階層硝子都市--コールドシティ

「どうしても、眠るのが怖い時があるんだ」
 消え入りそうなほど掠れた声で、彼はそう言った。呼吸の乱れは治まったが、身体にはまだ熱が残っている。静かで、光といえば窓から映えるネオンしかない部屋。カーテン越しに薄まったその光はシーツや彼の肌を粘着質に濡らし、その光景に一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。
「それは眠っている間が怖いの? それとも、目覚めた後?」
「わかない。……いや、両方かもしれない」
 こちらの問いに彼はそう答え、仰向けだった身体をこちらに向けた。彼の紅い瞳に光が当たる。距離が、呼吸が、温度が近付き、こちらも思わず彼に身体を寄せる。彼の背中に手を回し、肩甲骨の辺りをゆっくりと撫でた。ほどよく鍛えられたその背中は固く、けれどとても温かい。自分が人の温度がこれほど心地よいものだと気付いたのは、彼とこうした関係になってからだった。
 この街には冷たい脈しか通っていない。彼が、自分が生を受けるずっと昔から、この街には昼が無かった。一日と区切られている時間を過ぎ、眠りから覚めても外は夜。継続した秩序の無い時間の中、この街の住人達には温度を察知するという感覚が欠けている。
「夢を見るんだ。目を瞑るのも怖くなるような、そして、目が覚めるのも怖くなるような」
 こちらの耳に頬を寄せ、彼は独り言のように言った。低い声が体内に重く響く。
「私とこうしていても見る?」
 そう返しながら、撫でる手を背中から彼の髪に移した。自分よりもずっと年上の男の頭を撫でるという行為が少しおかしくて、喉の奥がくすぐったく疼く。彼はその問いに答える代わりに、こちらの背中にそっと手を回してきた。広い掌はやはり熱い。
「……情けない話だ。こんないい大人になって、しかもこんな個人的なことで、君を頼るしかないなんて」
「またそんなこと言って……私だっていつまでも貴方と初めて出合った時のままじゃない。そうでしょう? 情けなくてもいい、もっと頼って欲しい」
 少しだけ身体を離し、彼のおっとりした目をじっと見つめる。すると彼は急に戸惑って、ふっと視線を泳がせた。
「……ああ、フラディカ。君はいつの間にか……その、大きくなった」
「なにその、子供扱いした言い方」
「いや、そんなつもりではなくて……」
「ふふ、わかってるわよ」
 彼はすぐに照れる。そしてとても口下手だ。この街の治安維持と罪人処理を統べるという厳格な立場にいながら、控えめで気が弱く、お人好しで、自分の知る他の誰よりも彼は優しい。どこに居ても冷たく暗いこの街の中で、彼の傍だけはとても温かい場所だと、この場所だけは失いたくないと思った。
 目覚めるのも怖くなるほどの悪夢、そんなものから彼を守れるのなら、自分はいつまでだって彼に沿い続けていよう。
「大好き。愛してるわ、ノア」
 戸惑う彼の唇にまた唇を重ね、フラディカはゆっくりと目を閉じた。


(この街はずっと眠らない。例え彼が死んでも、私が死んでも)



(コールドシティ--FIN.)