凶兆の子

娘の頭に角が生えた。


まだ5歳と満たない我が娘。
その頭、両の耳の上に生える、禍々しく黒い角。

妻は酷く怯えた。
娘の角が視界に入る度に髪や肌を掻き毟っては泣き、
気がふれたように娘を虐げ、遠ざける。
そして私に言うのだ。

貴方の所為だと。
貴方があんなものを見たからいけないのだと。

私には何も言えない。

そう、娘がこうなってしまったのは
他ならない私の所為なのだ。


私は娘を背負い、
暗く巨大な森に足を踏み入れた。
何千年と前から存在するらしいこの森は、
真昼でも死後のような常闇を孕んで地に伏している。
腐食しぶよぶよとした地面を踏みしめながら
私はあの時見たものを、脳裏で何度も反芻した。



あれは国が他国と激しく争っていた頃。
私と妻は国の中央区に住んでいたのだが、
争いが悪化したのを機に、郊外へと住処を移した。
穏やかな日が続いていたある日、土地勘の無さから道に迷った私は
とある屋敷で偶然、この世のものとは思えないものを目にした。

女だ。
白いレースで縁取った、美しい衣装を身に纏っている。
長い黒髪、聞こえてくるのは弱くか細いすすり泣く声。
その声に惹かれた私は、しかし、彼女の顔を見てはっと息を呑んだ。

牛だった。
女の顔面は人間ではなく、黒い体毛に覆われた牛だったのだ。

恐怖はすぐに足下から腹、胸、喉へと登り、
私は無茶苦茶な悲鳴を上げて走り逃げた。

女の頭には、禍々しく黒い大きな角があった。



私は娘を背負って歩く。
深く眠っている間にと連れて来た娘は、
私の背に揺られ、いつの間にか目を覚ましていた。

パパ。

背中で娘が呟いた。

さむいね。

ああ。

私は返事なのか嗚咽なのか自分でも曖昧な声を出し、
眼前に見える大きな木の根元に娘を下ろした。

娘の顔を再度見ようと思ったが
森の孕む闇に阻まれ、その願いは叶わなかった。
こんなに、触れるほど近くにいるのに。
私は娘にばれないように声を出さずに、ただ、泣いた。

すぐに迎えに来るから、ここで待っているんだ。

震えそうなのを堪え、私は娘にそう言った。
娘は私の顔を覗き込むようにして様子を伺っていたが、
やがてゆっくりと頷き、私の手からするりと離れた。

私の指先に、娘の柔らかな髪がふわりと当たる。
私は最後の最後にそれを手繰り寄せようとし、

指が、
角に、
触れた。


黒い体毛に覆われた牛の顔。
あの時女は、泣いていた。


私は娘に背を向け、

まるであの日女の前から逃げ出した時のように、
無我夢中で森を走り抜けた。

娘が私を呼ぶ声が聞こえる。
しかし振り返っても、闇に飲み込まれた娘を見出すことは
きっと私には、もう、できない。






(闇に飲み込まれたのは果たしてどちらか)
(それは私には知らぬこと、知らぬこと)

牛角を持った女が、
揺れる木の葉の下で嘲った。



(凶兆の子--FIN.)