さよならボイジャー(04)

 何を考えているんだろう。深の様子に、私は少しだけ胸がもやっとした。黒点のような小さな不安が生まれる。この前誓子さんが言っていた『話』と、先生との『用事』には、関係があるんだろうか。
「あーーっ!」
 入り口で上がった素っ頓狂な声が思考を断ち切った。振り向くと、一足遅れていた璃子と芹菜だった。
「ごめんごめん、二人っきりの所を。お邪魔しちゃった」
「別に邪魔じゃないけど?」
 また茶々を入れて来た璃子をあしらって、私は二つ目のおにぎりを手に取る。そんないつものやりとりを横目に、芹菜が自分の席に行く途中で立ち止まった。
「あのさ、天束」
 名前を呼ばれて顔を向けた深に、信じられないような言葉を発する。
「あんた、転校すんの?」
「え、」
 私の手からおにぎりが落ちて、床に転がった。その先を確認する間もなく、私は芹菜を見る。今、何て言った?
「いや、さっきメジャー借りに職員室行ったら、担任とあんたが喋ってるの聞こえちゃって――って、有羽も知らなかったの?」
 全く予想外という様子だった。呆然とする私に、芹菜がばつの悪そうな表情を返す。もう既に知っていると思っていたらしい。深は頷く。
「――うん、そんな感じ」
「うっそ! そうなの?」
 璃子が声を上げた。そしてそれに被さって、朝練を終えた他の運動部やスクールバス登校組の声がわいわいと廊下を近付いてくる。顔を出したクラスメイトの男子が、私たちの異様な空気に目を丸くした。
「おっす。って、どうしたんだ?」
「何? 何かあったの」
「あっ、あのねぇ天束君がね――」
 次々に入ってくるクラスメイト達に、璃子が簡単な説明を繰り返した。話は瞬く間に皆に広がっていく。深はすぐに皆に囲まれ、私が近付く隙もなく矢継ぎ早に質問され始めた。
「おい、マジかよ」
「天束君どこ行っちゃうの?」
「アメリカ」
「えーっ、それって留学ってこと?」
「いつ行くんだよ」
「年明けに」
「じゃ、いるの二学期いっぱいかぁ」
 留学? 年明け? 何もかもが初耳で、私はわけがわからなくなった。すぐに芹菜が隣に来て、物凄く申し訳なさそうに私の袖を掴む。
「有羽、ごめん。まさかあんたが知らないなんて」
「ううん。いいよ……」
 答えながら、私はクラスメイトに囲まれる深から目が離せずにいる。
 回りの質問に表情を変えず答える深が――一番近くにいたはずなのに、一瞬で一番遠い存在になってしまった気がした。
――ふらふらどっか行っちゃいそうじゃない? 天束って、風船みたいな感じあるし。
 さっき聞いたばかりの麻美の言葉が、真っ白になりかけている私の頭をよぎる。まさか。耳に入ってくる全ての事が信じられなくて、私は眩暈をも覚えた。だって、考えられないもの。深が傍からいなくなるなんて、そんな。
 何で。
 声になってしまいそうで、ぎゅっと口を閉じた。深を見つめ続けるのが辛くなり、足元に落ちたおにぎりに視線を投げるけど、拾おうという気にもなれない。
 何で教えてくれなかったの。
 深――


 夕焼けが視界を射るように差し込んで、私は目をしかめる。
 授業と部活を終えた、いつも通りの時間帯。景色は秋めいているけれど、体感する空気は昼間の熱をまだ帯びている。
 一緒に帰る? 気を遣ってくれた芹菜たちをやんわりと断って、私は一人で帰路に着いた。公園を横切って駅に向かい、そこから三駅分電車に乗り、家の最寄り駅へ。だけど、この移動の間の記憶は殆ど無い。朝にあったことが浮かんでは滲んで、滲んでは浮かんでを繰り返していて、思考なんてあってないようなものだった。
 何で、私に一言も無かったんだろう。
 そのことばかりが、頭の中をぐるぐると公転している。高校になって部活漬けになってからは、一緒に登下校することも昔ほど多くなくなっていた。この前みたいなことの方が珍しいくらい。だけど家も隣なんだし、すぐに会えるし、私に伝えようと思えばすぐにできたはずだ。芹菜の口から聞いたということより、誰よりも先に伝えられなかったということの方がショックだった。深にとっての私はその程度の物だったのか、と訝(いぶか)しんでしまう。
 全自動と言ってもおかしくない足取りをひたすら続け、けれどその歩みは家のすぐ前でストップした。今一番会いたくなかった色白の長身が、門の所にじっと突っ立っていたからだ。
「深……」
「有羽、おかえり」
 私が呟いた名前に反応して、ぱっと顔を上げた。でもそれを見て、私は逆に腹立たしくなる。一体どの面下げて待っていたと言うんだ。私に何も言わずに、遠くに行ってしまうことを決めたくせに。じわじわと込み上げてきた怒りに私が黙っていると、当の本人は少し怪訝そうに首を傾げた。自分のどこに非があったのか、という感じだ。
「有羽? どうしたの」
「どうしたの、じゃないよ」
 一体どうしたらそんな問いができるの、とむしろ聞きたい。私はついにかっとなって、深に詰め寄る。
「あのねぇ。何でそんなに鈍いわけ? 私、深が留学なんて聞いてないよ? 何で教えてくれなかったの」
「――ごめん」
「謝ったって……。わかんないよ。私、深の考えてることがわかんない」
 そうだ。反射のように謝られても、私にはちっともわからないのだ。これ程大事なことを、あんな形で知ることになった身にもなって欲しい。
 考える間に、私の怒りは急激に冷えてしまった。代わりに、直接伝えられなかった悲しさと、もうすぐいなくなるという寂しさが重たい氷になって胸を塞ぐ。
「帰って来るの?」
 私が小さく零した言葉に、深は無言でもって返してきた。普段の無表情のまま、長い睫毛を伏せて、わずかに俯いて。
「そんな」
 そしてその沈黙が肯定を示していることを、私はほぼ直感で理解した。帰って来ない。小さい頃から、誰より近くにいるのが当たり前だった深が、年明けにはどこか私が知らない場所に行ったまま帰って来なくなるんだ。考えられない。つい先週には、同じ大学に行くって言ってたのに。一緒に飛行士になりたいって思ってたのに。一緒にロケットを見に行こうって、言ってたのに――何でこんなに簡単に、こんな突然に、将来を左右するような大きなことが決まってしまったんだろう。それとも、あの時の言葉や約束は嘘だったんだろうか。離ればなれになってもう会えなくなることを隠したまま、深は私にあんなことを言っていたんだろうか。
 だけど私が呆然する中、深が意を決したように顔を上げた。
「有羽、聞いて。話したいとがあるんだ。こんなことよりもずっと、大事な、ことが」
「こんなことよりもって……今これよりも大事なことって何?」
「有羽には、本当のことを言いたかった」
「本当の?」
 一体これ以上何があるの? 朝感じた分なんて比べ物にならないほど大きな不安が、胸の中で瞬間的に真っ黒く膨れ上がった。怖くて仕方がない。いなくなってしまうというだけでこんなにも怖いのに、これ以上のことをどうして受け止められるんだろう。
「留学なんかじゃない、本当は。打ち切られることになったんだ。いつか終わることはわかってた。だけど、それがこんなに急だなんて、俺自身も知らなかった」
「……どういうこと?」
 言っていることの意味がわからない。私が戸惑っていると、突然深がこちらの腕を掴んできた。予想外の力で引き寄せられ、胸にぎゅっと抱きしめられる。
「し、深! ちょっと、」
 気持ちが一気に動転した。長く一緒にいるけれど、こんなことをされたのは初めてだったから。カッターシャツ越しの鎖骨が額に当たる。体温が信じられないくらいに上がっていた。こんなことをされている理由がわからなくて困惑する自分と、これで許されると思っているの、と憤慨するさっきまでの自分がごちゃ混ぜになる。シャツを掴んで体を離そうと思ったが、今までどこに隠していたのかと思うくらい強い力に阻まれて私は何もできなかった。
「何よ、いきなり……!」
「俺、今までずっと黙ってたんだ。ずっと」
 抵抗する私の声を、いつもよりも低い声が遮った。何をと返す間もなく、私はすぐにその違和感に気が付いた。
 無い。
 そこにあるべきものが、ううん、あるべき音がそこには無かった。
 人間には――生きているものには必ずある、あの音が。
「俺は、ひとじゃない」
 代わりにあるのは、フィィィィィィンという、虫の羽音のような甲高い振動音。
「う、そ」
 全身から血の気が引く。両手足から力が抜けて、私は立ってもいられなくなった。
 深の腕から離れ、夕焼けに熱されたアスファルトに尻餅をつく。そこから見上げた深の瞳は、まるで硝子玉のように色が無かった。
 そして、呆然自失状態の私に追い打ちをかける鉄の声が落ちてくる。
「有羽、俺は、本当は、機械なんだ」

(さよならボイジャー--FIN.)
※続きは同人誌『さよならボイジャー』にて読むことができます。