さよならボイジャー(02)

 ぱっと声を弾ませる。ばか。空気読みなさいよ――と私が言う前に、先に安斎さんが動いた。この場に自分たちの他に四人もいたことに驚いたのか、告白の途中で深が他の女子と親しげにしたのがショックだったのか、もしくはその両方か。人間に見つかった時の野良猫のように、誰もが呼び止める隙もなく教室から飛び出していった。
「あーあ。行っちゃった」
「駄目じゃん、告られてるのに他の女子誘っちゃ」
「天束君、ちょっと鈍感?」
「――?」
 麻美たちに口々にブーイングされ、彼・天束深は困惑した面持ちでこちらを見てきた。普段から無口で表情に乏しい方だけど、今回ばかりは助け舟を求めているのが何となくわかる。自分の何がいけなかったのかというような顔だ。
 でもまぁ、仕方がない。元はと言えば、変な時に変なことを言った私の所為なんだ。わざとらしく咳払いをして、私はトイレの方向に向けていた体を元に戻した。
「わかった。邪魔してごめんね深。お詫びに、帰りに何か奢るから」
 外野三人がひゅーひゅーと声を上げ、おまけに手まで叩いた。うるさいなぁと一括しようとしたが、深が顔を穏やかに緩ませているのが視界に入って気が抜ける。いつかの璃子の言葉を借りれば、まるで王子様みたいな――だ。元々綺麗すぎる顔をしているからか、小さい頃から一緒の私でも未だにこの笑顔に慣れない。
 それでも、深はお構いなしにその後の言葉を続けた。
「有羽、帰ろう」


 がこん、と音を立ててペットボトルが落ちる。屈んで取り出し口に手を入れると、手に触れた水滴がひんやりとして気持ちいい。そのまま引き出して、隣で待つ深へと差し出してあげた。
「はい」
「ありがとう」
 折角奢るんだから、ちょっと良いもの買うよ――とは言ったものの、深が選んだのは結局いつも飲んでいるメーカーのミネラルウォーターだった。水の味の違いなんて私にはさっぱり分からないのだけど、好きな人には分かるらしい。
 嬉しそうにキャップを回す深を横目に自分用のスポーツドリンクを買い、私はキャップ部分を指に引っ掛けてぷらぷらさせながら歩く。学校からすぐ近くにあるこの公園は、通り抜ければ駅までの近道になる。水を美味しそうに飲みながら、深が大型犬のように斜め後ろを付いてきた。
「珍しいよね、部活終わりの時間まで居るの」
 ご機嫌そうな彼を見ながら、私は気になっていたことを何となしに口にした。ペットボトルのキャップを閉めながら、深は相変わらずの不器用な口調で話し出した。
「図書室にいたんだ。そうしたらあの子が来て、一緒に勉強してた」
「あの子のこと、知ってた?」
「知らない」
「……付き合ってって言われたの?」
「うん。でも、俺、よくわからないから」
 わからない。相手のことを詳しく知らなかったって意味なのか、付き合うとかそういうのがわからないって意味なのか。深の言葉のニュアンスがわからなくて、私も思わず首を傾げた。
 完全無欠な見た目をしているくせに、深の話し方はどうにもぎこちない。言葉を覚えたての幼児のような、舌足らずな印象を受ける。普段は無口で、教室ではそういうキャラクターだと思われているからまだ良いが、実際に話すとイメージとギャップがあって困った――ということを昔麻美たちから聞いた気がする。
 深とは、幼稚園の頃からの幼馴染だ。確か四つくらいの時に、隣の家に引っ越してきた。当時弟が生まれたばかりだった私にとって、同い年で一人っ子の深はすぐに格好の遊び相手になっていた気がする。勿論小中学と一緒で、この通り高校も同じ。私が陸上に打ち込むようになって回数が減ったけど、昔からこうやってよく一緒に帰っていた。帰り道だけじゃない。学校でも外でも遊ぶ時には深はいつも一緒にいて、苛められたら私が守ってあげたりしていた。気が弱いってわけじゃないけど大人しくて、自己主張が苦手な深のフォローをすることが、あの頃は私の使命になっていたように思う。
 ただ、深はあまり体が丈夫じゃない。詳しく聞かされたことは無いけど、珍しい持病を持っているし、何種類かアレルギーもある。ミネラルウォーターが好きなのも元を正せばそれが理由だ。ファーストフードや化学成分のきつい飲み物は口に入れたがらず、野菜は何でも好き嫌いせずに食べるけれど肉類は全て駄目。だからこんなに細いのだろう。検査や何やらで入院もしょっちゅうしていて、夏休みも半分以上をそれに費やしたばかりだ。
 弟と連れ立って見舞いに行った時、ベッドの上でけろりとした様子で宿題に励んでいたのを思い出す。何だか勿体無い。深の人生に一度しかない十七歳の夏の大半が、病室に閉じ込められたままで終わってしまった。ただし夏休みの私は部活ばっかりで、どちらにせよ深と遊ぶような時間なんて無かったのだけど。
「あ、有羽、見て」
 公園を抜けて駅前の通りを歩いていると、深が電機屋のショーウィンドウを見て足を止めた。最新の3Dテレビの画面いっぱいに、県内にある宇宙開発センターの様子が映されている。電車で四十分ほど南下した丘の上にある、全国的にも規模の大きい施設だ。小さい頃から何度も遊びに行っているから、ちらっと見ただけでもすぐにわかった。でも、高校に入ってからは行けてないのもあって少し懐かしい。
 画面では昔より少しだけ老けた開発局長がインタビューに答えていて、その後現在開発中の惑星探査機の映像に変わった。画面の下には、『来年秋に打ち上げ予定』という文字が出ている。
「一年後かぁ」
「かっこいいね」
 銀色に光る探査機がゆっくりと映し出されていく。無数の部品が複雑に絡み合いながら、それでも美しい球形が造り出されていた。
「きれい……」
「打ち上げ、一緒に見に行く?」
 私があんまりにもじっとそれを眺めていたからか、深が不意に予想外なことを言った。
「えっ――でも、受験あるよ?」
 私たちは、来年の今頃には大学受験を控えている。部活はもう引退しているだろうけど、きっと遊んでいる場合ではない。
 だけど、深はそれがどうしたという風に、二重の大きな目をぱちくりと瞬かせた。
「行きたくない?」
 背は高いくせに、まるで子犬みたいな純粋な目でこちらを見てくる。うう、やめてほしい。周りには絶対に言えないが、私は深のこの顔に凄く弱いのだ。
「……うん。行きたい」
「じゃ、決まり」
 仕方なく白状すると、深は嬉しそうに笑顔を作った。
 それはもう半端なく綺麗な笑みだ。ただ容姿が良いというだけでなく、深の笑顔には何か別の魅力がある。真っ白なのだ。軽々しく触れたらすぐに汚れてしまいそう。純度一〇〇パーセントの無垢さに、胸の中で炭酸水の泡がぱちぱちと弾けた。
 私も嬉しくなる。たとえ一年先の約束でも、良いんだ。深が誘ってくれたこと自体が特別で、何となく気分が浮足立つ。絶対に口には出せないけど、深が隣にいるだけで何となく嬉しいし、居心地がいい。夕暮れが照らすレンガの歩道の上をスキップするみたいに軽快に進み、私はくるりとステップを踏んで深を振り返った。
「深、大学って決めた?」
「まだ。有羽は?」
「私も」
「俺、有羽と同じ大学にする」
「ええっ」
 言われたことが信じられなくて、私はまた変な声を上げてしまった。立ち止まったまま思考停止させている間に、彼はにこにこしながら傍まで歩み寄ってきた。
「な、何で」
「一緒にいられるから」
 あっけらかんと答える。私は顔に熱が溜まるのを感じながら、どう言って返そうかと必死で頭を回した。
 私はあまり成績が良い方じゃない。体育ばかりが得意で、座学で得意なのは地学くらい。理系科目にはムラがあるし、現国と英語は少しマシだけど、得意だと胸を張れるレベルでは決してない。そして一方の深はというと、学年で常に上位を取っているほどの秀才だ。特に数学は右に出る人がいなく、暗算は先生に人間じゃないと言わせるくらい速い。
「深、それ、多分すっごく損するよ。国立狙えるって言われてるのに」
「大丈夫だよ」
 深の口癖だ。何が大丈夫なのという台詞を、私は言葉にせずに小さな溜息に変えた。
 深は先生たちからもかなり期待されていて、天束は大学どうするんだ、なんておもむろに担任が聞いてきたりする。地元の生徒ばかりが通う田舎の公立であるうちの学校にとって、深みたいに有名大学を志願しても遜色ない偏差値の子は貴重だ。
 ただ私と深には共通の目標があった。特に私は人に話せば似合わないと笑われてしまうが、宇宙開発に関わる仕事がしたいと思っている。けど今の私には深程の偏差値はないし、しかも宇宙開発の仕事に就くにはは最低でも理系の大学を出なくちゃいけない。同じ大学は無理かもしれないけど、続けていたら一緒に仕事できるようにはなれるんじゃないか――なんて、半分夢見がちなことを思っていたりもした。だから、深が同じ大学に行きたいなんて思っていてくれていたこと自体が正直意外。あんまりにも簡単に言うので、ちょっと不安になる。本当にそれでいいの?
「深、あのさ」
「深!」
 とてもいいタイミングで、聞き覚えのある声が聞こえた。出所を追って振り向くと、すぐ後ろに赤い車が止まっている。げッ、と声が出た。西日にぎらぎらと光っているその車は、高校生の私から見ても高級品だということが想像できる。全開にした窓から顔を出して手を振る運転手を見、私はうんざりして肩を落とした。