階層硝子都市--ラストシリウス

――クランツ、よく聞くんだ。
――俺が叶えられなかった夢を、お前に叶えさせてやる。
 よく笑う男だった。長身で声も大きく、いつも楽しそうにし、悲しむことも怒りを露にすることも無い。彼は大きな両手をこちらの肩にぽんと乗せ、そしていつものように明るい笑顔を作る。そして、その言葉を言った。何も、生きる理由さえ持ち合わせていなかった自分に差した、一筋の光。
――俺がお前を、一番にしてやる。

 羽に切られた風は薄い膜を作り、まるで球体のように機体ごと自分を包み込んでいる。
 時速1000qの速さで宙を駆ける、流線型をした銀の球体だ。こうなるといつも自分は五感の存在を忘れてしまう。聴覚も嗅覚も触覚も、そして視覚さえも意識の内側へと閉じ込め、ただ速度だけを感じて夜の中を疾るのだ。その速度はいつも感覚と思考を攫う。クランツはただただ遠くに見える一点の光に向かい、機体を更に加速させた。
 密集し無数に建てられたビルの間を縫いながら、自分達フェザーモートのレーサーは、他の誰よりも早く飛ぶことを生とする生き物だ。現に、飛ぶことをやめた自分は死人も同然であった。
 出発した中継地が見え、クランツは少し減速してそこに着陸した。街の建物の屋上は殆ど公共のフェザーモート乗り場になっており、選手もそれ以外の一般市民も自由に使える施設になっている。
「おーい! クランツ!」
 奥のベンチで待っていた人物が、こちらを見るなり駆け寄ってきた。フェザーモートの整備士として自分とコンビを組んでいるアロマだ。フェザーモートのレースには、選手一人では参加登録が出来ない。レースに出るには、専用の免許を持った整備士とペアになり、機体のメンテナンスを担当してもらわなければならないのだ。
「どうだった!? 乗り心地良くなってただろ!!」
 アロマは近付いてくるなり興奮気味にそう言った。こいつとはペアを組んで半年ほどが経っている。歳は自分と同じだが、整備士と思えない派手な原色の服や短期間ごとでころころ染め変えられる髪色など、自分には少なからず理解ができない外見的趣味を彼は持っている。因みに今の髪色は見事な蛍光黄緑だ。
「……。いや、別に」
 出された問いに正直にそう答えると、アロマはまた大げさに表情を変えた。
「えええええ!? 嘘だろ!? 俺今のメンテはほんとよくやったなーと自分でも思ってたのに!!!乗ってる途中に何も感じなかったか!?こう、いつもよりスムーズに加速できるなぁとか、リラックスして乗れるなぁとか」
「……レース中にリラックスしてたら何にもならないだろ」
 機体の整備を見る限り頭の悪い奴ではないようだし、技術もそこそこあると思うのだが、こいつにはどうも抜けているところがある。その上いつもテンションが高く、大丈夫かと思うくらいよく喋るのだ。こんな奴とかれこれ半年も一緒にやれているということが、クランツにとっては奇跡のように感じてならない。
 アロマは拗ねたようにあーあと溜息を漏らし、屈んでクランツの機体に触れた。
「クランツ、この機体ってさぁ、メンテすんげぇむずいんだよ」
「そうだろうな」
 黒と銀を基調にしたそのフェザーモートは、他のものよりも十数年ほど型が古い。新しい機種が次々と出ている今、いくら街中にフェザーモートが溢れているといえど、この機体に乗っているのは自分だけだろうと思う。
「お前の育ての親って人が乗ってたやつなんだろ、これ」
「……。まぁ、そうだ」
「最初にこの機体メンテした時さぁ、俺マジでびっくりしたんだよ。だってこれ型は古いけど、中の構造は今の技術から一歩…いや二歩くらいかもしんない。進化してるんだよ。エンジン、操作機関、翼、浮遊制御装置、どれを取っても俺の、いや今の技術じゃ追いつかない。すげー機体なんだよ。これをメンテしてた整備士、有り得ないくらい天才だよ」
「……。何度も聞いた」
 コンビを組んでから、アロマが何度となく口にしていることなのである。けれど、乗っているクランツ自身にはこの機体の凄さはあまり実感が持てていない。自分はフェザーモートに乗り始めてからずっとこの機体しか乗ったことが無いし、整備の上での専門的な知識は殆ど持ち合わせていないのだ。ただ自分にとっても、この機体が他の何にも変えられないほどに大事なものだということは感じている。
 この機体を作った整備士を自分は知っている。彼の名はカズナという。この街の底の底、回廊の奥の奥で一人生きていた自分を掬い上げた彼は、クランツという名前とフェザーモートという翼をくれた。しかし彼は、もうこの世にはいない。
「それにさぁ、こんな機体を乗りこなしてるクランツも凄いんだぞ。今出回ってる他の機体に慣れてる選手では、この機体は多分乗りこなせない。だって乗り手の感覚やセンスが関わってくる部分がたくさんあるから、これはお前にしか乗れない。お前だって凄い天才だと俺は思ってる」
 アロマは視線を機体の方に向けながら、しかしいつの間にか、視界には別のものを写しているように見えた。彼はもうこちらに向かって語っているのではない。また始まった。こうやって考えていることをそのまま独り言にしてしまうのは、アロマの変な癖の一つだった。実直で単純な彼の性格がよく出ている癖にクランツは呆れ、しかし自分のこと言われているのに若干の居づらさを感じ、ふと視線を宙へと向けた。明けない夜を彩るネオンは、それぞれが一等星のように強く主張し続けている。
「後は俺だけなんだよ。俺がこれを作った整備士くらい実力つけて、早く追いつかなきゃいけない。だって俺がクランツを、一番にしてやるんだから」
 その言葉にクランツは思わず振り返ったが、アロマはそれに気付かなかった。立ち上がってポケットから小さなボトルを取り出し、こちらに投げ寄越す。中継地にある自販機の飲料水だ。
「よしッ!じゃぁもう一回メンテしなおす。クランツ、時間掛かると思うしそれ飲んで休憩してるんだ。もうすぐ予選だからな! 選手は黙って体力温存!!!」
 全く、本当に落ち着きの無い奴だと思う。抜けていて煩くて、どうにも付いて行くのに面倒な奴。しかし、どこか憎めない唯一の相棒。
「……そうだな」
 張り切る相棒の背中にそう答え、クランツはまた宙を見た。
 自分はこのどの光よりもずっと、ずっと強く光ってみせるのだろう。

(ラストシリウス--FIN.)