階層硝子都市--ハンズオブスターゲイザー

 それはまるで、巨大なシャンデリアのようだ。
 回廊生まれの回廊育ち、大人になった今でも階下に住んでいる自分にとって、その施設は異世界のもののように思える。足元には巨大なこの都市の灯りが波紋のように広がり、闇はその光を受けて藍色のグラデーションを作っていた。クランツは煌めく無数のフラグメントを振り払うように、入り口を探して空中をゆっくりと旋回する。レースの途中ならまだしも、プライベートでこんな場所に来ることなど生まれてこれまでにまでに一度も無かった。空間にそびえる縦長なこの都市で一番高い建物、その最上階に位置するこの施設――劇場・カレイドオペラ。数々の装飾に彩られたこの施設は、ライトに当てられたダイヤモンドのように眩く、しかし柔らかい白い光を闇へと放ち続けている。高層建築物の集合体であるこの都市の中で一番華やかな、そして一番平面積のある施設だ。
 クランツはカレイドオペラの外周を回り、自分にしては珍しく少しだけ気後れを覚えた。高級な正装など今までしたことも無いが、いつもの簡単な黒い服装で来たことを少しだけ後悔する。乗っているフェザーモートだって、レースのものとは全く形の違う、個人的な外出用の小さな機体なのだ。普段ならこんなことを気にする質でも無いのだが、自分をそうさせてしまうほどの威圧感と浮世離れした雰囲気が、この施設の周囲には漂っていた。階下・回廊と下るほどに濃くなる闇など、それこそ異世界のことのようだというように、この施設は眩く輝いている。
「クランツさん! こっちよ!」
 施設の外周の一角から、こちらの名前を呼ぶ声が聞こえた。旋廻をやめてそちらへと目を凝らしてみると、壁の側面に突き出した短く細い足場の上で、金髪の少女がぶんぶんと大きく手を振っている。ああ、名前は何だったかな――そう思いながらもすいっと近づいていくと、少女はにこにことした笑みを浮かべてクランツを迎えた。長く美しい金髪の、とても整った顔をした少女だ。この少女と会うのは二回目だが、前の印象と少し違うのはこの場所の所為だろうか。クランツは案内されるがままにフェザーモートを装飾の影に停め、いそいそと施設の中へ入って行く彼女の後に続く。
「もう食事の用意はできてるの。奥の窓辺の席」
 彼女が扉を開けると、中はとてつもなく広いレストランのフロアーになっていた。床にも天井にも、外観の印象と変わらぬ豪奢な装飾が施されている。壁は前面が都市を見渡せる窓になっており、あちこちの席ではやはり正装や着飾った客たちが食事や談笑に勤しんでいた。クランツは少しだけ眩暈を覚えたが、少女に手を引かれたので奥に向かうより無い。誘導された席には今までに見たこと無いような豪華な食事が並んでおり、少女は先に椅子に腰掛けてこちらを招いた。
「さぁ座って。遠慮しないで」
「ああ……」
 クランツが向かいの席に落ち着いたのを確認し、少女はまたにこりと笑った。自分よりも数歳年下なようだが、品のあるその外見からはそうした子供っぽさが滲み出ていない。
「改めて挨拶するわ。私はスティフィーリア・オー・コーウェン……ステラって呼んで。名ばかりではあるけど、コーウェンコンツェルンの頭首よ。突然のお誘いに来てくれて有難う」
 彼女は毅然としてそう言った。そう、クランツが彼女の部下の者からこの会食に招待されたのはつい数時間ほど前のことだった。コーウェンコンツェルンと言ったらこの都市の住人なら誰もが名を知っている大財閥だし、先日自分が優勝したフェザーモートレースの主催会社である。彼女・ステラとはその際に会って少しだけ話をした記憶があるが、こうして食事に呼ばれるほど親しくなったわけではない。クランツが言うべき言葉を見つけられずに黙っていると、彼女は少し照れたようにはにかむ。
「どうしたの? ……これは先日の優勝のお祝い。言うの二回目だけど、おめでとう。どんどん食べてね」
「……ああ」
 クランツはそこで初めて、自分が緊張をしていることに思い至った。それも、レース前の緊張とは全く違う種類の。ステラは慣れた手つきでシャンパンの栓を開け、こちらのグラスに静かに注いだ。薄紅色の液体の中で舞う泡沫が、照明の光を浴びてきらきらと弾けて消える。
「大丈夫、アルコールは入ってないから。乾杯しましょ?」
 彼女はそう言ってグラスを差し出し、アメジストのような瞳をまた眩しそうに細めた。

「フェザーモートのレースを初めて見たのは、かなり小さい頃だった。空を走っていく機体が凄くかっこよくて、気持ちよさそうで、綺麗で…私も乗ってみたくて両親によくおねだりしたけど、危ないから駄目だってやらせてくれなかったの。だからレースを見るだけ。でも、数え切れないくらいたくさん通ってきたわ」
 ステラはそう言って窓の外を見た。その彼女の瞳の中にも、フェザーモートのテールランプが美しく浮かび上がる。
「選手の名前とか、整備士がいるってシステムとかルールも最初はわからなかったけど、今はかなり詳しいつもり。……でも貴方のことは知らなかった」
 彼女の瞳に、今度はこちらの顔が映る。無理も無い。こちらは6年間もレースに出なかったし、その前だって予選出場までの記録しか持っていないのだ。自分は他の選手の平均よりも若いということと、整備士の知名度のおかげで少しだけ名前が広まっていたというだけなのである。
 クランツは彼女の目から手元の料理に視線を移した。どんどん食べてと言われても、自分は普段からそれほどの量の食事を摂らない。ここにアロマがいれば、既に自分の二倍以上の量を食べているだろう――と下らない思考を巡られている間に、目の前の彼女はグラスを片手にまた口を開く。
「レースに出なかった6年間は何をしていたの?病気とか怪我とかにしては長いわよね」
「……別に、何かをしていたから休んでいたわけじゃない」
 クランツはここに来て初めてまともに話をした。彼女は不思議そうに顔を上げる。
「じゃあ、何で?貴方ほど実力を持った人が」
「――……それは、」
 半年ほど前にアロマと組むことになった時も、殆ど同じ言葉で同じ事を聞かれた。そして、クランツはその時と全く同じ台詞で彼女に返す。
「理由が無かったから」
「理由?」
「……俺は俺だけのために、フェザーモートに乗ってたわけじゃなかったんだ」
「他の誰かのために、レースに出てたってこと?」
 ステラはこちらの足りなかった言葉を補い、学者のように神妙な手つきでグラスを持ち上げた。彼女もあまり食事が進んでいない。が、こちらが黙っているのに気付き少しだけ身を引いた。
「……あ、質問ばかりしてごめんなさい。休んでる間のことなんて言いたくないわよね」
「いや……別に、慣れてるから」
 日常的に誰かと話していても、自動的に質問攻めになってしまうのだ。放っておいても勝手に喋っている相手など、自分の周りではアロマくらいしかいない。
 こちらがそう答えたものの、ステラはしばらく黙って食事を口に運んだ。彼女のフォークとナイフの動きはさすがに綺麗で、皿の上のものは上品な速度で減っていく。クランツも少しずつ食事を摂り始めたが、それらの見た目に反する複雑な味に、舌が戸惑いを示しただけだった。
「6年前って言ったら、ヴァルガがチャンピオンになった年ね」
 しばらく動かしていた食事の手をふっと止め、窓の外の外を景色を見つめながら、ステラは独り言のようにそう呟いた。
 ヴァルガ。フェザーモートに関わっている者――否、この街に住んでいる者なら誰もが知っている名前だ。6年前に若干22歳でフェザーモートレースのチャンピオンになり、それからずっとその座を守り続けている男。街の中心である核の内部構造や人物が殆ど公表されてないのも手伝ってか、住人の多くは彼を都市一の権力者として崇めている。それほどの地位と名声を持ち、逆に言えば、フェザーモートレースの世間への影響の凄まじさを物語っているような人物だ。実際に、核に対する発言権や介入権も持っているという噂もある。
「貴方は彼についてどう思う? フェザーモートの選手として目標だったりするの?」
「……あまり、考えたことは無いな」
 一方的に名前と顔ぐらいしか知らない相手に羨望するほど、地位や名声といったものには興味など持てないのだ。自分の目標は、いつだって自分の中にある。
「そうなんだ、意外ね。今まで会った選手はみんな、彼が目標だって言っていたけど。やっぱり貴方って、他の選手とはちょっと違うのね」
 そう言うと、ステラは再びこちらを見る。望遠鏡で星を覗く子供のような、無邪気でまっすぐな眼差しで。
「私ね、貴方のこと、好きよ」
「…………は?」
 クランツは一瞬言われたことが理解できなかった。呆気に取られているこちらをよそに、彼女は悪戯っぽくくすくすと笑みを浮かべる。
「ふふ、変な意味じゃないの。ただ単に、私は選手として貴方に凄く注目している。だから私に、いいえ、私達コーウェンコンツェルンに、貴方のサポートをさせて欲しいの」
「……それは、何で」
「言ったでしょう、ただ貴方に魅力を感じただけ。今決めるのが難しいなら、整備士さんと相談して、また後日答えを頂戴。貴方はこれから凄い選手になっていくって予感がする。きっとヴァルガだって倒せるはずよ。私にはわかる。貴方は絶対に、一番になるわ」
 一番。
 また――その言葉を。
 美しいアメジストのような彼女の瞳に吸い込まれながら、クランツは、静かに口を開いた。
 うず高く造られた摩天楼の頂点で、巨大なシャンデリアはこの瞬間も強い光を放っている。

(ハンズオブスターゲイザー--FIN.)