Riot in the Sky with Diamonds(02)

「俺んちチャリで十分くらいだし、梶ならちょちょっと直せるはずだし、来てくれないかな。今度何か美味いもの奢るし」
 そこまで言って、朝倉は俺が何も返さないことに首を傾げた。
「なんか用事ある? 駄目ならいいんだけど」
「いや……」
 断るなんてたやすいことだ。けれど朝倉の言葉に、俺は少なからず動揺していた。何せ他人の――クラスメイトの家に呼ばれることなんて、今まで全く無かったからだ。
 俺だけでなく、今の高校生なら大抵がそうだろう。一緒に放課後を過ごすほど親しい友人を作ること自体が希少で、表面では仲良さげに交流していても、実際はそれ程仲が良いわけでは無い。親しげに振る舞っている厚い面の皮の下では、相手を利用し、蹴落とす瞬間を今か今かと待ち侘びている。だから他人の容易に信用しないし、特に親密な関係など誰も求めない。勝者になるために。この国で、生き残るために。友人など作っても、どうせ競争しなければならないのだから。
「駄目かぁ。ごめんな、話しかけて」
 俺が考え込んでいたせいか、朝倉はすまなそうに言った。
「べっ、別に、嫌だから黙ってたわけじゃない。逆算してたんだ。七時から塾だから、二時間くらいしか暇がないけど、とりあえず、見るだけ見てやる」
 殆ど勢いで言ってしまった。予定と全く違う。し、何故こんな好意的なことを言ってしまったのか、自分でもよくわからない。決して、誘われたのが嬉しかったわけでもないのに。ただ。
「まじで!? やった! ありがとな、梶!」
 複雑な俺の気持ちに反して、朝倉のくっきりした目はこれ以上なく輝いていた。


「蝉が鳴いてる」
 学校を出てからしばらく。赤い自転車を引きながら、朝倉が空を見上げる。六月も終わりに近づき、梅雨の空気はすでに初夏のそれに切り替わっていた。周りに何の木々も無い住宅街の、何処にいるのやら。夏独特の耳障りな虫の音が、けたたましく鳴り響いていた。
「なぁ梶、知ってる? 今年の蝉って、最後の蝉なんだって」
「何だそれ」
「覚えてるかな。蝉の駆除が始まったのって、六年前じゃん。突然変異で急に増えて、騒音が問題になったか何かで」
「ああ……」
 覚えている。あの年は異常に蝉が多く、春先からすでに鳴いていた。駆除で野山の木や地面に薬を撒くからと、外に遊びに行けない日が何日もあった。規模はあれほどではないにせよ、今でも続けているのだろう。現に蝉自体は、毎年減り続けている。
「蝉って一週間で死ぬくせに、成虫になるまで土の中に六年いるらしい。だから駆除されても今まで夏になると出て来てたんだけど、今年であれから六年目だから、実質今年のが最後の蝉になるってわけ」
「――ふぅん、詳しいんだな」
「母さんが教えてくれた。って、ちゃっかり来年もいるかもしれないけどさ。毎年、駆除される前に交尾するんだろうし」
「こっ……!」
 今朝食べた物の話でもするかのような口調で、朝倉はその未成年使用禁止用語を平然と吐いた。
「やめろよ、誰かが聞いてるかもしれないのに」
「大丈夫だよ。俺ら以外いないじゃん。ほら、な?」
 三百六十度を見回し、朝倉は笑った。な? じゃない。もし近くに教師や警察がいてみろ。どんな処分をされるかわからないのに。
「てかさ、みんな聞いたことも言った事もありませ〜んって顔してるけどさ、絶対意味知ってるよな。梶も知ってるから慌てんだろ? セッ」
「言うなって言ってるだろ!」
 交尾よりも一段階規制が強い言葉を阻止し、俺は歩調を速めた。こんな際どい話をするために着いて来たんじゃないんだぞ。だけど、朝倉は歩幅を広げて追いついては能天気に続ける。
「アレってさ、気持ちいいのかな」
「……知らない。聞くな」
「あー早く成人したいよなぁ」
 未成年は、二十歳になるまでその行為を禁止されている。昔は義務教育中に性教育と言うものがあったらしいが、今は二十歳になるまで公にはそのメカニズムは教えられない。指紋情報に成年登録がされていない俺たちでは、検索フォームに入力しエンターキーを叩いてもエラーが出るだけの言葉。だけど大抵の子供は――それぞれどこでどう仕入れるのかはわからないが――二十歳を待たずにその行為の内容を既に知っている。知った上でそれを暗黙の了解として、朝倉の言う通り知らないフリをしているのだ。
 言葉なんて、禁止するだけ無駄だ。言葉と行為にはディスプレイとキーボード程の違いがある。蝉を駆逐すると言葉にするのはタダだが、実際にするとなると費用と労力は計り知れないのに、結局駆除しきれていない。それどころか、駆除されているという事実の所為で、現在鳴いている蝉の存在感は更に強調される。
 言葉だって同じだ。子供の好奇心は禁忌に惹かれるということを、大人は忘れている。自分達だって、昔は子供だった癖に。
「梶、あそこが俺の家」
 指された方向を見る。道の突き当りに、半木造の二階建ての家が見える。良く言えば奥ゆかしい、悪く言えば古臭い家だと思った。朝倉の後に付いて土間へと入り、俺は情けないほどの小声で呟く。
「お、お邪魔します――」
「母さんまだ帰ってないし、緊張しなくても良いよ。この階段上がってすぐが俺の部屋。先に上がってて」
「ああ……」
 俺の狼狽に気付かず、朝倉は台所らしき部屋へと入って行った。俺は階上を見上げ、唾を飲み込み、一歩一歩と上って行く。一番上の突き当りにある窓から、初夏の風がふわっと這入り込んで来た。朝倉の部屋らしきドアの前でノブを掴もうとして――やめる。
 いくら先に行ってろと言われたとはいえ、他人の部屋だ。いわば朝倉のプライベートが全部詰まった空間で、学校では決して見せない彼が転がっているかもしれない。俺が安易に見てはいけないものだって、あるかもしれない。本人がまだ来ていないのに、勝手に入って本当に大丈夫なのだろうか。
「――入んないの?」
「うわっ!!」
 思わず叫んでしまった。振り向けば、朝倉が不思議そうな顔で立っていた。グラスを二つ乗せた盆を持っている。
「入ってて良かったのに」
「か、勝手に入るわけにいかないだろ!」
「ふぅん? そんなもんか。真面目なんだな」
 お前は大丈夫なのか。他人をこんなに易々と部屋に入れて。万が一物を盗まれたり、荒らされたりした時はどうするんだ――いや、俺はそんなことするつもりは誓って無かったけれど――無防備過ぎるんじゃないのか。
 狼狽える俺を尻目に、朝倉は先に部屋に入って行く。日当たりのいい部屋の中を見て、俺は少しだけ拍子抜けした。面白いほどに何もないのだ。机とベッドと、小さな本棚とクローゼット。まるで昨日越してきたばかりのような、殺風景な部屋。俺が知らない朝倉なんて、どこにも転がっていない。脱ぎ捨てられたパーカーが、乱雑に丸めてあるくらいだ。
「座布団とかねぇけど、適当に座って。この麦茶も飲んで良いし」
 生まれて初めて入った『同級生の部屋』で、俺は言われたとおりその場に腰を下ろした。西日の所為か、フローリングは少し熱を持っている。盆を床に置き、朝倉は机の引き出しから件のものを早速取り出した。
「梶、ほら、これなんだけどさ」
 それは柔らかな生地の巾着の中に入っていた。手渡され、中身を取り出す。ぱっと身は銀色の円盤――いや、フロスト加工されたその銀は、どっちかというとグレーに近い。平べったく、二センチくらいの厚みがあり、その側面にはいくつものボタンや穴やツマミがある。傷や凹みだらけの上面には小さなデジタル窓。ひっくり返せば、簡素なメーカーのシールが貼ってある。穴の一つにはすでにプラグが差しこんであって、そこから繋がるコードは二股に別れている。先には、親指の先大の丸いものがそれぞれ付いていた。
「これって……」
「最近物置で見つけたんだけどさ、どのボタン押してもウンともスンとも言わないんだよ。何するやつだと思う?」
 俺は知っている。部活中にウェブ上の画像で見ただけだが、何という名前で、何をするものかも一応はわかっている。
 これは、CDプレーヤーという。