階層硝子都市--マインドロストアルビレオ

「ヴァルガの整備士って、俺より年下なんすよね」
 ここに来る途中に貰った号外を見つつ、アロマは半ば独り言のように口を開いた。そこには、明日に開かれるフェザーモートレースチャンピオンの、デモンストレーションに関する記事が書かれている。彼の乗る赤い機体は、自分が整備しているクランツの物とは型も、多分動力の仕様も随分と違う。そしてその機体と共にそこに映っている、誰もが見慣れている彼――チャンピオン・ヴァルガは、いつもどおりの余裕と自信に満ち溢れた表情でこちらを見ていた。
「しかも女で、十代の半ばにはもう整備士の免許も取ってて……って、聞いてますか、フラディカさん」
「……ああ、うん、そうね」
 傍らにあるコンピューターディスクに陣取っているフラディカは、呟くように擦れた声で言った。『電子の魔女』――彼女は巷ではそう呼ばれている。この街で一番著名な電子工学者であり、数年前までは核のメインコンピューターのメンテナンスを担当していたという。工学分野を齧っている者には彼女の名は避けては通れぬものだったし、アロマは実家を出るや否や、彼女の居所を探って無理矢理弟子入りを申し出たほど、彼女の著書や功績に傾倒していたのだ。フェザーモートの整備には関わったことが無いと最初は拒まれたが、何度も何度も足を運んでいる間に、こうしてちゃっかり彼女の書斎にまで上がりこめるようになった。
 彼女は先ほどからコンピューターに向かっているものの、頬杖を付いたまま何か考え込むように、けれど気だるい虚ろな眼差しで、ディスプレイとは違う虚空を見つめている。その物憂げな彼女の表情に、アロマは思わずドキリとした。毎度改めて見る度に思うのだが、彼女はとても端麗な容姿をしている。白い肌と美しい銀髪に映えるエメラルドのような瞳に、ディスプレイ上で明滅する光が灯っては消えた。アロマはたまらず無言で立ち上がり、彼女の顔をじっと覗き込んだ。エメラルドの瞳にこちらの顔が映り、はっと彼女の焦点が定まる。
「……何」
 フラディカはやっと目が覚めたばかりのような表情になり、少し不愉快そうに手でこちらを払う。
「フラディカさん、最近おかしいですよね?何かあったんですか?」
「……別に。何にも無いわ」
「でも」
 こちらが食い下がるとフラディカは深くため息をつき、アロマがここに来てから初めてちゃんと目を合わせた。
「……あんたこそ、私に聞いて欲しいことでもあるんじゃないの? いつもなら、こっちが相手にしなくても勝手に喋ってるじゃない。私に聞いて欲しいことがあるから来たんでしょ」
 見事に図星を突かれ、アロマは彼女よりも更に深いため息をついて元の位置に座った。態度は上の空だとしても、彼女はこうしていつもこちらを見透かしてくる。自分でも気付かずに胸に溜めているもやもやでさえ気付く彼女につい甘えて、自ら打ち明けることもできない自分が少し情けない。
「……クランツが、コーウェンコンツェルンのお嬢様に誘われたんですよ。スポンサーになりたいって」
「コーウェンのお嬢様って、ステラのこと?」
「そうです。知り合いなんですか?」
「ちょっとね。でも良かったじゃない。あの子はレースについてはかなりマニアだし、見る目はあると思う」
 コーウェンコンツェルンの元当主である少女・ステラがその話を持ちかけてきたことは、クランツの口からアロマに話された。フラディカの言うとおり彼女はクランツの素質を買ってそれを申し出、しかし、クランツはすぐにその返事を出さなかったらしい。
「……資金とか名前とかそういうのに俺は興味が無いから、受けるかどうかはお前が決めてくれ……ってさ。クランツは」
「彼らしいわね」
 フラディカの反応に、アロマは無言で頷いた。自分もそう思う。フェザーモートに乗れてレースができれば、クランツは本当に他には何もいらないのだ。衣食住も睡眠も、彼にとってはレースをするための生活に必要なものという認識でしかない。それは自分やフラディカも含む彼の周りの者には周知のことで、ステラの誘いに対するこの反応も、決して怠惰からアロマに選択を委ねているわけではないのだ。
 だからこそ、その選択に迷う。
 クランツがコーウェンコンツェルンの傘下に入れば、彼が望んでいなくとも知名度や生活水準は確実上がってくる。しかしそれ以上に、彼にのしかかってくる期待値はこれまでと比べ物にならないほどに膨れ上がるだろう。そしてその期待に応えるのは彼だが、それが叶うかどうかは自分にかかっているということに気付かないほど、アロマは愚かではない。
「それで、入っていいのかどうか迷ってて」
「へぇ? 意外ね」
「そうですか?」
「そうね。いつものあんただったら、はしゃいですぐに承諾しそうなものだけど」
 そう言って返すフラディカに、この話をされた時のクランツが重なる。彼も、こちらがこの話をすぐに飲まなかったことを意外がっていた。
「自信ないんですよ、俺。クランツはセンスも存在感もある凄い選手だし、乗ってる機体も特殊で――クランツが予選を突破して、どんどん勝ち抜いて、最終的にはヴァルガに勝てたら。いや、クランツなら絶対勝てるって、準予選が終わるまではそう思ってた。でもクランツが優勝したらしたで、今度は自分のレベルの低さが不安で、俺ってクランツに釣り合わないのかなって。コーウェンコンツェルンなんて凄いとこにサポートして貰っても、それを活かせなかったらって。そんなことまで思っちゃって」
「あんたね……」
 フラディカは少しだけうんざりしたように、こちらに向き直った。しかし彼女が何か言おうとしたその時、玄関の方で物音がした。
「フラディカ! フラディカ…!」
 アロマと入れ違いで外出していったらしい、リデルの声だ。しかしリデルはすぐに部屋に入って来ず、切望するようにフラディカを呼んでいる。何かあったのだろうか。すぐさま立ち上がり部屋を出て行くフラディカの後を追って玄関に向かい、アロマはそこで異質なものを見る。
「アロマさん、良かった……!」
 今にも泣きそうな顔をしていたリデルは、こちらの存在を認めて少し安心したように表情を緩めた。しかし、アロマはその傍らにいる機械の塊から視線を外すことができない。
 リデルが必死になって連れ帰ってきたのであろうその機械の塊は、精巧な造りの――しかし力無く脱力しきった、犬型のリヴィングロイドだった。

「ほんとに、アロマさんが来ててくれて良かった」
 リヴィングロイドを修理する手元を見ながら、リデルが嬉しそうに言った。何でも外出先でこのリヴィングロイドに助けられたそうだ。「絶対に治してあげて」と繰り返し、リデルは先ほどまで少し混乱気味だったが、同伴していた友人らしい少年がフラディカにそう説明して去っていった。
「そ、そうかなぁリデルちゃん……俺フェザーモートしか弄ったことないから、上手く行くかわかんないけど」
 アロマはそう言いつつリヴィングロイドの外部パーツを外してみたが、予想外なことに、中の作りはクランツのフェザーモートととてもよく似ていた。
「ファザーモートが弄れるんだったら、たいていのリヴィングロイドは弄れるものよ」
 フラディカが自分のディスクからコンピューターを持ってきて、リヴィングロイドの頭部にあるプラグにコードを差し込んだ。少しだけ苦笑を漏らして、続ける。
「アロマはこれのことはあんまり勉強してないのね。リヴィングロイドはね、二つの要素から成り立つもの。一つは“器”と呼ばれる身体。もう一つは、“霊”。“器”を動かすために搭載される、魂という名の人工知能」
 そう言いながら、彼女は軽くキーボードを叩いた。コードに青い光が流れていくのがわかる。
「“霊”をこっちに移したわ。“器”と“霊”はこうやって各個で修理しなきゃいけない。単なる“器”だけの故障に見えても、絶対に“霊”もそのショックでどこかがおかしくなっているから。この二つは元は別のものだけど、一度揃ってしまったらもうそれは一つのもの。片方が傷つけば、もう片方も傷つく。どちらか一つがなくなったら、もうそれはリヴィングロイドにとっての死そのものよ」
 フラディカは視線をディスプレイから外さず、しかしこちらに言い聞かせるようにそう語った。揃うことによって一つになる、別々の二つのもの――。
「リヴィングロイドを作るときの独特な工程を知ってる?」
 フラディカの唐突な問いに、アロマよりも先にリデルが頷いた。先ほどまで泣きそうだった少女は、もうすでに気分を回復させている。
「広い部屋に“器”をいっぱい置いて、それを“霊”に見せて、決めてもらうんだよね」
「そう。自分と合う、自分の能力を活かせる“器”を“霊”が自ら選ぶの。“霊”には個々の能力をプログラムしてるけど、単独でいる時は選ぶという行為はその時だけしかできない。二つ合わさって初めて、リヴィングロイドという生と意思、思考が芽生える。何故こんな仕組みになのかわからないっていう頭の固い人も中にはいるけど、私たち人間だって、身体と魂が二つ揃って初めて生きられている。この身体にこの魂が入ってるのは偶然? 必然? どちらか、あんたにはわかるでしょう」
 わかる。リヴィングロイドをそうやって作る理由も、フラディカが言わんとしていることも、アロマにはすっと理解できた。そして思い出す。他にも選択肢があったはずのクランツが、いきなり申し出てきただけの、整備士になりたてだった無名の自分を選んでくれたことを。
 今更になって――自分は何をこんなに弱気になっていたのだろう。ずっと憧れだった、整備士を目指したきっかけになった彼が、他の誰でもない自分を選んだ。それだけが、自分の自信の源だったのに。
 リヴィングロイドの故障の原因は、動力部のパーツが中で外れていたことが原因だった。精巧に作られているようでいても、こんなに簡単なことで“器”は、“霊”は動かなくなってしまうのか。その周辺の部品を一旦全部外し、元通りに組み替えてきっちりと外郭を嵌める。リデルが興味津々な表情で見守り、フラディカがそれに合わせてまたキーボードを叩いた。コードに再び青い光が走り、“器”の中の動力部が動き出す微かな音が聞こえる。力なくしな垂れていた犬型の耳と尻尾がびくんと動き、ゆっくりとその人形のような目蓋が上がった。
「わぁ!凄い、動いたよ!!」
 リデルが嬉しそうにはしゃぎ、手を添えて立ち上がろうとするリヴィングロイドを手伝った。リヴィングロイドは最初ふらついたが、リデルの手を支えに四肢を踏みしめる。
「アロマさん、有難う」
 可愛らしい満面の笑みを浮かべ、リデルはこちらに向かって恭しく礼を言った。改めて言われると照れくさい。コンピューターを自分のディスクに設置しなおしているフラディカに向かって、アロマは独り言のように呟いた。
「フラディカさん、俺……受けようかな、コーウェンコンツェルンの話」
「ええ」
 フラディカは、そう言って少しだけ微笑んだ。

 窓の外には、相変わらず夜が続いている。この街の住人にとっては時間の概念というものが無く、生活のリズムには個人によってズレがある。アロマは帰宅しリデルは眠りに着いたが、ここから見える街はまだ華やかなネオンに包まれている。その摩天楼の奥の奥、鈍く自転する核の輪郭を視線でなぞりながら、フラディカはそれに向かって口を開いた。
「どうして今更、貴方がここに来たのかしら」
 それはすぐには応えなかった。わざと薄暗くした部屋の中、核の光を受けたそのコバルトブルーの瞳が、淡く浮かび上がる。
「リデルに何か用? ……応えないの? それとも、その姿では応えられないのかしら。どっち? 私に聞かれて何の反応も無しなんて、つれなくなったものね。知らない間に、そんな可愛らしい“器”まで手に入れて。ねぇ、ドーリス」
『――この“器”の名はサイ、と言います。二人の時は構いませんが、リデルの前ではそうは呼ばないでください。マム』
 声が聞こえた。フラディカの目の前にいる犬型の“器”に入った、“霊”の声。しかしそれは物理的な音声ではなく、脳に直接響いているような特殊なものだ。フラディカはこの人工知能独特の声を久しぶりに直で聞いた。そしてそれは紛れも無く、ひと昔前に自分自身が彼女に与えた声だった。
「サイ……そう。それで、貴方は一体何をしにここへ? まぁ、大方私とリデルの監視ってところでしょうけど」
『……』
 当たっていたのだろう。ドーリス――否、サイは急に無言になってこちらをじっと見返した。
『あまり、こちらのことを語れないのをお許しください。マム』
「私はもう核の人間じゃないもの。深く追求しようなんて思わないわ。リデルも貴方のことを……いや、中身が貴方だって思っても無いでしょうけど……気に入ってるみたいだし、気が済むまでいたらいいわ。でもね、一つだけ聞いても良い?」
『何でしょう』
「ノアは、元気?」
 フラディカは摩天楼の先の核を見たまま彼女に問う、しかし、返事はすぐには返ってこなかった。都合の悪い問いには答えられないらしい。硝子越しに映った愛娘を見ると、頭を垂れてじっと考えるような仕草をしていた。応えは、それだけでわかる。
 全く最近は――嫌な予感しかしない。
 フラディカは青く浮かぶ核を視線から外し、小さくため息をついた。

(マインドロストアルビレオ--FIN.)