もしも朝、先に目が覚めたら(05)

「うう……」
 ローゼッタが手を握り、ナタリーや周囲の者が見つめる中、患者の男は呻きながら目を覚ました。
「何故部屋に? 俺は、畑にいたはずなんだが……」
「お父さん! 凄い……! 本当に治った!」
「なんて奇跡なんだろう!」
「神から授かったんだ……ローゼッタが、神から力を授かった!」
 本人の問いに答える暇もなく、患者の家族が声を上げた。目を覚ました当の本人は、何の事だかわからない、とでも言うような顔でそれを見つめていた。ナタリーの時もそうではあったが、発祥すれば一瞬で意識を失ってしまうため、患者自身には病にかかったという自覚は殆ど無いのだ。誰もが自分でも知らないままに倒れ、そのまま死んでいく。
「お父さん、ほんとに……ほんとに良かった!」
 少女が、病から立ち直ったばかりの父の首に飛びついた。黒い斑点に覆われていた肌は、もうすっかり元通りに戻っている。
「ありがとう! ナタリー、ローゼッタ!」
 涙交じりの少女の笑顔に、二人は揃って頷く。
 そう――ローゼッタの力、そしてナタリーが立てた推測は本物だった。ローゼッタが手を握り念じれば、どんなにうなされていた患者も穏やかになり、斑点は消え失せていった。人々は朝が来たようにごく普通に目覚め、何事も無かったかのように再び生活に戻っていく。最初は自分の力に半信半疑だったローゼッタも、十人二十人と治すたびに自分の力を信じずにいられなくなっていた。町人たちは二人を讃え、寂れていた道には賑わいが戻ってきた。大好きないつもの町が、戻ってきたのだ。
 自分に何故こんな力が芽生えたのか、あるいは最初から持ち合わせていたのか、それはわからない。
ただわかるのは、これでナタリーも町人も皆助けられるということだった。疲労がかなり緩和された、先日よりも少しだけ晴れやかな表情でローゼッタの額にくちづけ、ナタリーは言う。
「ローゼッタ、有難う。まだまだ患者はいるけど、貴女のおかげで光が見えてきた」
「そんな……でも、私も力になれて嬉しい」
 愛する町と彼女を、自分の手で救えた。ローゼッタにとって、それで良かったのだ。ただ、それだけで。



「高野さん、これありがとう。助かったよ〜〜!」
「ううん。役に立って良かった」
 放課後、クラスメイトに貸していた本を受け取って、私は笑った。麗と仲良くなってからしばらく経ち、私は少し自然に笑えるようになっていた。麗が取り次いでくれて、こうして普通に話せる子も少しずつ増えている。まるで、生まれ変わったかのような気分――いや、麗が生き返らせてくれたんだ。だって、前よりもうまく呼吸ができてるような気がするもの。
 私は他のクラスメイトと言葉を交わしながら、前の席にいるはずの麗がいつの間にかいなくなっていることに気が付いた。
「――あれ、麗は?」
「麗なら、さっき先生の所行くって言ってたよ。今日も一緒に帰るの?」
「うん。ちょっと、寄る所があって」
 昼休みに、駅前の雑貨屋さんに行こうという話をしたんだ。私はクラスメイトに別れを告げて、麗が向かった場所を目指して駆けた。先生の所だから、きっと職員室だろうと階段を下りて行く。けれど麗を見つけたのは、その目星とはまた別の場所だった。昇降口を横切って渡り廊下に出たところ、中庭であのつやつやの髪を発見する。
「麗――」
 呼ぼうとして、私は口を噤んだ。麗が、担任の先生と向かい合って話をしていたからだ。先生はうちの学校にいる教師の中でもかなり若い方で、まだ独身だと言っていた。男の先生なのに優しくて話しかけやすくて、私は嫌いじゃない。ただ、今は話しかけてはいけないような気がした。
「ああ――宮澤さん、いつもありがとう」
 先生は笑顔で言う。麗はふるふるとかぶりを振った。
「とんでもない。当然の事です!」
「ははは。君はいつも面白いね」
 軽く笑う先生に対して、麗は軽く頬を膨らませた。子供みたいな仕草に、私は驚く。麗がそんな顔を私に見せた事なんて、今までに一度も無かったから。クラスや私の前で振る舞っている、少し大人っぽい麗はどこかに消えていた。
 麗から目が離せない。だって、女の子の顔を、していたから。
「そういえば、最近高野さんと仲良くしてくれてるんだね」
「は、はい。そうなんです、私から話しかけて、帰りもいつも一緒に」
 私は校舎の影に隠れて、二人の会話に耳を凝らした。麗の声が弾んで、凄く楽しそうだ。こんな声も、私は知らない。これは本当に麗なのかと疑ってしまうくらい――そのくらい、麗の雰囲気は別人のようだった。
「良かった。あの子はいつも一人でいたから心配だったんだ。クラスにまとまりがないと、僕もやりづらいしね。宮澤さんがいてくれて助かったよ」
「いえいえ! 私で良かったら、いつでも先生の力になりますよ! 高野さんもどんどん明るくなってるし、すぐにクラスに馴染めると思います」
 高野さん。
 不意に出てきたその呼び方が、私の鼓膜に焼き付けられた。何で。ついさっきは、えりって呼んでたのに。
「そうだね。頼もしいよ」
「えへへ。あ、先生。そういえば、誕生日って今月でしたよね、今からですか?」
 可愛い、女の子らしい――いや、女の声。
「よく覚えてるね。そうそう、今週末なんだよ」
「わぁ良かった! お祝いして良いですか?」
「はは、お祝いかぁ。照れくさいな」
「良いじゃないですか。あっ、じゃあ、放課後また――」
 麗の声が一際高くなる。弾かれたように、私はその場から駆けだした。聞いていられない。後を追って来るんじゃなかった。あんな女らしい――人為的な可愛さを押しつけられているような声。あんな声をした麗なんて、見たくも聞きたくも無かった。
 高野さん。焼きついたままのその呼び方のことを思う。
 走り出したものの行く宛が無くて、私は結局トイレまで来た。走ったせいで足が震え、仕方なく個室に入って蓋をしたままの便座に腰を下ろした。そのまま、顔を覆う。
 困惑で息がつまりそうだ。私と一緒にいる時の麗と、先生といる時の麗。どっちが本物なのかわからない。けれど、麗が先生を好きなんだろうことはわかった。だって、いつもと全然違うもの。好きなのは構わない。けれど、あんなに態度を変えて、私の呼び方まで変えていることには困惑を通り越して嫌悪をも覚える。男に対して媚を売る、まるでうちの母親だ。いつもの麗は、あんなに異性に媚びるような子じゃない。綺麗で優しくて、私を変えてくれた唯一無二の女の子なんだ。母の様に汚らしい女では、絶対にない。
 生理的な気持ち悪さに吐きそうになる。完全下校のチャイムが鳴り響くまで、私はびくとも動かずに、その場にただ蹲(うずくま)り続けていた。