Riot in the Sky with Diamonds(03)

「多分、音楽が聞けるんだと思う」
 OPENと書かれた、一番大きいボタンを押す。すると、デジタル窓のある方の面が貝殻のようにぱかっと開いた。ああ、やっぱり入っている。円盤型の、薄いプラスチックの板。パソコンの画面上でしか見たことの無かったそのデッドメディアに、胸が少しだけ高鳴った。
「それって何?」
「CD……コンパクトディスクだよ。昔は、これに音楽や映像のデータを入れてたんだって。裏面が傷ついたら読み取れないから、専用ケースもあったらしい」
「へぇ! すっげぇ嵩張りそう」
 朝倉の感想は、物凄く的を得ている。
 コンピューターのデータは全てネット上のクラウドに保存し、どこからでも共有できることが普通の今の世の中。俺は今何もメディア媒体を持っていないが、塾の教室や家の自室でも、クラウドを介して学校の課題を進めることができる。こんな約十二センチの繊細な円盤を、持ち歩く必要なんて全く無いのだ。
 俺はプレーヤーから、この薄い媒体をそっと取り出す。虹色に光る表面に、何か文字が書いてあるのが気になったのだ。
  lilac never die
 黒い油性マジックで、殴るようにそう書き込まれていた。
「ライラックネバーダイ?」
「あ、これライラックって読むのか。ライラックって何だっけ。どっかの偉人?」
 馬鹿なことを言う朝倉を無視して、俺はCDをプレーヤーに戻した。蓋を閉じて、本体を振ってみる。からから、と微かな音が聞こえた。中で何かが外れているんだ。
「直る?」
「わからない。けど、やってみる」
 自分の鞄から、小さな工具入れを取り出した。一番細いプラスのドライバーで裏面に数カ所埋め込まれている螺子を外し、ゆっくりと開く。
「うおっ! すげぇ!」
「ちょっと黙ってろ……」
 そこには絶縁体や細いコードが整然と組まれ、思ったよりも複雑でない構造のようだ。俺は内心ほっとする。埃が入り込んでいるようだが、ハンカチで拭ってやるとすぐに綺麗になった。外れているのは絶縁体の螺子らしい。音の正体はこれだろう。ピンセットで螺子をつかみ、それらしき穴に差し込んでドライバーでぎゅっときつく回し入れる。もう一度埃をふき取り、元通りに蓋をして再度螺子を埋め込む。多分、これで大丈夫だ。
 プレーヤーの裏面の一部に真っ直ぐな割れ目が入っていて、外向きの小さな矢印がある。壊してしまわないだろうかと思いつつ、押しながらスライドさせる。すると呆気ないくらい簡単に、その部分だけが取り外せた。金色の乾電池が二本、互い違いに並んである。
「そこ開いたんだ。電池で動くって、年代感じるな」
「替え、ある?」
「あるある! 避難用の鞄に入ってる。取って来るよ」
 乾電池は今では災害時に使う緊急時の電源として、一家に十本ほど買い置きしておく程度の用途しかなくなってしまっている。ワイヤレス充電が一般的になった今、これで直接動く機器などは極々少ない。俺が生まれた頃に今の形に移行しだしたらしいから、乾電池で直接動く機器があったことを知らない同級生は地味に多いのだ。俺自身も、工研に入っていなければ知ることは無かったと思う。
 朝倉が取ってきた電池を、元からあった古いものと交換する。すると、表のデジタル窓に数字が灯った。
「ほら、点いた」
『13 55:14』――何を表す数字なのかはわからないが、一応、これでやっと本来の仕事ができるようになったはずだ。
「うおお直った、すげっ!! で? どうやって音楽聞くんだこれ」
 俄かに興奮している朝倉に、俺はコードの先っぽを揃えて渡した。
「これを耳に填めて。Lが左で、Rが右だと思う」
 イヤフォン――これも、俺が生まれたくらいの頃に廃止になった代物だ。耳に直接填めて音楽を聴く道具で、難聴や事故の原因になるからと製造中止になった。コンパクトディスク、プレーヤー、イヤフォン。全て、今ではどこにも売られていない過去の遺物。俺だって知ってはいたものの、実物を見るのも触るのも初めてのものばかりだ。
「どのボタン押せば良いんだろ――あ」
 イヤフォンを耳に填め適当にボタンを押していた朝倉が、急に黙り込んだ。
 視点はプレーヤーを見つめたまま、けれど、その瞳にはまるで別の世界が映り込んでいるようだった。
「……すげぇ」
――この時の朝倉の顔を、俺は一生忘れないだろう。
「すげぇ。なんだこれ……すげぇ」
 まず、語彙が喪失された。プレーヤーを握る手に、外から見てもわかるくらいにぎゅっと力が込められる。笑ってはいるが、まるで獣のような、どこか人間味の薄い顔。息づかいが荒くなっているのか、肩がおもむろに上下した。目は開けているものの、瞳はその視界にあるものを映していないように見える。
 俺は、そんな朝倉から目が離せなかった。さっきまでただのクラスメイトだったのに、この世のものとも思えない未知の生物に変わってしまった気がした。そしてその獣じみた奮えが、空気伝いにこちらに伝わってくる。俺の体内に滑り込んできたそれはまず、身体の底の底、腰のずっと奥のあたりに熱を灯した。落ち着かない。じっと座っていられなくなって、俺は脚を組み替える。
 何だ――一体、何が聞こえているんだ。
「梶!!」
 獣になっていたはずのクラスメイトが、突然俺を呼んだ。目をぎらぎらに光らせたまま、子供みたいにはしゃいだ声でせっつく。
「梶、これすげぇよ。俺こんなの、今まで聞いた事無い」
「そりゃあ、イヤフォンで聞いてるんだしな」
 俺は敢えて素っ気ない声を作る。どんな音楽かは知らないが、おそらくクラシックか何かだろう。今の世の中、音楽と言えばそれくらいしかない。脳に良いとされるものに偏っているから、選択肢が少ないんだ――そう思ったその時、両の耳元に何か熱いものが触れた。
「なっ、」
 気が付くと、朝倉の顔が真正面にあった。伸ばされた両腕が、それぞれ俺の両耳へと続いている。指が俺の耳たぶに触れ、イヤフォンを填めようとそっとまさぐっている。
 熱く柔らかい、人間の感触。
 ちりり、と電気が走り――実際は、そんなことあり得はしないのだけど――俺は咄嗟に叫びそうになった。けれど、朝倉は何事も無く手を離し、笑う。
「ほら、梶も聞いてみろよ」
 再度プレーヤーを弄る。と同時に、イヤフォンが大音量でがなり立て出した。
 俺が想像していたクラシックなんかとは、全く別の世界の音楽。
 形容し難いほど複雑に絡み合った音の群が、一斉に耳に流れ込んできた。縦横無尽に飛び交う金属音と、その奥で鼓動のように蠢く破裂音。一番低い音が耳から直接胸を打ち、うねり、次の瞬間には閃光が飛び散るように音が弾けた。低い男の歌声が、その上に乗る。

  さあ行こう嵐の海 崩れ落ちる雲高楼
  撃ち落とされる覚悟でもなきゃ
  I’m alone この空は飛べやしない
  今 机上から 最果てへ
  抜け出した君の空は 藍よりも青

「これ、って」
「すげぇだろ? なんつーか、脳にクルっつーか、血がぶわーってなるっつーか」
「――ああ……」
 俺は朝倉に生返事した。正直横で話をされても、微かにしか聞き取れない。怒涛のような音楽は金属的な余韻を残して終わり、刹那の間を持ってまた次の曲に移る。
 一番低い音がガンガンと鼓膜を殴りつけ、追いかけるように脳を切り刻むノイズ、そして濁った咆哮が重なる。怒りの感情そのもののようだ。それが人間の声だと気付いた時には、前身に鳥肌が立っていた。かと思えば急に音は静まり、先ほどと同じ掠れた男の声が朗々と歌い出す。

  痛み苦しみ悲しみ全て
  無かったことにしよう 最初から
  俺の身体に溶けていく
  愛のフリした異物たち 鎮痛剤
  貴方も知っているでしょう
  いつかは死骸になるように
  俺たちは所詮動物だから
  綺麗なままでは生きられない

 ぶつん。
 プレーヤーのボタンを探り、俺は音楽を止めた。