのこと。自分には何の影響も無い。彼の訃報を聞いた後だって、朝はいつもどおり静かにやって来ていたじゃないか。しかしそれなのに、どうしてこんなにも苦しいほどの空白を抱えなければならないのか。

 士郎が最初に彼を見たのは、彼が死んでしまう更に二年ほど前だった。今でもよく覚えている。男のくせに背が小さいことを悔やみながら、必死にステージ上に喰らいついて叫ぶ。一樹、一樹、いつき!! 彼を照らす血のように真っ赤な照明が、楽器隊が鳴らす怒号のような音が、周りの観客の嵐のような蠢きと声が、その決して広くない空間に溢れかえった。彼の声、歌、叫び、表情。その瞬間の全てを脳裏に深く刻む。しかし、それが彼を肉眼で見た最初で最後になるだなんて、あの時の自分はこれっぽっちも思いもしなかった。ただただ、あんな風になりたい。それだけを願って、彼を見つめていたのだ。何の取り得も譲れないものも無かった自分が、初めて抱いた強い感情。彼は自分にとっての希望で、誇りで、未来で、世界だった。

 初めて行ったライブの翌日、士郎は彼に宛てて手紙を書いた。昨夜の興奮を乗せたまま勢い任せで書いたその文面は、正直に言えばあまりよく覚えていない。唯一覚えているのは、自分は彼のようなバンドのボーカルになりたいこと。その自分のバンドを大きくして、いつか彼のバンドと肩を並べられるようになること――今思えば、あまりにも幼く拙い絵空事。バンドを組むことはおろか、人の前で歌ったことも無いただの中坊の、恥ずかしいばかりの青い夢。しかし、自分はその夢を今まで一瞬たりとも疑ったことが無い。そしてきっと、彼だって。

 士郎は再び目を開けた。ウォークマンのボリュームを少しだけ上げ、再び鞄の中をまさぐる。もうしばらく帰らないと決めているのに、要ると思った荷物は驚くほどに少量だった。数日分の着替えと、寝る場所が無い時用の小さな毛布。それらの中の奥の奥にある、たった一枚の白い紙。士郎はそれを抜き上げ、よれた端を戻しつつそこに書かれてある文字を眺めた。

 歌が好きなら、きっと上手くなれる。かっこいいボーカルになってください。待ってる!

 黒いサインペンで葉書いっぱいに書かれたその文字と、特徴的なサイン。葉書の隅に印刷された『HYDRA』というバンドのロゴと事務所の名前。それは、他ならぬ彼からの返信なのだった。もう何度目になるだろう、士郎はその葉書を見つめながら強く握る。この四年間、ずっと自分を支え続けてきた、自分にだけに宛てられた、生前の彼からの唯一の言葉。

 そう、彼の死が事故だったのか自殺だったのか。正直言って、そんなことは自分にとってどうでもいい。ただ重要なのは、彼がもういないこと。彼にもう会えないということ。それだけなのだ。

 電車は揺れる。非日常に向かうレールの上で。そしてその先で自分は、「かっこいいボーカリスト」になる。信じている。彼が信じてくれたから、同じように、自分は自分を信じる。士郎は葉書を握ったまま目を瞑り、深い音の海の中へと意識を沈ませた。次に目を覚ました後、自分が何をし誰に会うのか。自分はまだ何も知らないし、ただ歌うことしかできない。けれど歌があれば、それだけで良いような気もする。自分は地図も持たずに出てきた上に、道標も見当たらない。視界には闇しかないかもしれない。けれど、この彼からの言葉が、いつだって足元を照らしてくれるはず。

 彼はどこに行ったのだろう。どこで、自分のことを待っているのだろう。
 士郎は、降り立った先で彼を見つけようと思った。

(LOOK FOR YOU--FIN.)