Riot in the Sky with Diamonds(01)

 薬の摂り過ぎでも、人は死ぬ。
 唐突にそんなことを思いながら――錠剤を一粒手のひらに出し、口に放り込んだ。奥歯で擂り潰せば、何とも言えない強い酸の味が舌を占領する。栄養素不足を補うためのサプリなど、小腹が空いたという理由だけで摂取するものじゃないなと、俺は一瞬で後悔した。
 ひたすら酸っぱいだけで、何の足しにもならない。分泌された唾液で、すぐに食道へと流し込む。小腹は満たされたわけでは無いが、一日に必要なビタミン群は今の一粒ですべて補給されているはずだ。食事だけでは摂れない栄養を、これで補うのだと両親は言う。
 頭上には、昨日と変わらぬ聞き飽きたクラシック風の電子音が掛かっている。生徒の下校時に自動で流れるようになっていて、タイトルは知らない。けれど、何の起伏も無く優しいだけのこの曲には、勉強で疲れた脳を癒すという効能が認められているらしい。
 職員室に寄っている間に、下校のラッシュは過ぎていた。人気のない廊下には、俺の溜息に気を留める奴なんかいない。だから、あからさまに零してやる。健康のためにサプリを飲め。脳に優しい音楽を聴け。この世は、大人が用意した薬ばかりだ。どんなに効果のある薬でも、過剰摂取すれば死に至ることを、大人たちは忘れているんじゃないかと思う。今鞄に押し込んだこのサプリで、自殺をすることだって可能だっていうのに。そうやって、俺が不吉な発想に自嘲をしかけた時――
「――梶(かじ)!!」
 はるか後ろから、名字を呼ばれた気がした。
「梶! おーい、ちょっと待てってば」
 まさかと思って振り返り、そのまさかに驚いた。クラスメイトの、しかも一番苦手な朝倉(あさくら)が、廊下を全力で走って来る。面食らっているうちに奴はこちらに追いついて、わざとらしいくらいに大きく息をついた。
「ああ追いついた! お前止まんないんだもんな、気付かなかった?」
「……俺のことだと思わなかった」
「あっそうなの? お前のことだよ! 俺、他に梶って奴知らないし」
 俺だって知らない。ただ気付かないふりをしていた理由が欲しくて、適当に返したことだったから。
 俺は表では無表情を作りながら、心の底では自分の咄嗟の行動に舌を打った。こいつの素っ頓狂な声が恥ずかしいのもある。けれどそれ以上に、自分の対応に嫌気がさしたんだ。都合が悪いことは忘れたり知らなかったり、気付かないふりをする――これでは、まるで大人じゃないか。
「結構探した! 工研って今日はオフなんだな。PCルームに誰もいなかったから焦ったよ。良かったー捕まえられて」
 俺の反吐が出るような思いを露も知らず、朝倉が能天気に続ける。入っている部活まで把握されていた事には、正直驚いた。内申を上げるために部活を強いられ、これといった熱意無く続けている工学研究部は、校内でもかなりマイナーな方だ。
「今日からテスト週間だ。うちじゃなくても部活はやってない」
「あれ? そうなのか。知らなかった。俺、部活入ってないから」
 紛れもない事実に、朝倉はまた惚けた様子で答えた。一週間後の期末試験について、授業中にさんざん言われたのに、こいつは一体何を聞いていたのだ。まさか、今までもテスト週間を意識せずやってきたのだろうか。
「じゃあさ、今日は無理かな。俺、梶に用があるんだけど」
「……何だって?」
 こいつが俺に用なんてあるはずがない。いや、あってたまるか。同じ教室の中にいても、できるだけ関わりたくないとさえ思っているのに。
 朝倉。朝倉響(ひびき)。うちのクラスで一番の問題児。明るくて五月蝿くて、いつもふざけて一人で騒いでいる。その上、今の学生にしては珍しく、人見知りを全くしない。生徒でも教師でも、誰に対しても、物怖じ無く距離を詰め、自分の意思をぶつけてくるのだ。
 大人しく、周囲に媚び、顔色を見、求められた答えを述べ、そうすることによってお互いを監視し合っている――そんな他の生徒とは、朝倉は明らかに毛色が違う。だから、俺はこいつが苦手だった。誰とも分け隔てなく接するからこそ、何を考えているのかわからない。こいつの少なくとも無邪気に映る表情と話し声を聞いているだけでも、胸がざわついてくるくらいだ。
「この前直してただろ。水野のあれ、補聴器っていうの?」
「――ああ」
 言われてもすぐに思い出せなかった。この前というか、もう三週間ほど前の話だ。水野は同じクラスの女子で、難聴のために補聴器をつけている。体育の着替えの際にそれを失くし、何故か壊れた状態で中庭にあるのを発見したらしい。
 たまたまだ。たまたま日直で遅くなり、部室へのショートカットで中庭を横切った。開錠をしなければならなかったから急いでいて――俺の足音も聞こえなかった水野とぶつかってしまった。水野は芝生の上にしゃがんだまま、壊れた補聴器を見つめて泣いていた。手のひらに乗った小さなそれは、金額にすれば一体いくらになるのか、俺には全く見当もつかない。けれど、摘まんで良く見せて貰ったところ、それほど重傷ではないように思えた。
――多分、直せると思う。部室に行こう。
 聞こえにくいことを思い、いつもより大声で話した覚えがある。自分自身の声さえ聞こえづらくなっていた水野は、うう、とか細く曖昧な声で返事をした。
「何で知ってるんだ、それ」
 教室では誰にも言っていない。それは水野も同じだったし、あの場所には自分達しかいなかったはずだ。
「俺さ、実はあの時いたんだよ」
「は?」
「桜の木あるじゃん? あの下、用務員のおっちゃんが結構芝生綺麗にしてんだ。風通し良いし、木陰になってるから寝ると気持ち良くて。梶の声が聞こえて目が覚めたら、そういう会話してるのが聞こえたわけ。反対側に居たから、死角だったかも」
「……は」
 思わず鼻で笑い、俺は踵を返して先を急いだ。芝生の上で寝るなんて、野生動物か。
「あれさ、やっぱ誰かが故意に壊してたの?」
「それは言えない」
 めげずに後をついてくる朝倉に即座に答え、しかし、そのすぐ後で俺は選択を誤ったことに気付く。ここですぐに黙秘を唱えることは、結論を言っていることと同じようなものだからだ。
「――ふぅん」
 現に、朝倉は察したらしい。
「良い奴なんだけどな、水野。俺、結構話す方だし」
 確かに、決して悪い子では無い。むしろ素直で穏やかだし、率先して周りの手伝いができるような子だ。けれど、浮いている。朝倉ほど露骨ではないが、クラスでは明らかに異質に扱われているのだ。
 耳の所為だとは思う。その所為で呼ばれても反応が鈍かったり、声も小さい上からコミュニケーションも取りづらい。おまけに教師が「皆で水野さんを助けてあげましょう」だのと言って特別扱いをする。皆表面上は言われたとおりに優しく接しているが、裏側ではどう感じられているかは俺でもわかる。
「――お前は誰とでも話すんじゃないか」
 ただ、ここで水野の補聴器を壊した犯人を突き止める気はない。ため息をつき、俺は先を急ぐ。朝倉は、変わらず後に付いてきた。
「いや、会話続けてくれる奴はかなり少数だよ。女子は水野しかいねーし、あとは八木ちゃんとか」
「八木先生だろ」
「八木ちゃんがそう呼べって言ったんだよ〜ん。梶も今度呼んでみ?」
 四十歳ほどの、社会科担当の教師だった。不精髭を剃らずに来るような人物で、ひょうきんな割に生徒からの評判はあまり良くない。
「嫌だ」
「ははっ! 即答!」
 朝倉の笑い声が、殺風景な通りの空気を裂いた。何が面白かったのか、俺には全くわからない。
「……で、何なんだよ」
「んん?」
「俺に用事があるんじゃないのか?」
 できれば、早く撒いてしまいたい。塾の時間まではまだ二時間ほどあるが、その間に市立の図書館で予習をしなければならないんだ。でないと、他の生徒との間に差がついてしまう。こいつに構っている時間は、はっきり言って無い。
「そうそう。俺もさ、水野みたいに直して欲しいものがあるんだよ」
 ああ――と俺はすぐに納得した。だから水野の話を振って来たのか。
「それで?」
 朝倉が言っている物が何かはわからないが、一応詳しく聞いておこうと話を促した。直せるかどうか、直す気になるかどうかはわからない。でもここの地点で断って、教室で良くない噂にでもされたら困る。もう一段階だけ話を聞いて、難しいとか時間が無いとか、適当に理由を付けて断ろう――俺は安易にそう思ったのだ。
 けれど朝倉は、全く予想外だった言葉を吐いた。
「これからうちに寄ってさ、それを直して欲しいんだ。小さい物なんだけど、古くてよくわかんないんだよ」
「は?」
 うち、とは。